業火
モブさんを探して話を聞く目論見は頓挫した。それならば、もう一つの疑惑、可能性を探りたい。助手さんの実験に関わっているのが先生ではないのか――という点を。
先生は丁度今日が休みのはずだし、いつでも遊びに来て良いと住所も教えてくれた。その前に、と僕はメイドさんのいるメイド喫茶を覗いてみる。先生とメイドさんは一緒に住んでいるらしいが、先生と話すならできればメイドさんは居ない方がいい。
メイド喫茶の窓から店内の様子は見えるが、奥の方は見えづらく、メイドさんが奥にいるのか今日は非番なのかどうかが分からない。
「あのう〜ご主人様? お帰りでしたら中へどうぞ」
僕の様子を不審に思ってか、近くにいた「メイドさん」ではないメイドさん二人が、訝しげに声をかけてきた。僕はハッとして窓から距離を取る。
「あ、すいません。そうではないんですけど。ちょっとお聞きしていいですか」
「はい?」
「ここで働いてるメイドさん……名前はなんだっけ……小柄で、オレンジっぽい茶髪の、えっと……タバコ吸う人で……」
メイドさんの事はメイドさんとしか呼ばなかったし、一度聞いたはずの源氏名が何だったか忘れてしまった。わたわたとメイドさんの特徴を挙げていく僕に対して、メイドさんの一人がかわいらしく首を傾げる。
「メイちゃんかな?」
「そう、その人です! 彼女は今日はいないんですか?」
「メイちゃんなら辞めましたよ」
「えっ」
「なんか遠くに行くとかなんとかで。詳しくは教えてくれなかったけど……」
「あれじゃない? 彼氏と結婚して引っ越すとか。ほら、たまに迎えに来てたお医者さん!」
「あ〜! そうかも。いいな〜」
お医者さんというのは十中八九先生の事だろう。和やかにはしゃぐメイドさん達とは対象的に、僕の心は少しざわついた。僕とメイドさんは交流が深かい訳ではない。けれど嬢とは仲が良さそうだったし、引っ越しするなんて話があれば間違いなく嬢には話しているはず。そしてその嬢から又聞きしても良さそうなものなのに。僕の杞憂であってほしい。そう願った。
◇
郊外の川沿いの道から外れて、先生から教えられていた住所の方へ。暫く歩くと、周りに何もない開けた原っぱの中に、一軒だけ大きなお屋敷がポツンと建っていた。あれが先生の家だ。
格子フェンスとゲートの先、敷地の中に足を踏み入れると、尚更にその広さに驚く。テニスコート以上の面積があろう庭には、沢山の花が咲いている。その中央の石畳で舗装された長い道を進み、玄関前までたどり着く。インターホンを鳴らすと、少しの間があってから扉が開かれた。
開け放たれた扉の向こうに居たのは、シンプルな服装の先生。今まで僕が会ってきたキッチリした格好とは違う、ラフな雰囲気の先生を見て、ここが先生の家なのだと改めて実感する。僕の姿を確認した先生は、驚きを内包した微笑みを見せてくれた。
「旦那。どうしたの?」
「すいません突然。すこしお話したくて」
「いや。嬉しいよ。さ、上がって」
先生は来客用のスリッパを用意してくれて、僕がそれに足を入れる。その最中に廊下の先から足音と女性の声がした。
「せんせー。誰来たの? あ、旦那じゃん」
「こんにちは。お邪魔します」
顔を上げるとメイドさんが僕を見つめていた。その声色と表情からしても拒絶的な感情は持たれていないようなので、安堵しつつ挨拶と共に軽く会釈を返す。
「メイドさん。座ってていいのに」
「んー。だって気になったから」
先生は僕のわきを通ってメイドさんの方へ。寄り添うような二人の距離感は、仲の睦まじさをありありと見せている。そのまま僕は二人の後を追うようにしてリビングまで案内された。先生はお洒落なダイニングチェアの背を引いてくれる。そして同じようにメイドさんの方にも。とても落ち着いて紳士的な所作には惹かれるところがある。
「ちょっと待ってて。飲み物取ってくるよ」
「あ、お構いなく……」
僕がそう遠慮しても、先生は構わずキッチンの方へと去って行ってしまった。視線を戻すと、対面にいるメイドさんと目が合う。
「メイドさん、メイド喫茶辞めたんですね」
「ああ。うん」
「先生と結婚して遠くに行くとか、お店のメイドさん達が噂してましたけど……」
「アハハ、あの子達そんな話してんの? まあ、そんなとこ。良いでしょ」
メイドさんは心の底から嬉しそうな、穏やかな笑みを見せる。こんなに幸せそうなら、と仄暗い可能性を案じていた僕の考えを改めた。
「メイドさん、先生の事が本当に好きなんですね」
「そりゃあね。あたし家出してさ、でも行くとこも頼る人もいなくて。そこで昔から知り合いだった先生にたまたま会ったんだ。家に連れ戻されそうになった時も匿ってくれて。そのまま住み着くようになったから、家事も覚えてメイドさんとして働いて恩返ししようって決めたの。まあ、料理は今も苦手だけどさ」
どこか遠くに視線をやりながら過去を語ったあと、メイドさんは眉を下げ苦笑いをする。
「だから……あたしは先生の為にできることならなんでもするよ」
メイドさんの瞳が微かに細めれたのと同時に、フッと後ろに人が立った気配を感じた。勿論それは先生に他ならない。
「僕のうわさ話かな」
「惚気けてただけ」
「ふふ。照れるね」
先生は臙脂色の液体が注がれた脚付きのグラスを、脚を持ったままで滑らかにテーブルの上に滑らせた。
「はい、これ葡萄ジュース。ごめんね、あまり飲み物残ってなくて。これしか無いんだ」
「いえ、ありがとうございます」
お洒落なグラスの向こう側、メイドさんの隣の席へ、先生はゆったりと静かに座った。そのまま視線を僕へ向ける。
「それで、話って何かな」
「……できれば先生とだけ話したかったんですけど」
僕が覗うようにそう言うと、先生とメイドさんがお互いの顔を見合う。そして先生は改めて僕の方を見て微笑む。
「いいよ。僕たちはお互いの事なんでも知ってるから。聞かれて困る話は無いよ。旦那が良ければ、続けて」
先生はなんの後ろめたさも無いように、さっぱりと言い切った。そうだろうとは薄々思っていたけれど。
「先生……助手さん、知ってますよね? 嬢と同じ研究所の」
「うん。知ってるね」
「彼女の研究資料みたいなものを見ました。助手さんは、一人の被験体に対して謎の移植実験を繰り返していたようなんです。でも、嬢が言うには、それにに協力している医者がいるみたいだって」
「それが僕だって? 医者は僕以外にも沢山いるよ」
「じゃあ狂餐会に限ればどうですか」
「……僕だけだね」
先生はゆっくりと目を閉じた。焦りもしなければ、僕に対する敵意などもない。想定内。とでもいうような反応。
「君も中々いじわるだね。そんなに尋問みたいにしなくとも、僕は嘘をつかないよ。つく事もできないけどね」
確かに、先生の周りや身につけているものには嘘をつける証がない。
「その実験の目的は、被験体は誰なんですか」
「さあ。僕は言われた通りに手伝ってるだけだから。何が目的か、彼が誰なのかも知らない」
そんなことがあり得るのか。その疑心は飲み込んだ。先生は今、両手を口元で組んでいて、嘘をついている様子がない。それに、狂餐会の面々が興味の範疇以外には非情に無関心だというのも重々理解している。
「じゃあ。先生は、何を見返りに得ていたんですか」
「見返り、かあ。そんなふうに言われるとちょっと心外だな。僕は僕に手伝えることならしてあげたい。それだけなんだけど。でもまあ、何も見返りを得てないって言うと嘘にもなるかな」
先生はそこで一度ゆっくり目を閉じる。再び開かれた瞳は、獲物を狙う蛇のように僕へ視線を突き刺してきた。
「肉を貰ってるんだ」
何の、と言われずとも理解できてしまう。人の死体を弄んで得られるもの、その答えは一つしかない。
「って言っても、一部だよ。僕は食材は美味しいうちに食べきりたいから。余らせるほどは貰わないことにしてるんだ」
――カニバリズム。飢餓や精神異常に因らず、正常な判断ができる上で人肉を食する嗜好だ。知らないわけではない。けれどまさか目の前のこの人が、という畏怖があった。
「僕みたいに人肉を食べたい人、動物の餌にする人、解剖、実験用……それこそ、趣味で人体の部分を集める人もいるし。彼女の実験で出た死体は、欲しがっているみんなへ分け合うんだ。そうすれば、一つの人体は綺麗に片付く」
まるで僕を何でも話せる友人だと思っているかのように、思い出話でもしているかのように、先生は淀みなく言葉を続けた。
「でも……それじゃあ、変じゃないですか。つまり狂餐会はその気になれば痕跡を残さず死体を消せる。なのに、プロデューサーが殺した六人の遺体はわざと損壊されたような状態で見つかって、大々的に報じられる事件になってる」
「彼は非計画的に突発的に殺しちゃうからね。準備が出来ずにそうなっちゃうのかも。……それでも、言うほど変かな。僕も理由までは知らないけれど『猟奇的な死体が人目に曝される事』を目的として利用したなら察しはつくよ。君も薄々気づいてるんじゃない?」
先生に言われた通り、気づいていないといえば嘘になる。一人ですら、そんな死体が見つかれば大々的に全国に報道される事件になる。それを何度も繰り返す。気づいてくれと、見てくれと言わんばかりに。――この街に誘うように。
それが目的。ただわからないのは、その相手が、特定の誰かなのか、誘い込めれば誰でもいい不特定多数なのか。いや。僕がその本質を理解したくないだけかもしれない。理解したら、呑み込まれるような気がして。
「理解したくない?」
「あは、もう手遅れでしょ」
先生は僕の心境を見透かし、メイドさんは悪戯な笑みを浮かべる。
「僕が君に、こんなに赤裸々に話すのはなんでだろうね」
「え……」
確かに妙だった。先生はなんの抵抗もなく話してくれるどころか、僕が尋ねた以上の自供を返してくる。敵意を持たれていないにしろ、共犯でも協力者でもない僕へここまで明け透けになる理由は何なのかと。
「君は僕らの理解者だから」
「……旦那。先生が人殺しに協力してる事も、人肉食ってるなんて話も聞いて、激しく動揺もせず、淡々と次の質問できるなんてさ。『マトモ』じゃないよ。もう染まっちゃってんだって」
「だって、それは……」
そこで言葉に詰まる。
「君には違うアプローチをした方が自覚してくれるかな」
先生は僕を見かねてか、または更に追い詰めてくる為か、話題の転換を試みようとする。
「例えば。僕がメイドさんを食べたいとする。メイドさんは僕を焼き殺したい。でもそれを同時に叶えるのは不可能だ。どちらかは先に死ぬ。じゃあ、旦那はどっちを優先したらいいと思う?」
先生は穏やかに、そう問うてきた。質問の意図がわからない。人が死ぬ優先順位を決めろと言われても、答えなんて浮かばない。
「それは……そんな事……」
「はは。ごめんね、いじわるして。……旦那が答えを迷ったのは、この質問を受け入れて、それを本当にやる人間がいると理解してるから。理解してくれてるから、考えているから、すぐに否定できないんだ。普通はね、迷わないんだよ。理解できない事は拒絶するんだ。すぐに、そんな冗談はやめろって言うんじゃないかな」
認めざるを得なかった。その通りだった。思考する事自体が間違いだった。
「……まあ。旦那がなんと答えても、もう変わらない事なんだけどね。両立できるんだ。僕は食べ切れる量しか貰わないからね」
「旦那、あたしがタバコ吸ってないのに気づかなかった?」
先生がメイドさんへ視線を送り、メイドさんは乾いた笑いを見せる。
そうだ。メイドさんはメイド喫茶にいない時は大体タバコを吸っているようなヘビースモーカーだった。それに、ドアを開けたのは先生だったし、メイドさんの椅子を引いたのも先生だった。オフのメイドさんは、いつも袖口が手の先まで覆うゆったりしたサイズのパーカーを着ているとはいえ、なんで気づかなかったんだろう。
さっきの先生の質問は例え話なんかじゃない。
「……メイドさん……まさか、腕――」
「あげた。先生に」
僕が問おうとすることに、メイドさんは先んじてあっけらかんと答える。
「どうして……」
「先生が食べたいって言ったから。それ以外にある?」
「だからって、普通はそんな事できないしやらないんじゃ……。メイドさんの家族だって、悲しむんじゃないですか」
「旦那が『普通』の理念とか説いちゃう? 言っとくけど、あたしに先生以外の家族なんていないよ。もう。家ごと燃やしたからさ」
「……燃やした……」
「小言言うのはやめてね。後悔も反省もしてないからさ。いい匂いだったな。モノが燃える匂い。アレが癖になってさ」
先生の質問でも言われていた。メイドさんは先生を焼き殺したいと。だとしたら。
「……まさか、この辺りの不審火って」
「あたしがやった」
「なんでそんなこと……」
「やりたかったからやった。できたからやった。それだけ」
メイドさんは欠片も悪びれる様子がない。
「そんなの……それを抑えるのが、人の理性なんじゃないですか」
「まーだそんな真人間ぶろうと抗うの?」
メイドさんは吐き捨てるように言う。そんな呆れた顔をするメイドさんを窘める風に、先生は自分の手を僕とメイドさんの間に翳した。
「君の言う理性は、誰のためなんだい」
「誰の、ため……」
先生の優しく穏やかで、しかし逃げることはできないような視線が絡まる。スッと、言葉の包丁を、僕の心に突き立ててくる。
「僕は……叔父さん……の……だって、叔父さんがそう、言うから……僕のやった事は間違ってるって……お父さんもお母さんも悲しむ……だから、やっちゃいけないって言って……叔父さんは……僕の前から消えた……」
僕の理性は、叔父さんの為――。
良い子にしてたら、叔父さんにまた会えると思った。だから、理性のマネごとを上辺だけ。
「好きなことをしていいんだよ」
「え……」
それは、ぐちゃぐちゃの思考の海から、そっとすくい上げてくれるような一声だった。
「……旦那のマネごとさ。僕もそう言われた。彼は中々の人たらしだね。人の内面を見透かして本性を暴いてくる。そんな人が、本当に、君にやめろだなんて言うかな」
「……でも」
そんなはずはない。僕は否定された、拒絶された。叔父さんはそんな事言わない。叔父さんは正しくて、叔父さんの言うとおりにするのが、正しいんだ。
「……ああ。いや。そうか。なんだ。そういう事か。逆だね。僕たちは君の為に動かされてたんだ」
「え……どういう……」
先生は何か思い当たったかのように一時だけ訝しむ顔をして、また元の穏やかな表情に戻る。
「あまり教えすぎるのも良くないかな。聞きたいことはもう終わりかい? 旦那も一人になって落ち着いた方がいいよ」
そうやって、やんわりと追い出されるように、先生の家をあとにした。僕自身、わからなかった。これ以上先生と対話して、何が得られるのか。何を見失うのか。僕は今、何を求めているのか。分からない方が、きっと、良いのだけれど――。
押し込めていた、閉じ込めようとしていた、目をそらし続けていたあの頃の僕を、また、はっきりと認識してしまった。
◇
重い足取りで道を歩いているうち、ふと違和感に気づく。メイドさんは腕を失った。先生が腕がいいと指定したなら当然だろう。でも、メイドさんは先生に尽くすことを目的としていて、先生だってその想いを知っている。
それならなぜ、今後家事が思うように出来なくなる腕を差し出したのか。受け入れたのか。
歩みを止めて振り向く。思考が停止した。
真っ赤な炎が大きな屋敷に纏わりつき、黒煙を上げ轟々と燃え盛っていた。
「通報、しないの?」
呆然と眺めている僕の背後から、そんな声が聞こえて振り返る。そこに立っていたのは会長だった。
「僕は通報しないよ。それに、ここ周りに何もなくて人通りも少ないでしょ? ほら。早くしないと、あの二人助からないかも。……それとも、そうなるのを見たい?」
この人、今、なんて言った。
「……どうして、二人が中にいると言い切るんですか」
「だって今日やるって聞いてたし。見に来たんだ。あの家が燃えるとこ」
だめだ。乗せられちゃいけない。
この短時間であれだけ炎が大きくなっているなら、可燃性の液体でも撒いて火をつけたのだろう。確実に、死ぬために。今更誰が何かしたところで助かるはずがない。それに、僕が通報しているうちに会長はこの場から去ってしまうだろう。助手さんが殺された時だって、僕がすぐにでもモブさんを追っていたら、なんて後悔が無いわけではない。でも――
僕は鞄から携帯を取り出して、119の番号を押す。自分の興味を優先しない。これが、正しいことのはずなんだ。
「……やっぱり君は、亜形夜也ではありえない」
「え――」
会長はそう呟いて体を背ける。その間際に一瞬、視線がかち合う。会長のそれは、炎を映しているのに、ひどく冷たい憎悪が混ざっていた。
火事ですか、救急ですか。耳に当てた板から、そんな音が聞こえてきた。




