誰でもない
僕じゃない誰かになりたかった。
父さんが捕まってから、母さんはおかしくなった。あの家には、居たくなかった。
けれど頼る大人がいるわけでもなく。寒空の中彷徨った末に、目に入ったみすぼらしい店舗へ侵入した。
「不法侵入とはいい度胸じゃねえかクソガキ」
やがて戻ってきた店主らしき人に捕まり、質素なソファーの上に座らされた。
「お前名前は?」
「……言いたくない」
「……訳ありか。まあ、そりゃそうだな。こんな所に忍び込んじまうようじゃ」
その人は、自虐も込められているような乾いた笑いを見せた。
「ゴミ屋敷みたいに見えるかもだけどな、こりゃ宝の山だからな」
「……これはなに?」
おずおずと尋ねると、一つの段ボールを持ってきて、箱を開けて見せてくれた。けれどその中身は、何かの部品としかわからない謎のパーツがびっしりと詰まっているだけだった。
「ジャンクパーツ」
「ジャンクパーツ……?」
「動かねえ機械から使える部品を抜いたもんだ。他の機械を直すのに使えるからな」
「……僕も、死んだらパーツになれる?」
「お前、なんか病気してんの?」
「ううん……でも、きっと僕は死んだほうがいい。みんなそう言ってる。だから……死んで、誰かの役に立つほうが……」
みんなが僕に死ねって言っているのを知ってる。お父さんも、僕を殺してくれなかった。いらない子。
「あー……まあ、お前がそう感じてるなら、そう思ってるやつもいるのかもしんねえな」
「でも、俺はそう思わねえ」
「お前が死んでも嬉しくねえやつがここにいる。それだけは覚えとけ」
そう言われても理解は出来なく、ぼんやりとしたままでいると、その人はテーブルの上に置いていたレジ袋から、おにぎりを取り出した。
「そうだ、これ。食っていいぞ」
「……ありがとう、ございます」
「んだよ、今更畏まんなって。気にすんな。あんま好きじゃねえんだそれ」
自分が食べるために買っただろうに、そんな訳がない。僕に遠慮せず食べさせたいがための嘘だ。この人は僕の味方だ。そう安堵した瞬間に、ボロボロと涙が溢れ出た。
「夜也」
ひとしきり泣いたあと、おにぎりをほおばる僕を見つめながら、その人は呟いた。
「――え」
「名前ねえんじゃ不便だろ。俺はお前をそう呼ぶ。いいな」
「……うん」
――僕は、僕じゃない誰かになりたかった。だから、その名前を受け入れた。でもそれが、その人の息子の名前だったことは、あの手紙を見つけた時に知ることになる。
◇
「俺死ぬんだって。すぐってわけでもねえけど、治るわけでもないんだと」
父さんの病院通いが習慣になりだした頃。本人からサラリと告げられた。
「何年……」
「十年はもたねえらしい。でもま、まだピンピンしてるし、今のうちにやれる事いっぱいあるな」
そうして、前から交流のあった愁と間敷先生を誘って狂餐会を作った。父さんが言うには、二人には“素質”があるらしい。その意味は、愁が同級生の女の子を殺した時に分かった。
「お前には才能がある。好きなことやっていいんだ」
気づけばあの時から。父さんは愁を誘導していた。
◇
「心逆言」
玲香はカルテに目線を落としたまま、そう呟く。
「――と名乗ってます。名乗っているだけです。不法入国か不法滞在かの親が無責任に産んだ子。当然、本名なんて、戸籍なんて無い。それで、親が居なくなるなり死ぬなりでどうにもならなくなり、彷徨っていたところを遺塵の悪い大人たちに捕まった。――つまり、彼が居なくなっても探す人間はいません」
「きみ、誰でもないんだ」
横たわる彼に近づく。彼は一言も発しない。目線が向けられるだけ。
「誰でもないなら、誰にでもなれる。そうでしょ?」
僕がそうなったように。
「――君は、亜形夕雉になるんだ」
父さんが動かなくなったら、この男に父さんの心臓を入れる。
◇
「……複雑なんだよね。僕の心境もさ。だって、あの人は……君をこの街に呼ぶ手紙を書いていた。君の言う通り、内容はだいぶ違ってるけどね」
「その手紙は……!」
「捨てたよ」
手首の赤い数珠に触れながら会長は言う。
「……不思議だね。君は君の言う叔父さんの事は聞いてこない。僕がなにかやったと思ってるなら、先に安否や所在を聞くものじゃない?」
分かっている。叔父さんはきっと、もう死んでいる。でも、違う。彼にとっては。
「……貴方が匿っているんでしょう」
「正解」
数珠に触れていない。会長のその言葉は、嘘ではなかった。叔父さんは会長の中では生きている事になっている。
――誰かのパーツになりたい。
実行したんだ。かつて叔父さんが言っていたことを、本当に。




