優香
ジャラジャラと音を立ててチェーンが床に落ちる。そのまま扉を開けて中に入ると、簡素な部屋の中で一人の少女が机に向かい座っていた。少女はこちらに気づくと驚いた様子で立ち上がる。
「君は……?」
少女は四歳くらいで、小さな身体に不釣り合いな大きなカメラを首から下げている。僕の呼びかけに反応はしているが、答えはなく、わたわたと机の上を弄って、ノートを手に取り何かを書き込む。
『こんにちは。旦那さん』
少女が僕に見せてきたノートのページに、綺麗な字で書かれていた。幼い子が覚えている漢字ではないなと妙に思ったが、それよりどうして初対面のこの子が僕を知っているのかが不思議だ。
「僕の事知ってるの?」
少女はこくこくと頷き、またノートに何かを書き始める。
『私は玲香ちゃんの妹。狂餐会の事も知ってる。あなたの事も聞いている』
「ごめん……君のお姉さんは……」
僕がはっきりと言い出せずにいたが、少女は何かを察したように不安そうな表情をみせる。
『玲香ちゃんは死んだの?』
「うん……」
『玲香ちゃんが言ってた。玲香ちゃん以外がこの部屋に入った時は自分が死んだと思ってくれって』
「どういうこと……?」
『ごめん。わかんないよね。事情を話す事も出来るんだけど、あいつが生きてる限りは……』
「あいつ?」
『プロデューサー』
「えっ?プロデューサーはもう……死んでるよ」
僕がそう告げると、少女は一瞬驚いた顔をして、ノートを机に置いた。
「……そっか、やっぱり玲香ちゃん、私を……」
少女は筆談を止めて、ポツリとつぶやく。その声は、橙山ゆうかに似ていた。
「……そういう事なら。もういいよね。私は柑田優香。玲香ちゃんの妹じゃなくてお姉ちゃん」
「でも、柑田優香はプロデューサーに……」
柑田優香。つまり橙山ゆうかの本来の声の持ち主。彼女が生きているはずはないし、こんな少女の姿であるはずもない。――可能性を一点だけ除けば。
「私は玲香ちゃんが作った柑田優香のクローン。だから私が生きてる事、プロデューサーにバレると危険だからって、ずっとここに幽閉されてたの」
助手さんと嬢はクローンを作る技術を持っている。柑田優香が死亡した後、そのクローンが作られたとすれば、この現状も腑に落ちる。
「玲香ちゃんはどこ?」
「ここを出てすぐの部屋。でも今は嬢が……」
「そっか……じゃあ、まだ……そっとしといてあげよう」
優香ちゃんは部屋の出口に近づいたが、嬢がいる事を察してまた机の方に戻ってきた。助手さんを失った嬢の気持ちを汲んでくれたのだろう。
「ねえ、気になるんだけど……プロデューサーは前に死んだのに、どうして助手さんは優香ちゃんを閉じ込めたままだったんだろう」
「それは……何となく分かってるの。玲香ちゃんは私を閉じ込めたかったんだと思う。プロデューサーっていう脅威を理由にして。……私にちょっと依存してたから、あの子」
部屋の扉が外側から雁字搦めにされていた理由もそういう事かと納得した。
「私と嬢が旦那を気に入っちゃったから、余計にね」
優香ちゃんは少女の顔にしてはやけに大人びた雰囲気で、苦笑いのようなものを浮かべる。
「どうして君まで僕を?今初めて会ったのに?」
「思い当たるもの、ない?」
「思い当たるもの……?」
優香ちゃんはカメラを愛おしそうに撫ぜる。その様子を見て、一気に血の気が引く。
「……カメラ……」
緊張感、焦燥感、罪悪感、そんなものがない混ぜになり、僕は思わずカバンの紐を握った。
「そう、実はあのカメラ、玲香ちゃんに頼んでジャンク屋にこっそり置いてきてもらったの。あのカメラは撮影した写真のバックアップを私のカメラにも自動で飛ばしてくれるのよ」
「どう……して、そんな事……」
「あなたがこの街に……ジャンク屋に来る事は知っていたから。玲香ちゃんから聞いた。試したの。あなたを」
「知ってるって何で……試したってなにを……」
「それは言えない。私は柑田優香はあの人に見捨てられた。けどあの人を愛していた事実は変わらないから。でも、わかるよね。もうここまで来たら」
そんな仄めかすような言い方で釈然としない部分もあるが、「あの人」が誰を示すのかは予想がつく。優香ちゃんは何も言えない僕をチラリと見て、またカメラへ視線を戻した。
「ふふ。このカメラの中にね、データが入ってるの。ここに引きこもってても旦那のお陰で色々見れたよ。ありがと」
優香ちゃんは愉しみを含んだ輝くような瞳で、実に嬉しそうに話す。けれど僕にとっては、そんな事実は最悪のものでしかない。
「ま、まって、そんな……君が見るようなものじゃ……」
「私ね、柑田優香の記憶をもってて、玲香ちゃんの助手をしてるの。玲香ちゃんが何をしてたか、私が何を見てきたか……。分かるよね?私、ただの子供じゃないのよ」
ただの子供じゃない。その言葉の通り、優香ちゃんは妖しく誘うように僕の頬に手を添える。
「ね?私達似た者同士、きっと仲良くなれると思うの。私達の秘密。共有しましょ?」
「……僕は……」
その甜言蜜語は僕の深部に纏わりつく。許される心地よさは甘ったるい催眠のよう。一番の理解者だと思っていた叔父さんにすら拒絶されたそれを、この子になら、この子なら――
「旦那」
嬢が僕を呼ぶ声が、僕の意識を呼び戻した。ドアを開けて弱々しい足取りでこちらへ向かう嬢に僕は駆け寄った。嬢を心配するようでいて、その実、優香ちゃんから逃げるように。
「嬢……大丈夫?」
「ええ。その子は?」
嬢は奥にいる優香ちゃんを気にしている。
「えっと……話すとややこしいんだけど……」
「玲香ちゃんの妹みたいなもの」
優香ちゃんの真実を言っていいものかと口ごもる僕を尻目に、優香ちゃんはサラリと嘘をつく。
「……そう……助手は……」
「うん。聞いた……。お別れ、してくるね。私も」
優香ちゃんが部屋を出て助手さんの元へ行き、やがて救急車のサイレンが耳に届いた。
◇
後日、嬢と僕は助手さんの研究室に訪れていた。嬢の腕は適切に処置を施されているものの、包帯やらで覆われたその見た目には、やはり痛々しさを感じる。
「ここも一応事件現場なのに…そのまんまなんだね……」
「私が少しの間そのままにしといてほしいって言ったから。機密資料も片付けたいし。……普通はそんな言い分通らないんだけどね」
警察が嬢の気持ちを汲んでくれたか、ただ狂餐会が関わる事件に触れたくない、触れられないか。ここまで狂餐会に関わっていれば分かる。恐らく後者だろうと。逆に言えば、警察が関わろうとしていないなら、ここには警察の手が入ると狂餐会が困る物が残されている可能性もある。
「そういえば優香ちゃん……どうなったの?」
優香ちゃんはこの研究所で発見された。親も兄弟もいないとなれば、相応の対処を取られたはずで、その後の進展は施設関係者である嬢がなにか知っているのでは、と尋ねる。
「どこかの施設に引き取られちゃうかも。優香もそれでいいって」
「そっか……」
あの子が狂餐会から離れた真っ当な場で暮らしてくれるならそれで良い。けれど名残惜しさが欠片も無いといえば嘘になる。複雑な感情を抱えて、身が入らない名ばかりの捜索を続ける。
「……これ妙ね」
横目で視界に入っていた嬢の手が止まる。視線を移せば、何かの資料をじっと凝視していた。
「妙って?」
「一人の被験者に複数人の臓器を移植する計画」
「移植手術?」
「違うわ。そういうんじゃなくて…他人のパーツを集めてる……って感じ。なんの実験か目的が分からないの」
嬢がパーツなんて言い方をするものだから、不意にドキリとしてしまった。けれど嬢の視線はずっと資料に向いているので、僕の動揺に気づかれることはなかった。
「……どうも助手以外に協力者がいたみたいだけど……それが誰かまでは分からないわね。玲香にも医学知識はあったけど、ここまでやるなら多分外科医とか……」
嬢はそこまで言ってハッとするようなリアクションをした。外科医――その職種に心当たりがあるからだろう。僕もそうであるように。
嬢は険しい顔をして読み込んでいた資料を手放し、別の資料を手に取る。またそれらも次々と、速読のように読み込んで、ため息をついた。
「ここの研究資料見る限り……クローンに不老…私がやってたのより完璧。私には出来なかった後天的不老化にも成功してる。心のどこかでは認めたくなかったけど……手抜いてた、妨害してたって本当だったのね。助手の方が、私より優れてた」
その時の嬢の感情は表情からは伺い知れない。
「それにいくつか他の機関での研究資料も混ざってる。人間の記憶の保存、移植……人格の形成、催眠、洗脳……」
嬢がやっている移植やクローンの研究が物理的なものだとすれば、それらは対照的にヒトの記憶や精神・内面に関するもの。実際にその組み合わせがあって生まれた存在が、僕が実際に見た少女「柑田優香」だった。
やがて、嬢はおもむろにそれらの研究資料をシュレッダーへ放り込んだ。バリバリと音を立てながら紙束が飲み込まれていく。
「えっ!嬢、良いの……!?」
「いいわ。助手はこの成果を表に出すつもり無かったみたいだし、私もこれを成金や権力者たちに渡すつもり無い。もう、好きなことするの」
「……嬢の好きなことって」
いつかに聞いた、同じ質問。あえてそれを投げかけると、嬢は振り返る。迷いを吹っ切ったような表情だった。
「人間にケモ耳つけるのよ」




