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Thank you for being above me

作者: 薬師寺 創

共同企画お題「空」のお話です。

 ひとりぼっちになってしまった。俺のいない間に血の繋がった肉親は二人揃って遠いところへ行ってしまった。


「海斗……」

 

 祖母が俺の震える肩をそっと抱いてくれた。しかし、それでも、その震えは止まらなかった。たまらなくなって、俺は廊下に飛び出した。病院の白い廊下が酷く長く感じた。その廊下を突っ走って、階段を駆け下りて、そうして外に飛び出した。飛び出した先、外の景色で一番最初に目に入ったのは、青い空であった。いつも通りの、なんの変哲もない空であったが、俺は何故だかずっと眺めていた。涙が引くまで。




 

 

 暑い。これが日本の夏か……。向こうとは大違いだぜ。と外国人っぽいモノローグを流すが、俺は日本人である。しかし異国を訪れた外国人をを演じてしまうくらいに今年の夏は暑い。


 部活もオフだし、こんな日は早く家に帰って、エアコンをかけてテレビでも見ておくのが正解だ。駅から家まで徒歩二十分。棒になった足を引きずるようにしながら、ブロック塀に囲まれた小道を歩く。


「ごめんよ。暑くて」


 声がした。無論俺に向けられたものではないが、無意識に反応して後ろを振り向いた。しかし誰もいない。そんな馬鹿な。俺はぎょっとしたが、すぐに気のせいだったのだと思い直し、再び歩を進めた。


「でも秋になれば涼しくなるから……」


 やばいやばいやばいやばい。なに! なんなの! 怪奇現象なの!?


 歩が走に変わった。後ろを振り返らずに思い切り小道を突っ走る。途端、汗が吹き出るが、それはいつもの温い汗と冷たい汗が半々になったような、そんな汗だった。


「走ったら暑いぞ〜?」


「ひぇ〜〜」


 情けない声を垂れ流しながら、正体不明の音源に怯え、ひたすら走る。だが、走れども走れども、声は途切れずに俺に話しかけてくる。


「もしかしてダイエット? ねぇ、ちょっと。いつまで無視するつもりなの?」


「う、うるせぇ……はぁはぁ……お前、なんなんだ! どっから話しかけてるんだ……!」


 正体不明の声に応えると同時に、とうとう息が切れて、俺は立ち止まった。汗がドバーッと、全身から吹き出てくる。しかし、そんな汗の不快感より強く、何とも言えない不安感と焦燥感が俺を襲っていた。


「どこから、って言われてもなぁ……上だよ上!」


「う、うえ……?」


 ゆっくりと、恐る恐る首を回転させ目線を上方向へと持っていく。上を向いた途端、そこに恐ろしい化け物がいるのではないかという恐怖心を押し殺しながら、数秒かけてようやく上を向くが、しかし、そこには何もなかった。見えるものといえば、家々の屋根と電信柱と、それから、真っ青な空くらいである。


「そう、ボクは空さ」


 謎の声は嬉しそうな声音でそう言う。それから続けて、


「やっとこっち向いてくれた! 初めましてだね」


 と、屈託もなく言うものだから、俺は唖然としつつも、なんとなく頷いていた。空って、そんな馬鹿な。いや、しかし、姿が見えていない謎の声は紛れもなく現実の、今実際に起きている現象だ。


「それで、その、空? が何の用で俺に?」


 カバンからタオルを取り出して汗を拭う。それから、はぁ、と息をついた。最早信じるしかあるまい。不思議な現象が起きているのは事実だし、化け物より空の方が百倍はマシだ。だったら、この謎の声を暫定的に「空」だと仮定するのは悪くないかもしれない。


「いや、お話ししたいな、と思ってね」


「あぁ……そう……」


「うわぁ、興味なさそうだね」


「というよりな、怖いんだよ」


「へ? 怖い? ボクが?」


「当たり前だろうが。急に見えない何かから話しかけられたら怖いんだよ」


「あー……それは悪かったよ。でも嫌いにならないでほしいな……お詫びの印に、」


 お詫びの印、と聞いた瞬間、俺はおとぎ話にありがちな何か特別な特典、例えば金の斧と銀の斧をくれたりするような、そういうものを期待したのだが、しかし、


「キミを見守っているから」


 空はそう言った。俺は少し拍子抜けして、は? と声を漏らしてしまった。


「見守るって、なに、俺が交通事故なんかに遭いそうになったら助けてくれるのか?」


「…………心のケアならできるよ! 轢かれた後の!」


「轢かれた後かよ……」


 びっくりするくらい使えなかった。もっとこう、風を起こして車を止めるとか、そんな超常現象的なのは起こせないのだろうか。俺が苦笑いを浮かべると、空は慌てたように言う。


「ご、ごめんね! そんなにすごいことはできないんだ」


 そう謝られると、まるでこっちが悪いことしてるみたいだ。まぁ、たしかに、ちょっと意地悪したな。恐怖に襲われた反動で少しイライラしていたかもしれない。


「いや、こちらこそ悪かった。ちょっと意地悪した」


「いやいや! こっちが驚かせちゃったのがそもそも悪いんだし!」


 空って、こんなに人間くさいのか。いや、この謎の声が空だと確定したわけではないんだけど、もし空だとしたら、普通に人と喋っているみたいだ。あ、もしかして、透明人間か?


「あっ、でも、こういうのならできるよ!」


 さして確証のもてない予想をした途端であった。ふわっと身体に妙な浮遊感が宿ったと思ったら、そのまま身体が上方向の力に引っ張られ、急上昇した。


「うわぁぁぁ!?」


「大丈夫! 怖くないよ!!」


 いや、そんなこと言われたって! これは……!!


 地面がどんどん遠くなる。家の屋根が豆粒みたいになる。とうとう雲と同じくらいの高さまで来て、上昇は止まった。俺は息を呑んだ。そして、その呑んだ息を吐けずにいた。それくらいに怖かった。


「お、おお、降ろせっ!」


「大丈夫! 大丈夫!」


 大丈夫、大丈夫。何度も呼びかける空。俺は息を一つ、二つと吐いて、少しだけ平静を取り戻した。高すぎる。飛行機で見るような景色を生身で体感することになろうとは。高所恐怖症ではないが、トラウマになりそうだ。


「ね? 怖くないでしょ?」


「いや、怖いわ!」


「あっ。ご、ごめんなさい。降ろす……ね」


「…………待って」

 

 慌てた様子で謝る空を制した。ちょっと眺めてみると、もちろん怖いんだけど、ここからの景色は、なんというか、


「空って広いなぁ」


「え?」


 とても雄大だった。広い空に抱かれて段々と恐怖が薄くなっていく感じさえする。街なんかはもうほとんど見えなくなって、青と白だけのこの世界はとても綺麗でそして何より、雄大で包容力があった。


「なんか、怖くなくなって来たかも」


「で、でしょ!? よかった! じゃあ……ここで、ボクとお話ししようよ!」


「いいけど……。お……落とすなよ?」


 やっぱり少し怖かった。が、少しの間、俺と空は会話を楽しんだ。空はやはり何だか人間臭く、その上、ちょっと抜けていてバカだった。授業はどうかとか、恋人とはうまく言っているのかとか、まるで俺のお母さんかのように聞いて来た。それから、空として人々を眺めているときに見つけた面白い出来事を話してくれた。話し込んでいると辺りがオレンジ色を帯びてきた。


「海斗くんは……なにか夢はある?」


「んー、特にないな……今は、部活とか勉強とか、人間関係とか……目の前のことで精一杯だ」


「ふふっ。そっかそっか。なんでもいいさ。海斗くん、いつでも見守ってるからね」


「また、それかよ。本当に見守ってんのか?」


「当然さ! ボクはありとあらゆる場所を見られるんだよ!」


「へぇ……なぁ、なんで俺に話しかけようと思ったんだ」


 俺がふと湧いた疑問を投げかけると、空は少しの間黙った。何か答えにくい質問をしてしまったのかなと思いつつ、その間、周りの景色を見渡した。夕焼けとはよく言ったもので、オレンジ色の炎が情熱的に燃えているような、そんな空模様である。その炎に抱かれながら、しかしその雄大さと包容力は何ら変わっていない。すごく、落ち着く。どこまでも際限なく広がっているこの空を眺めていると、安らかな気持ちになれる。


「キミに言いたいことがあってね」


 空がやっと答えると、俺の身体から浮遊感が消えてゆくのを感じた。俺は落ちると予感し、思わず叫んだ。


「そ、空! 落ちるっ!」


 浮遊感が完全に消え、俺の身体に重力が掛かるその瞬間、俺の身体は羽が生えたように軽くなった。そう、まさしく羽が宙に舞うように、そんなゆったりとした速度で、俺の身体は下降を始めたのだ。広い空を見上げながら、ふわふわと舞い、ゆっくり落ちていく。風を全身で受けて、本当に俺自身が羽になったような感じだった。


「はぁぁ……! 気持ちいい……!」


「海斗くん!」


「なんだ?」


「元気出して!」


「何言ってるんだよ、俺は元気だよ!」


 突拍子のないことを言うなぁと思いつつ、俺はかぶりを振ったが、空は真に迫る様子で続けた。


「ひとりぼっちじゃないよ! 忘れないで! ボクがいるから! いつもキミの上で、キミのこと見守っているから!」


 見守るって、何回言うんだ、こいつは。そう思った時、途端に、ある一つの景色がフラッシュバックした。数ヶ月前の、両親が火事で死んでしまった時に、その死亡が確認された病院の外でずっと眺めていた青空が、不意に頭をよぎったのである。


 羽だって重力があるんだから、やがては地面に辿り着く。俺は迫って来る地上を横目で見やり、もうすぐで空と別れる時が来るのだな、と何となく予感した。だから、


「あの時も……お前、見ていてくれたのか?」


 さりげなく尋ねる。この言葉単体では何を意味しているのか分からないだろうと思ったが、それでも、もしかしたらという希望を込めて、少しぼんやりとした言い方にした。すとん。ゆっくり着地する。空に話しかけられた小道に戻ってきた。


「うん、見ていたよ。キミが泣いているのを」


 ————意味が通じた。やっぱり。お前、本当に空なんだな。


 あの時見た青空は、今でも覚えている。青くてとても綺麗で大きくて、広かった。そして眺めていると何だか落ち着いたのだった。


 別に空に科学的な癒し効果があるわけではなくて、ただ『居てくれる』ってことが、青空がただ頭の上に広がっていることが、何か俺の支えになっていたんだと思う。


「ありがとう、居てくれて」


 両親が他界して、それでも俺の精神が壊れてしまわなかったのは、お前が居てくれたからかもしれない。


 小さく礼を言った。もう返事はなかった。急に交信が途絶えてびっくりした。しかし上を見上げると空が居た。それだけで十分だった。


「心配すんなよ!」


 ピースサインを天高く掲げてみせる。もう大丈夫! と、メッセージを乗せて。


 空が笑った気がした。

このお話によって天候による災害を肯定する意図はございません 

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― 新着の感想 ―
[一言] すごく素敵なお話でした。 なんというか、心が洗われました。 冒頭、すごく悲しい始まりだったのですが、だからか余計に、途中からの主人公の元気さが嬉しくて、救われた気持ちになりました。 空との…
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