助手
僕はその日、嬢がジャンク屋に忘れて行った眼鏡を届けに嬢の研究室を訪れた。けれどそこに嬢の姿は無かった。
「嬢、いないな…」
全く人気が無いという感じでも無く、出しっぱなしのコップがあったり蛍光灯が点いていたりで、少し前までは人がいたような痕跡がある。灯りをつけたまま外出している可能性はあるものの、よく耳を澄ますと奥の扉から微かに物音が聞こえる。その扉を注視していると、ふいに扉が開き、一つも服を着ていない嬢が出て来た。
「わっ!!嬢なにしてるの!?」
「何って、シャワー浴びてただけ。タオル忘れてたのよ。その辺置いてない?」
僕は慌てて視線を外すが、その言いぶりから嬢は平然としている事がわかる。
「あっ、こ、これ!とりあえず巻くだけ巻いて…!」
机の上に置いてあったタオルを見つけて手に取り、視線を上げないように嬢の方へ向ける。
「ありがと。というか、あんた何しに来たの?」
「そうだ。眼鏡うちに忘れてたよ嬢」
「ああ。無いと思ったら旦那の所だったのね」
嬢がタオルを身体に巻いたのを感じ取ってから、僕は赤いメガネケースを嬢に差し出す。
「はい」
「ありがと。…ねえ、あんたこのルール知ってる?」
「ううん」
「…そう」
嬢は僕が質問に答えるのを確認してから、メガネケースを受け取った。それと同時に、入り口のドアが開く。
「お嬢様。前回の実験で、……!!」
「あ、いや、あの、これは…!」
入って来たのは小柄でおとなしそうな雰囲気の眼鏡の女性。こんな格好の嬢と僕が対面しているのを見られれば、ほぼ間違いなく誤解を生んでしまう。そう思ったのだが。
「お嬢様、またそんな恰好で…!!」
その人は一目散に嬢の元へ駆け寄り、冷静に奥の部屋で着替えるように忠告をしただけに終わった。
◇
「…すいません。お嬢様、人目を気にしなくていつもあんな感じなんです。殆どこの研究所で育ったので世間知らずというか…」
「いえ、僕の方こそ不用意で…」
女性はふうと一息ついて、僕に気をかけてくれる。嬢が研究所育ちというのは初耳だけれど、以前教授に聞いた「自分の体を大事にしない育ち」と関係があるのだろう。
「あの、旦那様ですよね。狂餐会の…」
「僕の事知ってるんですか?もしかしてあなたも狂餐会?」
「はい。お嬢様の助手です。お嬢様との共同研究で助手をしているので…そのまま助手と呼ばれています。…旦那様の事はずっと前から知っています。最近お嬢様からよく貴方のお話を聞いていますから…」
「そうなんですか」
嬢は高梨さんの件以来、僕に何かとちょっかいをかけるようになっていて、少しは気に入られたのだと自惚れていたが、実際にそうやって他人にも僕の話をするほどだと聞くと、なんだかこそばゆい感じもする。
「旦那様は…お嬢様がお好きなんですか」
「えっ、どうして急にそんな」
「ご、ごめんなさい。ちょっと気になっただけなんです…そんな表情をされていたので…」
そんな表情、と言われてみると確かに少し顔が緩んでいたかもしれない。だけどそれでどうして助手さんが何か言いたげな、複雑そうな顔をするのかは分からない。
「私は…旦那様を…」
助手さんが僕をじっと見つめながらそう言いかけた時、奥の部屋からいつもの白衣姿に着替えた嬢が戻ってきた。
「助手、それで実験がなんて?」
「そ、それがですね。資料を持ってきたので…」
助手さんは慌てた様子で持ち込んできた紙類を嬢に差し出す。
「えっと…旦那様、これからは機密情報に関わる話なので…」
「あ、そうですね。じゃあ僕はこれで」
助手さんにやんわりと退室を促され、僕は助手さんの言葉の続きが気になりつつも、研究室をあとにした。
◇
僕はジャンク屋に戻ってから、スマートフォンで最近の出来事を調べていた。教授が言っていたように、連続殺人事件で発見された遺体は、殆どがすぐに人に見つかるような場所に放棄されていたらしい。その事件の最後の犠牲者である兄貴の身体は未だ見つかっていない。
そして最近ではこの街で不審火が発生する頻度が増え、最初は小規模で人が巻き込まれる事は無かったものが、徐々に人がいる場所等にも対象が広がり、何件か死亡事故にもなっている。
連続殺人や放火事件、いずれも全国ニュースになっていたが、僕は事件等のニュースを避けるように生活していた為、この街で初めて知ることになったのだった。けれどここまで来てしまえば、最早過激なニュースを避けることはできない。避ける必要もない。
一旦休憩でもするかと、手元のスマートフォンに齧り付いていた視線をあげた。その動線で自然とパソコンが目に入り、思い出す。この筐体の機能の事を。
「プロデューサーの声の人達…ここで何か分かるかな」
インターネットには繋がらず、ニュースなどを調べることはできないが、その代わりに個人情報を管理しているのが、叔父さんが残したパソコンの唯一の仕事。僕は最悪の事件最初の犠牲者の名前を入力した。
「苺崎刃子……何も出てこない」
顧客リストにはヒットせず苺崎刃子が叔父さんと関わりがない事は判ったが、ネット上で活動してきた声優の人達ならば、叔父さんの情報よりネットで調べた方が何か情報が得られるのでは無いかと思い至る。
「…あった」
検索から簡単に辿り着ける赤木やいこ名義のSNSを閲覧してみる。活動は大体聞いていた通りで、生前は生配信等を高頻度で行っていて、少しの間が空いた後に「事務所に所属することになった」という報告があってから、プロデューサーが死亡する前までマメに更新されていた。そして、まだ生きていたであろう時期の「黄野はおと」や「橙山ゆうか」とのメッセージのやり取りも見られる。プロデューサーは殺害した人達のアカウントを乗っ取り、更に次のターゲットを探す、という狡猾なやり方をしていたらしい。
次に黄野はおとのSNSも確認する。顔は出してなかったがゲーム配信等をしていた。中性的な声をしていて、本人も性別を明言しなかったため性別不詳の人とされている。この人も配信者として人気があったものの、やはり死亡時期の後に声優になると言ってからゲームの配信をしなくなってる。プロデューサーに精工な声の再現が出来ても、ゲーマーで無ければそのプレイングは再現できないからだろう。
次は橙山ゆうか。自己紹介には「どこかの研究員。カメコ。」と書かれている。カメコというのはコスプレイヤーの写真を撮るカメラマンの事らしい。コスプレイヤーの写真を幾つもアップしていて、たまに自撮りらしい写真も混ざっている。写真も本人も綺麗で、人気になるのも頷ける。数々の写真に魅せられつい次々と写真を眺めていたところ、見覚えのある顔の少女との仲睦まじい写真に目が留まった。写真には『妹とおでかけ』という一言が添えられている。
「…これ助手さん…?もしかして助手さんは橙山ゆうかの妹?」
もしそうなら、姉である橙山ゆうかが五年前に行方不明になっても変わらず更新されるSNSや、プロデューサーの事務所に所属した事もおかしいと思うはず。マオさんから見た赤木やいこも同じような状態だったが、あの人は狂餐会の関係者ではない。一方で助手さんは狂餐会員だ。プロデューサーが他人の声を真似する事を知っているかもしれない。ならば、つまり、どういうことか。――深く思考するまでもない。助手さんはプロデューサーがお姉さんを殺した事を知っていた。自然とそんな所に結論が落ち着く。
プロデューサーに話を聞く前に、プロデューサーは死んでしまった。けれど、幸いな事にまだいるじゃないか。話を聞くべき相手が。




