カラス
「くそっ……いつから……もっと早く気づいてれば……」
研究室で教授は、何かの機器を一心不乱に弄っていた。
「教授! ちょっといいですか」
「あん? それどころじゃねえんだ高橋……装置が壊れて…」
教授は語気を強くしながらこちらへ振り返った。けれどすぐに、僕の隣から顔を覗かせた詩依ちゃんを見て目を丸くした。
「詩依……?」
「やすし君!」
詩依ちゃんは教授の元へ走り寄って行き、教授も椅子から立ち上がる。しかし教授の顔色は晴れず、困惑と焦りが見える。
「詩依……!俺の仕事が終わるまで俺の所には来るなって言っただろ!」
「ごめんなさい……高橋さんが壊れたから……直してほしくて」
「そうです、あの、詩依ちゃんを連れてきたのは僕の判断で……」
思いもよらず教授が詩依ちゃんを叱るので、慌てて僕がフォローする。僕が狂餐会と関わらないように忠告してきた人だ。娘である詩依ちゃんも、この街で何かの事件に巻き込まないために、あえて遠ざけていたのだろうと今更気づき、余計な事をしてしまったかと後悔した。
「それに、ずっとやすし君に会えなくて寂しかったから……良ちゃんも心配してる……」
俯き呟く詩依ちゃんに、教授が向ける表情もやるせないような、気まずいようなものに変わる。そしてややあってから、詩依ちゃんを抱きしめた。
「ごめんな……俺も会いたかった」
「うん……」
「良ちゃんに俺は生きてるぞって伝えてくれ」
「うん」
ここは一旦退室しようかと、静かにドアの元へ向かうと、先んじてガチャリとドアノブを捻る音がした。
「教授ー。そろそろできた?」
しんみりした空気をぶち壊すように、またもノックをせずに無遠慮に乗り込んで来たのは嬢。教授とそれだけ気が置けない仲なのだろうが中々にワイルドなものだと感心すらする。そして嬢は詩依ちゃんを見るなりきょとんとした。
「って、誰その子?」
「高梨さんは高梨さん」
「は……?」
詩依ちゃんは僕に言ったのと同じ、あの不思議な自己紹介をする。
「詩依ちゃん。教授の娘さんだよ」
「……ああ、そうなの。あなたが……。はじめまして、ね詩依。えっと……私は……」
僕が教えると、嬢はとたんによそよそしい態度になる。何を話すかを考えるだけであんなに緊張していたのだから、こんなタイミングで急に出会うことになって内心は動揺しているのだろう。
「お姉ちゃんでいいぞ詩依」
「お姉ちゃん?」
「えっ……ちょっと教授……!」
教授が横槍でそんな提案をするものだから、嬢は慌てて声を荒げる。
「お前も俺の娘みたいなもんだろ」
「お姉ちゃん」
「……っ!」
高梨親子のそんなダブルパンチで顔も合わせられないほど照れたのか、嬢は関係ない僕の方へ振り返る。
「旦那!」
「なに?」
「どうしよう、すっごい可愛い……!」
「良かったね」
相変わらず嬢の照れた時のあの癖が出ている。嬢が嬉しそうで何よりだと、微笑ましく思った。
◇
「よし。高橋直ったぞ」
「ありがとー」
教授は慣れた手付きであっという間にぬいぐるみの中の機器を修理し終えた。教授は通信機器が壊れたといって必死に手元の機器を弄っていたが、単に原因はぬいぐるみの機器の方にあったらしい。
「……じゃ、早く帰りな」
「……うん」
ぬいぐるみを手渡しながら教授は名残惜しそうに呟き、詩依ちゃんも寂しそうにだが、素直に頷く。
「やすし君、いつお仕事終わるの?」
「悪い。分からねえんだ。俺の上の偉い奴に終わっていいって言われるまでだな。でも多分……もうすぐだ」
「……わかった……待ってる」
「ああ」
そうしてまた、二人は抱き合う。嬢はそんな二人の様子をじっと見つめていた。
「嬢? 僕たちも帰ろう」
「うん」
研究所を出てから、嬢ははたと足を止めた。立ち呆けて、いつものハキハキとした動きが見られず、恐ろしいほどに大人しい。
「嬢……どうしたの?」
「私……教授の事、ちょっと本当の父親みたいに思ってた。教授も私の事娘みたいに扱ってくるから……」
それは当然、見ていれば分かる親密さだったし、嬢も教授もそんな事を言っていたので、何も間違っていない見解だと僕は思うが、そんな切り口で話し出すからには、何か思う所があったのだろうと、僕は静かに相槌だけを打って待つ。
「でも、自惚れてたわ。やっぱり教授が一番大事なのは本当の娘だもの。教授には帰る所があるの。私は……私には本当の家族なんていないの」
「……嬢」
その時の嬢は、深く思いつめたような顔をしていて、僕にはかける言葉が見つからなかった。
「ごめん。今の忘れて。じゃ、私研究に戻るから」
「うん……」
ふいに冷静な表情になり、そう言って自分の研究所に向かう嬢を、僕はただ見送った。
◇
「そうだ、あの名前……」
僕はジャンク屋に戻ってから、ふとある事を思いついた。詩依ちゃんの苗字は『高梨』で、父親である教授の名前が『靖』であると言っていた。ならばあの顧客リストの検索を試せるのではと。
電源をつけると、さも負荷がかかっていると言わんばかりの音を立てるパソコン。立ち上がった画面の入力枠に『高梨靖』と打ち込み、検索ボタンをクリックする。
「出た」
【高梨靖】
狂餐会幹部。通称教授。枯金会から送り込まれたカラス。
検索結果には、そんな文章が現れた。
「教授がカラス……? ってなんだろう……それにこの枯金会……聞いたことあるな……」
叔父さんが知っている事を知りたい、そして教授を本当に信頼する為、教授にこの話を聞かねばと思い、再び教授の元へ馳せ参じる事にした。
◇
「教授。聞きたいことがあるんです。カラスって知ってますか?」
「……何を知った?」
直球で尋ねれば、教授は怪訝そうな顔をする。
「……教授は枯金会から来たカラスだって。叔父さんのメモみたいなものに」
「そんなもんあんのか……知っちゃいるが趣味悪いなアイツも」
確かに、叔父さんは決して趣味が良いとは言えない人だが、あのリストを勝手に覗き見た僕も人の事を言えない。
「まあ別にそんな怪しむ程のもんじゃねえよ。まず枯金会は全国の企業、団体、個人の集まりだ。個人なら有名な技術者、人間国宝がいたり、企業でいえばイチイ、モクセイ、イヌマキ……だとか多方面の業界大手が加入してる。枯金会自体が何かを運営してるわけじゃねえが、企業同士が協力や連携を取りやすくするためのバカでかいお友達グループみたいなもんだ」
「ああ……だから。聞いたことはあるなって思ってたんです」
どこで見たか聞いたかもハッキリしないが、それだけの個人、大企業に関わっているならば、協賛として名を連ねる場で頻繁に名前が出ているはずだ。それが記憶の片隅に残っていたのだろう。
「狂餐会も枯金会の傘下だしな。俺は元々枯金会に個人で所属してて、そこから狂餐会にも入ったってだけだ。んでカラスってのは枯金会内外の調査をしてる奴の事だ。誰かが枯金会を裏切っちゃいないか、もしくはよその組織が枯金会に楯突こうとしてないか、なんてな」
「スパイ……みたいなものですか」
「言い方悪いとそうなるが……俺がやってるのはスパイなんて大それたもんじゃねえよ。カラスによっちゃ危ない事やってる奴もいるみたいだがな。俺は狂餐会に踏み込みすぎないように距離あけて観察してるだけだ。まあだから会長には信用されてないんだろうな。俺も会長を信用しちゃいないが」
教授の言い振りからして、おそらく枯金会は狂餐会を好んで取り込んだわけではない。危険視しているが故に、あえて直接監視下に入れているという事だろう。何かあれば教授ないし枯金会を最終的に頼るのも手かもしれない、そう思った。
「そうだ旦那。これ嬢に渡してくれ。渡しそびれてた。俺はまだやる事があるからよ」
「分かりました」
教授は、通信機器を装着する為に嬢から預かっていたぬいぐるみを僕に手渡した。嬢の様子も気になるので、今は近寄りがたい嬢へ話しかけるのにこれは良いきっかけになる。
「あの。教授と嬢ってどうしてそんなに仲が良いんですか」
「あいつが危なっかしいから世話焼いてたら懐かれた……って所だな」
確かに嬢は無謀というか、怖いもの知らずのような印象はあるけれど。そんなに世話を焼くほどの手がかかるようには思えない。
「あいつが無痛無汗性だって聞いたか?」
「えっ……そうなんですか」
「そのくせあんな格好してるだろ。怪我しやすいだろうに、見てられねえ。嬢は好きな格好したいって主張しやがるから仕方ねえが……」
無痛無汗症。先天的に痛みも温度も感じない症状の事だ。そういえば、嬢がこの季節に不釣り合いな露出をしているのも、寒さを感じない故なのかと合点がいった。
「それで実際、怪我してても平気で放っておくんだ。気をつけろって何回も言ってんのに。アイツ自分の体を大事にするって事を知らねえ。……育ちのせいかもな」
「育ち……」
「まあ、そりゃ俺がべらべら言うことでもねえ。気になるなら嬢に直接聞くべきだ。アイツとそこまで打ち解けられたら、だが。……アイツ、旦那の事気に入ってるみたいだし……嬢の事、頼むぜ旦那」
「はい」
◇
相変わらず嬢は元気がない。入室する時も声をかけても、机に向かったままでいつもの覇気が感じられない。
「嬢。教授から預かってきたんだ、これ」
「……ありがとう。そこ置いといて」
僕はぬいぐるみを嬢に近づけたが、嬢はこちらをちらりと一瞥しただけ。仕方なしに、テーブルの上にぬいぐるみを添えた。
「……あのさ、嬢はああ言ったけど。教授は本当に嬢の事大好きだって思うよ」
「あんたに何が分かんの」
「分かんないけど。……なんか、嬢を心配してる教授、僕のお母さんに似てるから」
教授が嬢を気にかけるのと同じで、母は僕が傷を作って帰るたびに、いつも口うるさく気をつけろと注意してくれた。その愛情は痛いほど伝わっているし、だからこそ僕も心配をかけまいと秘密を作る事がよくあった。今の嬢の姿は、その頃の僕を思い出して他人事とは思えない。
「なにそれ……父親ならともかくあれが母親って」
嬢は力なく笑う。でも、それで気が緩んだのか、僕の方をちゃんと見てくれるようになった。
「……私、ずっと何話そうか悩んでたの。正直な気持ちを言うならね、あなたのお父さんを頂戴って……そんなひどいこと言えないでしょ」
嬢みたいに勝ち気で野心の強い子でも嫉妬をするんだなと、当然の事なのに、今更気づいた。嬢だって普通の子なんだ。むしろ、弱い部分を隠すために虚勢や見栄を張ることだってあるだろう。
「でも、あの子に会って分かったわ。そうじゃないの。本当は、あなた達の家族になりたいのって。そんな事言って……迷惑じゃないかしら……」
「いいと思うよ。それ、正直に伝えたら」
「……うん」
嬢はそっとぬいぐるみを手に取り抱きしめた。なんとなく、嬢と教授たち親子は今後も親しい仲でい続けられるだろうと、そう感じた。
◇
帰路にて、ジャンク屋の近くでまたプロデューサーに出会った。駆け寄ってきたプロデューサーは興味津々といった具合に経過を尋ねてくる。
「なあ旦那。高梨さんはどうなった?」
「帰りましたよ」
「また遊びに来てほしいなぁ」
「もう来ないと思いますよ」
教授に念入りにもう来るなと言われていたし、詩依ちゃんが聞き分けのいい子ならば不用意にこの街に訪れる事は無いだろう。
「えーまじかあ。結構気に入ってたのに」
「小さい子好きなんですか……」
「んー。かわいいじゃん。この声」
プロデューサーは詩依ちゃんの声をそっくりそのまま使ってそう言った。この時僕は、この人に対して何か不気味なものを感じた。