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前編 ひきこもりの野獣

「……愛しているわ。誰よりも、あなたを愛している」


 娘がそう告げた瞬間、『野獣』の体は、とたんに不思議な光を放ち始めました。

 全身をおおっていたけもののような毛は、みるみるうちに縮まり、鋭いきばも爪も、すっかり短くなって、おそろしいツノなどは、見る影もありません。眉間みけんに刻まれていた深いシワも、きつく引き結ばれた口元も、今は、穏やかな笑みを作り出していました。

 村の人々から『野獣』と恐れられ、何十年も城に閉じこもってきた男の姿は、そこにはありません。

 そこにいたのは、愛することを学び、知性と品格とを兼ね備えた、ハンサムな王子の姿でした。


「おお……この姿は。懐かしき、わたしの本来の姿ではないか。とすると、わたしにかかった、あのおぞましい呪いは解けたということか」


 王子にかけられた呪い。

 それは、かつての王子が、わがままで、いじわるで、どうしようもなかったときに起こした、ある事件が原因でした。


   *  *  *  *  *


 あれは、雨のひどい夜。

 お城にやってきたひとりの老女が、「一晩だけ、雨宿りをさせてほしい」と王子に頼みました。

 しかし王子は、老女の頼みをはねつけました。老女が、見るからにヨボヨボで、恰好もみすぼらしく、乞食こじきのように見えたせいもあるのでしょう。

「この城は、おまえのように、みすぼらしい女が、来ていいところではない。わかったのなら、二度と、わたしの前に姿を見せるな」

 王子はそう言って、この可哀想な老女を追い出そうとしました。老女の周りを、衛兵たちが取り囲みます。城の外へ連れ出すため、ひとりが老女に向かって手を伸ばした――そのときでした。

 どこからか、まばゆいばかりの光が差し込んできたのです。

 老女がいた方に目をやれば、そこに『みにくい老女』の姿はなく、そこには、ひとりの『美しい女神』が立っていました。そう……乞食のように見えた女の正体は、わがままな王子をこらしめるためにやってきた、美しい女神さまだったのです。

 偉大なる神を怒らせてしまったことに気付いた王子は、慌てて謝りました。けれど、怒った女神さまは、そう簡単には、お許しくださいませんでした。

 女神さまは、王子とそのお城、それからお城の召使たちに呪いをかけ、一輪のバラの花をさずけました。

「このバラの花の、最後の花びらが散るまでに、おまえが誰かを愛し、そして愛されることを学ばなければ、呪いが解けることはないだろう」

 悲しみに暮れる王子を残して、女神さまは、去っていきました。

 呪いを解くのは、真実の愛。

 でも、こんな、おそろしく、みにくい姿で、どうやって、愛を手に入れろというのでしょう?

 村の人々は、怖がって、誰も王子に近づこうとはしません。召使たちは、道具に変えられ、しゃべることも動くこともできません。

 王子は、本当にひとりぼっちでした。

 次第に、王子は、城に閉じこもるようになりました。そして、花びらが一枚ずつ落ちていくのを、悲しい気持ちで眺めていたのです。


 娘と出会ったのは、花びらの最後の一枚が落ちる、少し前のことでした。

 その頃、城に迷い込んできた、ひとりの男がいました。

 年老いた男は、道を尋ねようと声をかけましたが、引きこもりの王子は、部屋にこもったまま出て行こうとしません。

 がっかりした男が城をあとにすると、その帰り、お城の庭園に咲いていた、美しいバラの花を見つけました。あまりの美しさに、男は、一瞬、足を止めました。そして、家で待っているひとり娘への土産みやげにと、思わず手を伸ばそうとしました。

 なに、こんなにたくさんあるんだ、一輪くらいなら――。

 男は、庭木の中に手を差し入れると、一輪のバラの根元をポキリとへし折り、誰も見ていないことを確認して、こっそりカバンの中にしまいました。

 誰も見ていなかった? 果たして、本当にそうでしょうか。

 そうです、男は知らないのです。人気ひとけのない城の中に、引きこもりの王子がいたことを。

 案の定、王子は、去っていく男の姿を、部屋の窓から見ていました。そして、男が庭園の花をへし折り、盗もうとしていたところも、しっかりと見ていました。

 それが、王子には、どうしても許せませんでした。

 わがままに育っていた王子には、自分が他人のものを横取りすることは得意でも、自分のものを奪われるということは、何より許せなかったのです。

 王子は、去って行こうとする男のもとへ飛んで行って、彼が盗みを働いたことをとがめました。そして、彼の言い分を聞くこともなく、暗い地下牢へと閉じ込めてしまいました。


 その夜。暗くなっても家に戻らない男を心配した彼の娘が、父親を探して、城にやってきました。

 娘は、父親の行方を尋ねようと、部屋の奥にいる王子に向かって声をかけました。

「すみません。どなたか、いませんか。父を探しているんです。父を見かけませんでしたか」

 その娘が誰なのか、王子には、すぐにピンときました。けれど、数十年来の引きこもり。おまけに、このみにくい姿とあっては、ここで出て行くのは、少しためらわれました。

 そこで、王子は、部屋の隅に隠れたまま、声を張り上げて言いました。

「父? わたしの城から、大切なバラを盗もうとした、おろかな男のことか?」

 王子の言葉を聞いた娘は、急に態度を変え、挑むように言いました。

「そんなことは、どうでもいいわ。それよりも、あなたは誰なの? どこから話しかけているの? どうして姿を見せないの? もしかして、姿を見せられない事情でもあるのかしら?」

 娘の言い方にカッとなった王子は、思わず飛び出して行って、そして、ひどく後悔しました。

「きゃあぁあ! 野獣よ! 野獣だわ!」

 王子のおそろしい姿に悲鳴を上げ、顔を真っ赤にして、わめき散らす娘。

 初めて見た娘の姿は、この世のものとは思えないほどに、美しく、可憐でした。大きくぱっちりとした目と、ゆるく弧を描くように整えられた眉。肌は、絹のようにきめ細やかで、白雪のように真っ白です。艶やかなダークブラウンの髪は、胸元まで伸びて、首の後ろのあたりでひとつにまとめられていました。服装もかなりこじゃれていましたし、誰がどう見ても、文句のつけようのない『美女』でした。

 しかし、見た目の美しさだけでは補えないものもある、と王子は思いました。

 王子の声を聞いたときの、娘のあの態度の変えようはなんでしょう。おそろしい姿を見たときの、あのわめきようは。

 正直に言えば、娘の第一印象は、最悪でした。気が強くて、頭が良いことをすぐ自慢したがる、なんとも鼻持ちのならない女でした。長所になるはずの美しささえも、今の王子にとっては、皮肉でしかありませんでした。

 そして、王子には、『自分の気に入らない者は地下牢に閉じ込める』という癖がありました。この娘も、もちろん、地下牢に入れられました。

 可哀想な父と娘は、わがままな王子の気まぐれで、城に閉じ込められ、暗い地下牢で過ごすことになりました。

 娘は、もちろん抗議しました。食事を運んできた王子に向かって、ありとあらゆる暴言を吐いたりもしました。父親は、もはや諦めたように、隅の方で小さくうずくまっていました。

 それを見た娘は、せめて父親だけでも家に帰してほしい、と言いました。もともと父親想いの、心優しい娘なのです。罰を受けるのなら、わたしひとりだけで十分だろう、とも言いました。

 娘の気持ちに心打たれた王子は、父親を、家に帰してやることにしました。そして、娘の部屋を、お城の一番上等な部屋に移してやりました。

 王子は、ほんの少しだけれど、娘のことが好きになり始めていました。

 一緒に食事をしようと、慣れない料理をして、娘に振る舞ったこともありました。庭を散歩しよう、と誘ったこともありました。それから、大の読書家だという娘のために、たくさんの書物を取り寄せて、娘専用の書庫を作ったりもしました。

 王子は、娘が望むことなら、なんだってしようと思いました。


 そうして、また月日が経った頃――。

 夕食の席で、娘は王子に言いました。わたしを、家に帰してほしい、と。

「父の様子が心配なの。しばらく、お城を離れていても構わないでしょう? もう長いこと会っていないのよ」

 王子は最初、娘が何を言ったのか分かりませんでした。

「なんだって? 城を出たい? まさか、本気で言っているのか?」

「もちろん本気よ。父は、わたしのたったひとりの家族なの。会えなくなって、今も寂しいわ。元気でいるのかどうか、それすらも分からないのは……正直、とても辛いわ」

 娘の悲しそうな顔を見て、王子は、なんだか自分まで辛くなってくるようでした。娘に辛い思いをさせるくらいなら、いっそ望み通りにしてやろう。なに、少しくらいなら、城を開けたって構いやしない。

「……わかった。お父上に、会いに行ってやれ」

 逃げられるかもしれない、という危険は覚悟の上でした。それでも、王子は、娘を父親に会わせてやろうと思いました。

「ありがとう! 父の無事を確認したら、すぐに戻ってきます。それまで、お元気で……」

 そう言い残して、娘は、王子のもとを去っていきました。あの美しい後ろ姿を見るのは、これが最後になるかもしれない。娘が必ず戻ってくると、誰が断言できるでしょう?

 自分のような『みにくい野獣』のもとに、一体、誰が帰ってきたいなどと思うでしょうか。それも、娘のような『とびっきりの美女』が。


 だから、その姿が見えたとき、王子は、まず自分の目を疑いました。

 忘れもしない、あの美しい姿。この世で、自分がたったひとりだけ、愛した女性。王子が、父親のもとに帰したはずのあの娘です。

「ただいま戻りました。だいぶ痩せ細ってはいましたが、父は無事です。それと、わたしがお城に戻ることも伝えてまいりました。これからは、ずっと、あなたのそばにいます」

「どうし……なぜ、またここに?」

 王子は、まだ信じられませんでした。娘には、あのまま野獣の目を逃れて、父親とともに暮らし続けることだってできたはずです。それなのに……こうして、また戻ってきた。これは、どういうことなのか?

「言ったでしょう。父の無事を確認したら、すぐに戻ってくると。わたしは、そのお約束を果たしたまでですわ」

 娘は、笑っていました。でも、なぜ……?

「どうして戻ってきた? あのまま、わたしの目を逃れて、父親とともに暮らすことだってできただろうに。どうして、わざわざ愛しい父親のもとを離れてまで、わたしのもとに戻ってきたのだ?」

 王子には、わかりませんでした。娘が、なぜ帰ってきたのか。戻ってきた娘が、むしろここにいることを喜んでいるみたいに、笑い続けていることも。

「決まっていますわ。だって、わたし――」

 そこで娘は、衝撃の一言を放ちました。「あなたを愛しているんですもの」

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