21.ノーブルハニーの価値
第5層でキラービーの巣を見つけた俺たちは、そこから貴重な宝を手に入れた。
滋養に富んだ迷宮産のハチミツ、貴族の蜂蜜だ。
名前のとおりに貴族にも珍重され、その価値は水筒1本分で金貨に相当するともいわれる逸品だ。
そのかぐわしいハチミツに浸した指先を、そっと口に含んでみる。
「うわ、甘いだけじゃなくて、なんか独特の香気がある」
「ええ、そうでしょう。このまったりとしつつも、後味を引かないすがすがしさは、格別ですね」
「あ、ニケも、ニケも、ほしいでしゅ」
「はいはい」
先に味見をした俺とアルトゥリアスに負けじと、ニケも味見を要求する。
そこでもう一度ハチミツを付けた指先を、彼女の前に差し出すと、パクリとニケが食いついた。
「んんっ!……こんなおいしいの、はじめてでしゅ」
ニケが耳と尻尾をパタパタさせながら、恍惚とした表情を浮かべる。
ほっぺたが落ちるとでも言いたげに、その頬に両手を添えている姿が実にかわいらしい。
俺たちはそんな彼女を微笑ましく見ながら、ノーブルハニーの回収に掛かった。
まず飲料水用の水筒を空にして、葉っぱを円すい形に丸めた漏斗を口に添える。
そしてお茶用の木のカップでノーブルハニーをすくい出し、水筒に移していった。
俺とアルトゥリアスの水筒がほぼ満杯になるまで回収すると、わずかに残ったハチミツは、俺たちのおやつになった。
さすがに俺とアルトゥリアスはそんなにいらないので、ニケとゼロスが最後まで舐めていた。
「さて、これからどうします? このまま探索を続けてもいいけど、もう帰るってのも手です」
「そうですね。お宝を手に入れたのですから、今日は帰ってもいいのではありませんか? もう水も少ないですし」
一応、ニケ用の水筒が残っていたが、3人で探索をするには心許ない量だ。
「う~ん、だけどちょっと早すぎません? まだ日は高いでしょ?」
「それはそうですが、下手に探索を続けて、ノーブルハニーをダメにしたら、元も子もありませんよ……なに、外に出たら出たで、やることはありますよ」
「まあ、そうなんだけど……」
5層に入る前に昼飯を食ったばかりなので、まだまだ探索する時間はある。
アルトゥリアスの言うことはもっともなのだが、どうにも貧乏性な俺は、早く帰るのをもったいなく感じていた。
しかしそこでニケに目をやると、彼女はノーブルハニーの感動で、すっかり腑抜けになっていた。
そんな彼女を見たら、俺も肩の力が抜ける。
「アハハッ、ニケの緊張が解けちゃってるから、無理はしない方がよさそうですね」
「ふえっ、に、ニケはいつでも、たたかえましゅよ」
「ああ、そうだな。帰り道も頼りにしてるぞ」
「もちろんでしゅ」
少々ふぬけながらも、フンスと気合を入れ直すニケ。
優れた鼻と耳を持つ彼女は、迷宮内での警戒役に重宝する。
俺たちは彼女を先頭に立て、地上への帰途に就いた。
幸いにも4層では大きな戦いもなく、水晶部屋へたどり着いた。
そこから1階の水晶部屋へ跳んで、地上へと帰還する。
そこでまずはキラービーの魔石を50個ほど出したら、ちょっとした騒ぎになった。
「おいおい、こんなに大量のキラービーの魔石、久しぶりだな。ひょっとして、正面からやりあったのか?」
「ええ、普通に戦いましたけど」
「マジかよ……普通はキラービーに遭ったら、戦わずに逃げるもんなんだがな。しかし正面からやりあったんなら、例のモノも回収できたんじゃないのか?」
換金所の職員が、意味ありげなことを訊いてくる。
ピンときた俺は、それに何気ない風に答えた。
「ノーブルハニーのことですか? それなら水筒に2本ほど、採れましたけど」
「おおっ、聞いたか、みんな。久しぶりにお祭りだぜっ!」
「マジか? すげえじゃねえかっ!」
なぜか換金所の職員たちが盛り上がり、どんどん騒ぎが広がっていく。
俺はあっけに取られながらも、職員に訊き返した。
「あの~、なんでお祭りなんですか?」
「ああん? なんだ、兄ちゃん、知らねえのか。この町ではノーブルハニーを使って、極上の蜂蜜酒を作るんだ。そして新しい材料が手に入ると、在庫の一部が放出されて、一般でも飲めるようになるんだ。これを喜ばずにいられるかってんだ。なあ?」
「おう、あったりめえよ。楽しみだなぁ」
「あなたたち、仕事しなさいよ」
俺たちをそっちのけで盛り上がる男どもに代わって、女性の職員が魔石を換金してくれた。
銀貨50枚の収入である。
さらに住所を書いた紙を渡される。
「これはなんですか?」
「ノーブルハニーを買い取ってくれるお店です。別に他の店に売っても構いませんが、その場合はお酒にならない可能性があります。そうなると恨みを買う恐れがあるので、極力そちらへの売却をお勧めしております」
「……は、はあ」
目の前ではしゃぐ男たちを見ると、とてもそんなことはできない。
俺たちは素直に指定の店へ向かうことにした。
「それにしても、凄い盛り上がりでしたね」
「本当ですね。ノーブルハニーでお酒を造ると聞いたことはありますが、これほどとは思っていませんでした。まあ、土地によって違うとは思いますがね」
「それはなんでですか?」
「ノーブルハニーの採れる土地の、貴族の考え方しだいだからです。貴族の嗜好品として独占されると、一般には出回りませんが、ここの領主はお酒を好むのでしょう」
「ああ、なるほど」
「そうなんでしゅか?」
アルトゥリアスの言うことも、もっともだ。
土地の貴族がノーブルハニーを独占してしまえば、庶民には広がらないが、蜂蜜酒造りを許せば、庶民でも飲めるかもしれない。
おそらくミードも高いだろうが、そこは薄めるなりなんなり、しているのだろう。
やがてたどり着いた店は、大きな酒屋だった。
中に入ると、店員がていねいに対応してくれる。
「いらっしゃいませ。どのようなお酒をお探しですか?」
「あ、いえ。今日はノーブルハニーを売りに来たんですよ」
すると店員がにわかに血相を変え、奥に向かって叫びだした。
「なんですって? 親方、親方ぁ! ノーブルハニーを売ってくれるってお客さんが来ましたぁっ!」
「ええっ!」
突然の変貌に面食らっていると、奥の方から人が出てきた。
それは身長は俺と同じぐらいだが、横幅が倍以上もある樽のような男だった。
「なんじゃ、トール。わしゃ、忙しいんじゃぞ」
「いや、だからこちらの方が、ノーブルハニーを売ってくれるって――」
「なんじゃとうっ! どこじゃっ、どこにあるんじゃ、ノーブルハニーは?」
店員が言い終わる前に、樽のような親方が俺の肩をつかみ、ゆさぶりはじめた。
俺は掴まれた部分の痛みに顔をしかめながらも、ハチミツ入りの水筒を取り出す。
「この中に、採ったばかりの――」
「これかぁっ、これなんじゃな……おお、このかぐわしい香りは、まさにノーブルハニー」
親方は俺の水筒をひったくると、さっさと栓を開けて臭いをかいでいる。
その勢いたるやすさまじく、俺たちを残して暴走している感がぬぐえない。
それでも臭いを確認して安心したのか、ようやく俺たちに目を向ける。
「ふむ、たしかにノーブルハニーじゃな。もちろん買わせてもらうぞ。今さらよそに持っていこうとしても、遅いがな。ガハハハハ」
「いえ、適正価格で買い取ってもらえるなら、構いませんよ。でもこれだけでお酒が造れるんですか?」
「ん? ああ、そう考えるのも無理はないな。しかしノーブルハニーは貴重品じゃからな。普通のハチミツに混ぜて使うだけでも、優れた蜂蜜酒になるんじゃよ。この量があればそうさな……10樽は仕込めるかのう」
「へ~、そんなに? ところでこれ、いくらになります?」
「うむ、今から計量するので、待っておれい」
そう言うと親方は、店頭に器具を並べ、目の前で計量を始めた。
しばし見ていると、満足そうに彼が量を告げる。
「うむ、32オズ(907グラム)はあるな。品質もしっかりしたもんじゃ……1オズにつき銀貨12枚として、金貨3枚に銀貨84枚で、どうじゃ?」
「どうじゃって、想像以上ですね。そんなにするもんですか?」
「おお、今は季節外れじゃから、少し割高になっとるんじゃ。しかし、そんなことも知らんとは、おぬしら新顔じゃな?」
「ええ、俺とニケは冒険者になったばかりだし、アルトゥリアスさんもこの町に来たばかりです」
すると親方は俺たちのことが改めて気になったらしく、しげしげとこちらを眺める。
「冒険者になったばかりか……しかしおぬしら、他にメンバーはおらんのか?」
「いえ、俺たちはこの3人と1匹だけですよ」
「マジか?……5層のキラービーを倒しきれるのは、この町でも一部のトップパーティーだけなんじゃぞ。それをおぬしらのような子供たちが?」
いかにも疑わしいといった顔をする親方に対し、その足元でカツンという音がなった。
「あいたっ!」
「タケしゃまのこと、ばかにすんなでしゅ」
ふいに親方がしゃがみ、すねを押さえたと思ったら、その前でニケが毛を逆立てていた。
どうやら彼女が親方のスネを蹴ったらしい。
「こら、ニケ。乱暴じゃないか。すみません」
「こいつが、しつれいだから、でしゅ」
なおも親方を蹴ろうとするので、後ろから抱きかかえて止めた。
すると親方が涙を浮かべながら顔を上げ、俺たちに謝ってくる。
「クーーッ、効いたわい。たしかにむやみに疑って、悪かったな。しかしこの町のもんなら、ほとんどは同じ反応をすると思うぞ」
なおも蹴ろうとするニケを押さえ、俺たちは代金を受け取って帰った。
まあ、このメンツでは疑われても仕方ないだろう。
それよりも予想外の臨時収入に、俺たちはホクホク顔で酒場へと向かったのだ。
作中の重量単位オズは、1オンス=28.35グラムを想定。




