死傷
「プロデューサー!」
血溜まりに倒れ伏せたプロデューサーは、それきり僅かにも動かなくなった。駆け寄ってみるも、彼に穿たれた弾痕は普通の人間なら目を背けたくなるような惨状。未だ息があるだなんて、とても希望を持てるはずもない。
「…ふ。はは…、ちゃんと、見てましたか。シスター」
悦に入ったような表情で、巡査は天を仰いで呟く。すると、入口のドアがゆるりと開かれる。ドアノブを捻る音は無かったので、その人が隙間から覗き見ていたのだとこの時分かった。
「…はい」
「シスター…どうしてここに」
静かに入室してきたシスターは、この惨状に動じる事もなく微笑みを絶やさない。
「こいつは何人も人を殺していた。エゴで。無惨に」
「ええ。彼の罪の告白は聞き届けました。私が知っている中でも最も重い罪を背負っていました」
「だけどそいつは俺が殺した。俺は…罪人です」
「ええ。今ではあなたも最高の罪人です」
淡々と巡査とシスターがそんなやり取りをしたあと、巡査はシスターの足元に跪き、その手を取る。まるで、プロポーズでもするかのように。
「愛していますシスター」
「私も、あなたを愛し、赦しましょう」
シスターは傅く巡査の頭に、愛おしそうにそっと手を添える――そう見えたが。一瞬、僕からは見えない方のシスターの手が動くと同時に、黒光りする何かが、ちらりと見えた。それが何か理解する前に、シスターはつぶやく。
「さあ、贖罪を――」
つい先程聞いた、悲劇と同じ音。それから少しの間をあけて、ずるりと力なく崩れ落ちていく巡査の体。硝煙と血の匂いが一層に増した。
「おやすみなさい。巡査さま」
シスターは巡査を見下ろし、穏やかにそう告げた。
「なんで…巡査まで…どうしてあなたが巡査を撃つんですか…!」
シスターは修道服をふわりと翻し上品に微笑む。赤く染まったこの場に不釣り合いなその所作に、幻覚でも見ているのかとさえ思う。本当はここが花畑で――そうであったらどれだけ良かったか。
「私は犯罪者を愛しています。お父様がそうであったように。積極的に罪を犯せるのは罰を恐れない勇気のあるクズですから。その勇気を讃え贖罪をもって赦すのです」
シスターはまるで聖女のように、静かに祈りを捧げるが如く振る舞いをするが、この人もまた狂人だったのだと理解するには十分な口上だった。
「無茶苦茶だそんなの…!何が、何が贖罪ですか…あなたのやっている事はただの殺人、犯罪だ…!」
昂ぶる動悸から気を反らす為に僕が叫ぶと、シスターは見る間に余裕のある微笑みが崩れて狼狽える。
「…私の断罪が、犯罪…?…そんな…そんな…」
しかし、シスターが動揺の表情の次に見せたのは、爛々と瞳に希望を湛えた恍惚の表情だった。
「盲点でしたわ!ああ、素敵!私も罪人だったのですね!」
「え…」
「今まで…私に懺悔された方を贖罪として何人も…何人も殺して…ふふっ、そう、殺してきました!何という大罪…!お父様…私も、貴方が愛するクズになっていたのですね…」
だが、そこで一瞬にして一切の感情が消え去ったような無表情に変わった。そして、銃口を自らのこめかみに押し当てた。
「罪人は然るべき贖罪を受ける価値があります」
トリガーに触れていた指先が動く。
「まって!シス――」
ボクの声をかき消したのは、この日何度も聞いたあの忌まわしい音。
「…嘘…なん…なんなんだよこれ…」
決して広いとは言えない一室に、転がる三つの死体、一つの頭部と、撒き散らされた赤色と充満する鉄の匂い。異様すぎる光景。
「…っ…僕は…もうこんな事…忘れるって決めたのに…」
視覚が、嗅覚が、忘れようとしていた記憶を呼び覚ます。鮮明になった叔父さんの声が、僕を責め立てる。
「…通報…しなきゃ…」
僕はよろよろと赤い血溜まりに近づき、鞄の中を漁った。
◇
「よう旦那」
「…教授」
その日、嬢と同じように、それが礼儀であるかのようにノックもせず、教授がジャンク屋の扉を開けた。
「まだ警察がうろうろしてたな。これじゃ店も人が寄りつかねえし、お前も事情聴取うけたろ。大変だったな」
教授はソファへ無遠慮に座り、一枚の紙を僕に差し出す。
「…例の件の記事だ」
それは新聞の切り抜きだった。読めば、某所ビルで連鎖的な殺人事件があり、三人の遺体と一人の頭部が見つかった事、そのうち一人が過去の連続殺人事件にも関与しているものとして調査が進められている事が書かれていた。
「それから、事件現場から見つかった遺留品で過去の事件の被害者六人の身元も分かったらしい。…いや、「分かった」じゃなく、急に過去の事件も清算しだしたって所か。犯人が死ねばもう庇う必要もない…サツも狂餐会も薄情なもんだ」
教授は難しい顔で事件の進展を話す。けれどそれは僕も、教授も恐らく想定していただろうもので、あくまで想定が確定に変化しただけに過ぎない。僕はそれ以上に度し難い、新しい不安の種を植え付けられている。
「…叔父さんは…叔父さんは死んじゃってるんでしょうか…」
「どういう事だ」
「人の声を欲しがるプロデューサーが、叔父さんの声を使ってました」
「…それを独占したければ殺した…んだろうがな。旦那にそこまでの執着はしてなかったみたいだし、考えすぎだ。あいつは誰でも構わず人の声を使う。俺だってよく俺の声使われておちょくられてた」
そう言われてみれば、プロデューサーは僕が知る限り嬢の声も使っていた。声を真似する事が即ちその人物をターゲットにするという指針では無いのかもしれない。その点は少し安堵はしたが。
「…もう一つ気になる事があるんです。兄貴の体がどこに行ったのか。まだ体は見つかってないんですよね」
「確かに、それは疑問が残るな。過去あいつが殺した六人も頭部と体の一部が無くなってるしな…」
「プロデューサーは兄貴の頭部を誰かが持っていく予定だったような事を言ってました。僕、事務所に入る前に誰かが出て来るのを見たんです。もしかしたらアレが…」
「…運び屋か…なら、そいつは旦那が来た事で頭部を持ち出すのを諦めたってことか。今回は体が見つかるより前に頭が見つかったから過去の事件と逆になったんだろう」
兄貴が殺されてからそう時間は経っていなかったはずで、あまり遠くに運べるとは思えない。だとすればこのまま見つからなければ、その運び出した人物がどこかへ隠してしまったことになるだろう。できれば見つかって欲しくはあるが、あまり希望が持てないのも正直な感想だ。
「しかし、だとしても分からねえな。今回は例外にしても、過去の事件では人目につく場所に死体が放棄されていた。その気になれば内密に死体を処理することも出来そうなもんだが、わざわざ人に見つかるようにした意図が何なのか」
その教授の言葉が、あの惨劇で蘇った記憶を焚き付けて、いっそう僕の不安を煽った。死体を見つかるようにした意図。もしかして、それは僕にしか分からない、いや、僕へ向けた――
「おい、大丈夫か旦那。気負いすぎるな。今日はもう休め」
教授の声で、ぐるぐると迷宮に入り込みかけた意識が呼び戻された。
「…いえ、大丈夫です」
「…なら良いが…自分を見失うなよ」
教授は念を押すようにそう言って、店から出ていった。
「…その自分を、」
その"自分"を消せたらどんなに良かったか――




