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姉妹、廃病院を探索しない 4

 △


 「へぇ。それじゃあ」瑠璃は興味深そうに茜の話に頷いた。「紫子ちゃん達は、今はきちんと、二人で立派に暮らしているんだね」

 「そうですね。私も一人暮らしですが、仕送りを貰っての親がかりの暮らしです。そういう意味では、姉妹で補い合って強く生きている二人には気高いものを感じます」

 「私も高校二年生。そろそろ施設を出る日も意識するよねぇ」瑠璃は溜息を吐いた。

 「瑠璃さんならきっと良いところに就職できるでしょう」と千春。「そしたらそこで良い人を見付ければ良いのです。幸せにしてもらえますよ」

 「ありがとう。あなたとはずっと親友でいたいな。千春ちゃんの将来の目標は相変わらず?」

 「ええ。風俗嬢王にわたしはなります」胸を貼る千春。「性産業は不況に強いのです。わたしは一流の資質を持ちます。役所や上場企業に勤めるよりよほど安定した職業と言えるでしょうね」

 さらりと口にする千春だが、瑠璃の方も自然にそれを受け入れている。千春はたぐいまれに綺麗な顔だちと身体つきをした少女なので、『一流の資質を持つ』というのもあながち間違いではないかもしれない。

 「東条さんは将来をどうお考えで?」と千春。

 「その時のわたしがやりたいことをしますよ」茜はいつもの答えを言った。「父は実業家でして。手伝いをしないかと良く誘われるのですが……『パパの会社で働く』なんてのも、窮屈そうで気が乗らないのです。しかし自分の信じた商売に邁進する父の姿には感銘を受けもします。だったら自分で何か会社でも興してみようかなというのが最近の考えです。その時は……そうですね、紫子ちゃん達を誘いますよ」

 紫子は勇気や気合があるし、緑子は手先が器用で忍耐力がある。前者は外で茜の使いっ走り、後者は社内で細かい用事を任せておけば良い。二人がそれを望むかは分からないが、実現すればきっと楽しいだろう。

 「良い時間ですね」千春が言った。「そろそろわたし達はお暇しましょうか、瑠璃さん」

 「うん千春ちゃん」瑠璃が頷く。「それじゃあ東条さん。西浦姉妹によろしく。お二人がどこに住んでいるかとかって訊いても良い?」

 「以前それを勝手に小学校時代の知り合いに話して紫子ちゃんにキレられたことがありまして」茜は首を傾げる。「×市〇町3番地2の4です」

 「言っちゃてんじゃない」引き攣った表情で瑠璃。

 「ああ言っちゃいました」茜は微笑む。「わたしのボーイフレンドが住んでいますので、どうぞ窓を外して侵入してください。二階の端の部屋が彼の居場所です」

 それから二人は分娩室を出て行った。一人取り残された茜は分娩台に身体を伸ばし、天井を見上げる。

 我ながら饒舌になったものだ。姉妹の施設時代の知人というのに興味があったのもあるが、瑠璃や千春の人間性にもそれは起因しているように思えた。なんというか、彼女らは共通して、どんな個性を持った他人でも区別なく受け入れようとするところがある気がする。

 そう言うタイプの人間のことを、茜は特別好きでも嫌いでもない。ただ姉妹と疎遠になってからというもの、そういうタイプの人間の世話になることは割と多かった。まともな友達が作れない茜にとって、『分け隔てのない優等生』という存在は時にありがたいのだ。

 そんなことを考えていた時だった。

 「きゃあああっ!」

 そんな悲鳴と共にまずは瑠璃が、それに手を引かれて千春が分娩室に戻って来た。そして慌てた様子で扉を閉める。

 息を切らしてうずくまる二人に、茜は声をかける。

 「どうされましたか?」

 「犬が……犬が」瑠璃が息も絶え絶えに言う。「ボロボロの犬が走り回っていて、わたし達を追いかけて来たの。今にも噛み付きそうで……それで、逃げて来た」

 「野犬に襲われたというところです。しかし妙なんですよね」と千春。「どうしてこんなところに犬なんか? 何か犬が迷い込むような出入り口ってあるんですかね?」

 茜は首を横に振る。「いいえ。この建物の出入り口は裏口の扉だけです」

 「だよねぇ」と瑠璃。「それに、おかしかったの。なんだか、全身を棒か何かで滅多打ちにされたみたいにボロボロにされていて……その所為なのかな。すっごく気が立っていた」

 「手負いの獣というところですか」茜は頷く。「動物とは厄介です。人間とは違い、死に物狂いで襲ってきますから。こちらも相応の覚悟で挑まねばなりません」

 「ねえ東条さん。あなたスマートホン持ってたよね」瑠璃が言う。「施設か警察に連絡して助けに来てもらおうと思うのだけれど……」 

 「大袈裟でしょう、と言いたいところですが、構いません」茜はポケットからスマホを取り出した。「あなた達を危険な目に合わせれば友達を悲しませます。安全策を取ることに異論はありませんよ。こういう時の為の公僕なのですから……」

 茜は気付いた。

 電源が切れているのだ。あれどうしてだよと思って電源ボタンを長押しする。一瞬だけ電源が付き、充電切れを表すマークを表示したかと思ったら、再び画面が暗くなった。

 「……間が悪いですね」茜はスマホをポケットに片付ける。「赤ん坊の声を鳴らすのに思いのほか電源を食ったようで。ゴーストタイプが出るかと思って長いことポケモンGOで遊んでいたのも良くありませんでした」

 「……ちょっとこれ、え、大変じゃない?」瑠璃は目を丸くする。「わたし達、携帯スマホ持ってないよ」

 「ないものはないです」茜は分娩室の扉を開け放つ。「三体一です。いざとなればこちらが勝ちます。ドーベルマンかグレートデンか知りませんが、いざ尋常に勝負!」

 そう言って廊下に飛び出した茜は、ボロボロになった大型犬を目にした。

 黒いドーベルマンである。全身を棒で滅多打ちにされたかのように、あちこちの毛並みが乱れ、皮膚は裂け、それが故に気が立っている様子だった。茜の存在に気付くなり、警戒した様子でぐるぐると唸り始める。

 「ふむ。明らかに虐待されています」茜は首を傾げた。「いったい何故このような犬が迷い込んだのでしょうか」

 「ちょっと茜さん」瑠璃が震えた声で言う。「無茶じゃない? 大きいよあの犬」

 千春と瑠璃はおずおずとした様子で茜の後ろに隠れている。だが茜を置いて分娩室の内に閉じこもるような真似はしない当たり、いざとなれば加勢するつもりはあるのかもしれない。

 「熊ならともかく犬ですからね」茜は一歩前に出た。「わたし一人でその気になればなんとかなりますよ。あえて命を賭ける必要があるかはともかくとして」

 明らかに人為的に虐待されている。そしてこの病院内にドーベルマンが一匹で迷い込むような余地はない。となるとこの犬は……。

 と、いうところまで推理したあたりで、ドーベルマンは茜の方にとびかかって来た。

 すぐに対処する。

 腰を落として迎撃姿勢を取った茜は、飛び込んでくるドーベルマンの顔面に渾身の突きをお見舞いする。口を開けて噛み付きにかかるその鼻っ面に的確に命中した拳は、ドーベルマンを弾き飛ばすことに成功していた。

 ここで退いては二回目の攻撃が来ることを予感した茜はすぐさま踏み込む。弾き飛ばされたドーベルマンは何が何やらという表情で茜から一歩下がると、尻尾を巻いて逃げ出そうとした。

 「待ちなさいっ」

 茜はすぐさまそんなドーベルマンにとびかかり、尻尾を掴む。大きな悲鳴を上げて暴れまわるドーベルマンを組み伏せると、噛み付こうとするその喉元を両手で掴んで地面に押し付けた。

 「…………勝負ありましたね」茜はふんと鼻を鳴らす。「大型犬というのは一対一でたいていの人間より強いですが……まあわたしの敵ではないですね」

 「すごいですね」千春は言った。「良くもまあ、こんな鮮やかに」

 「でもどうしてこんなところにワンちゃんが」瑠璃は首を傾げた。「やっつけちゃう形になったのは仕方がないし、戦ってもらった東条さんには本当に申し訳ないよ。でも明らかに不自然よね」

 その時、廊下の奥から声が聞こえた。

 「犬、どっち逃げた?」青年か少年かという声。「なあ浅黄。これ結構大変だろ。犬って足早いぜ? だから言ったじゃん。四つある脚のどれかを圧し折っとけば……って」

 「お兄ちゃんは何も分かってないよ」今度は少女の声がした。「走り回るのを追いかけ回して殺すのが楽しいんじゃない?」

 「噛まれるなよ」

 「牙折ってあるんでしょ?」

 「まあそうだけど。だからって安全な訳じゃない」

 「いざとなったらお兄ちゃん、あたしの為に戦ってよ」

 「へいへい。最愛の妹の為に戦いますよ」

 暗闇の奥から聞こえる声の主の姿はうかがえない。だが何となく話は見えて来た。

 この二人組……おそらく兄妹……は、きっとボロボロに傷付けた犬をこの病院内に放ったのだ。そしてそれを追いかけ回すという悪趣味な遊びに興じている。

 思い出すのは過去に対決した猫殺しのグループだ。動物の命をおもちゃのように弄ぶ、いや、真実おもちゃ扱いする幼稚で非道な一味。

 「これは厄介ですね」千春は言った。「信じられないことをする人達ですね。明らかに危険人物だと思われます」

 その通りだ。動物をいたぶる人間ならいない訳ではないが、半殺しにしたものをわざわざ廃墟に放ってまで追い回すと言うのは悪趣味の度が過ぎている。他人のやることにいちいち嫌悪感を覚えたりしない茜だが、暗闇の奥にいるのが相当に屈折した人間性の持ち主であることは理解できた。

 「本当ね。怖い人達……」瑠璃は震える。「このワンちゃんはどうにか助けてあげたいけれど」

 「私があの人達をぶちのめしましょうか?」と茜。

 「話し合いで解決しましょうよ」と瑠璃。

 「どちらもお勧めしません」と千春。「東条さんは頼りになるようですが、女三人でそんな危険人物と喧嘩をすることにわたしは後ろ向きです。声がするのは二人ですが、実際に何人いるかは分かりません」

 「犬を救いたい旨を正直に話して、今回は諦めてもらうのはどう?」と瑠璃。「向こうだって警察を呼ばれたくはないでしょうから、きっと納得するはずだわ」

 「いいえ。そんな話し合いが通じる相手とは限りません。上手に回避するのが一番です。その為には犬は確実に邪魔になります。見捨てるか、いっそ囮にすべきです」千春は淡々と合理的な事実を述べた。

 「……千春ちゃんは私達の身の安全を一番に考えてくれているのね。ありがとう」瑠璃は目を伏せる。

 「つらい選択になります。しかしわたしには瑠璃さんが一番大切なのです」

 千春の言うことはもっともだ。三人が確実に生き残る為には犬の存在はリスクでしかない。茜達にはこの犬に対してなんの責任も無いのだから、今は見捨てて後から通報でもしておくのが正しい行動であると言える。

 しかし、そんな『正しさ』がナンボのものかというのが茜の考えだ。

 「手懐ければいいのでは?」茜は言う。「そして一緒に逃げるか、何なら犬と共に戦えばよろしい。この犬に情はありませんが、命を弄ぶ人間のことは気に入りません。思い通りにさせるのは癪ですよ。コソコソするのも嫌いです」

 「手懐ける? わたし、犬の扱いは得意なつもりだけれど、こんな傷だらけで気が立ってる子を完全に懐かせるのは短期間じゃ難しいんじゃないかな?」と瑠璃。

 「…………いいえ」千春がそこで膝を突き、犬の臀部を睨みつける。……なんだ?「この子、オスですね」

 「だからどうしたの? ……え? ちょっと千春ちゃん何を……」 

 「……言ったん分娩室に戻りましょう」千春はにっこりとした笑みを浮かべる。「大丈夫。任せてください。わたしは平等で献身的な性の女神、おちんちんの付いている者は全てわたしに跪くのです」

 なんだか良く分からないが自信満々に言ったこの少女に、茜は、何だか任せてみる気になった。

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