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姉妹、廃病院を探索しない 3

 △


 「あんぎゃあ、あんぎゃあ」と、茜の仕掛けたスピーカーからは赤ん坊の声が鳴り続けていた。ネットの赤ちゃん動画を編集して作ったものであり単調な繰り返しなどでは決してなく、わざわざ音質の良いスピーカーを用意するほど音質にこだわったことからも、聞いただけでは本物としか思えないはずだ。

 「この部屋です、瑠璃さん」分娩室の扉の向こうから、千春の声がする。「この奥から赤ん坊の泣き声がしています」

 「そ、そうね。ねぇ千春ちゃん。本当に行くの?」

 「この扉を開けずにUターンしたとします。今日という日を思い出す度、わたし達は恐ろしい思いをすることになるのではないでしょうか? 謎の真相を確かめてスッキリ帰るのが精神衛生上良いというのがわたしの意見です」

 「でも……でも。怖いよ千春ちゃん」

 「では一度一緒に出ましょうか? 外で待っていてください。わたしが後から真相を確かめて戻ります。大丈夫、きっとつまらないことですよ」

 優しい声音。口にした千春が柔らかに微笑んだことが扉の向こう側からでも良く分かる。

 少し沈黙があって、決意を孕んだ瑠璃の声が響いた。

 「私も行くよ」

 「ありがとうございます。ではしっかり手を繋いで」

 扉が開かれる。懐中電灯の灯かりが茜の潜む分娩室を照らす。

 息を呑むような声が二つ、響いた。二人が手にした懐中電灯が血まみれの赤子の人形を照らしたことを茜は悟る。人形の血まみれの顔を懐中電灯で照らした二人の驚愕顔を思い浮かべながら、さらに茜は、スマートホンに録音したホラーゲームの音声を利用して畳みかけた!

 「オイテカナイデマンマァアアアア!」

 「きゃああああああ!」「ひぃいいいいいい!」

 本気の悲鳴が二重奏を奏でると二人は同時に尻餅をついた。分娩台の裏でスマホを操作していた茜は、悪戯の成功を確信してせせら笑った。

 「ごめんねぇ、ごめんねぇええええ!」瑠璃がそう叫びながら頭を抱えている。「ごめんねぇえええエンジェルぅうううひぃいいいっ!」

 「性質が悪いですねぇ、これは」言いながら、息を切らした千春がその場を立ち上がり、赤ん坊の人形を持ち上げる。「…………ああなるほど。人形ですか。道理で身じろぎ一つしない訳ですよ」

 「ごめんね、ごめんねごめんねっ。許してよぅねぇもう許してあげてよぅ。うぅ……うあああん」

 「瑠璃さん瑠璃さん。安心してください。本物の赤ん坊ではありません」千春は言いながら、取り澄ました笑顔で瑠璃の肩を抱いて手にした人形を示した。

 「ひっ。え、あ?」人形のグロテスクさに息を呑み、次に冷静になったように人形を受け取る。「なぁにこれ……? 怖い人形」

 「これとスピーカーを使ってわたし達を驚かせようとした何者かがいるようです。ええ、まんまとひっかかりました」千春は瑠璃を抱きしめたまま分娩室内に視線を這わせる。「本当に……いったい誰がこんなことを」

 「私です!」

 返事をして茜は分娩台に飛び乗って、両腕を組んで仁王立ちした。

 「どうですかお二人とも、楽しんでいただけましたか? せっかく肝試しに来たのですから心霊体験の一つや二つ味わって帰らせてあげようという計らいですよ。怖がっていただけたのなら幸いですHAHAHAHA」

 悪びれた様子なく呵々大笑する変人の登場に、二人は顔を見合わせる。瑠璃は状況をどうにか受け入れようと努力するような引き攣った笑みを浮かべ、千春は取り澄ました笑顔でこちらに笑いかけた。

 前者の笑みはクラスメイトの茶園が茜に向けて浮かべる笑みに近い。自分の度量を大きいと思っている人間が、茜の強力な個性をどうにか飲み込もうとする時に浮かべるものだ。後者は心から優しく微笑んでいると確信させられそうな綺麗な笑みではあるのだが、それが状況に即しておらずなんだか得体が知れない。

 「あ、あの、どちら様でしょうか?」瑠璃がおずおずとした表情で呼びかける。穏やかな口調だったが、警戒心は見て取れた。

 「私です」

 「えっと……」

 「黒龍団が団長、ドン・アッカーネです。罠を乗り越え、良くぞここまで来られましたね勇者たちよ。あなた達の勇気と結束力は相当なものです。ダンジョンの最奥には大ボスが控えている者でしょう。わたしが直々に相手をしましょう。どうぞ束になって掛かって来なさいな」

 瑠璃の表情が不審者を見る顔になるのを見て、千春が一歩前に出る。

 「愉快な方ですね。肝試しの仕掛けとしては良く凝っていて大変楽しませていただきました。あなたもわたし達の怖がる様子を堪能されたかと思います。そういう訳で、今日はもう夜遅いですし、わたし達は失礼させていただきますね」

 「夜遅いってまだ七時過ぎとかですよ?」

 「厳しい門限なのです」

 「他にもいろいろと面白い仕掛けを用意しています。門限を破る価値くらいはありますよ」

 「我々の保護者の折檻は少々厄介なのです。ごめんなさいね」

 「ふうむ? なんだか姉妹みたいなもの言いですね。同じ場所同じ保護者の元へ帰るかのような」茜は興味を持って首を傾げる。「しかし姉や妹に『瑠璃さん』というのも……ご関係について伺っても? ……ここって『あそこ』から高校生なら来られる距離ですよね? ひょっとして、お近くの養護施設にお住まいですとか?」

 二人は顔を見合わせた。それから千春がにっこり笑った顔を維持したままで答える。

 「アタマの回転が速いのですね。そのとおり。わたし達は同じ養護施設に住む仲間なのです」

 「ははぁ、紫子ちゃん達の同胞ですか」あの双子のかつての住処はここからそう遠くなかったはずだ。とは言えこの病院自体が姉妹の家から結構遠いので、紫子と緑子は施設からは程々に距離を取って住居を構えてはいるのだが。悪戯に離れても引っ越しに不便だし、近すぎて過去の知り合いに出くわすのも嫌というところだろう。というか本人たちがそう言っていた。

 「ユカリコちゃん?」瑠璃が目を剥いて茜に迫る。「ええと、西浦紫子ちゃんのことですか、それは?」

 「ご存知ですか」茜は得心して頷いた。「私の大親友です」

 「信じられない……」瑠璃は口元に手を当てる。「あの子に妹さん以外に仲良しがいるだなんて」

 「ドン・アッカーネ、ですか。なるほど」千春はこくこくと頷く。「ねぇ瑠璃さん。もしや、『あかねちゃん』では?」

 「……? ああーっ!」瑠璃はそう言って千春を顔を見合わせる。「小学生の時の一学年上のお友達……。そんな話、してたことあるねっ。すっごい偶然」

 「あの子が私の話をしていたんですか?」と茜。

 「そう、そうなんです」瑠璃は頷く。「東条茜さんですか?」

 「仰る通り」

 「私、一条瑠璃って言います。彼女は親友の白瀬千春ちゃん」

 少し興奮した様子で話しかけて来る瑠璃。正体が分かったというだけであっさりと警戒を解いてしまうあたり、分け隔てなく壁を作らない性質なのかもしれない。いわゆるBグループの中心人物あたりで、クラスでは級長を務めるようなタイプに見える。

 「例の姉妹が私についてどのように話していたのか伺っても?」と茜。

 「良いかしら? 千春ちゃん?」瑠璃は千春の方に視線をやる。

 「瑠璃さんがこの方に興味を持たれているならそれは構いません。本当はバスの時間にもまだ余裕がありますしね。しかしはっきり申し上げて、こちらの女性は少々エキセントリック過ぎるように思います」と千春。

 「確かに悪戯の度は過ぎているけれども、紫子ちゃんの弁を信じるなら悪い人間ではないよ。私から見ても、この人は元気が良くて、それでいて冷静で、とても気持ちが良いわ」

 「人の良いところを見付けるのは瑠璃さんの得意技ですね」

 にこやかに瑠璃に合わせている千春というこの少女だが、茜を交えた三人で話しているとどこか一歩離れた印象がある。瑠璃とは人との距離感が違って見えるし、それを本人が自覚しているのだろう。鉄面皮の如き微笑みに違和感を覚えるものの、瑠璃に対する態度からは純粋な好意が見て取れる。おそらく、二人はとても仲が良いのだ。

 茜は分娩台に腰をかけ、手足を投げ出した。

 「どうして世の女性はここで子供を産むんでしょうか?」茜はふとそんなことを言ってみた。「私が私でい続けながら子供の面倒を見るというのは、少々ばかり難題であるようにも思えます。そう考えると私も子供を産みたいとは思いません」

 「何故ここでこのような悪戯を?」と瑠璃。「これだけ凝ったものを作って、誰か来るまで待ち伏せていた、という風にしか思えないのだけれど……」

 「想定していた対象にドタキャンされたんですよ。そこにあなた方が来たので獲物になってもらいました」

 「とばっちりじゃない。それにちょっと、これは悪趣味なんじゃない? 血まみれの赤ん坊と泣き声だなんて」

 「怖い話や心霊体験は人を優しくします」と茜。

 「どういうこと?」

 「皿屋敷という有名な怪談があります。虐待された使用人の霊に報復されるという内容。この病院には手抜き医療で搾取された老人たちの地縛霊がいるという噂がありますが、どちらの話も共通の教訓に基づいています。すなわち、『弱者であってもないがしろにすれば報いがある』ということです」

 「……それが何か?」

 「中絶された水子の霊という設定な訳です。赤ん坊、特に胎児というのは究極的に無防備ですから、最も尊重すべき弱者ですよ。暴力、言論は愚か、不満な表情一つ取れない訳ですからね」

 「…………」瑠璃はそこで気まずそうな表情を浮かべて沈黙した。

 「ええ。仰る通りだと思います」千春は茜の方を見詰めて言った。「どうかその優しさを大切に、正しい避妊を続けてくださいね」

 「私は処女です」

 「瑠璃さんも一応そうですか?」

 「胸張って処女ってことにしておいて」瑠璃は苦笑した。「でもね東条茜さん。色んな意見があるとは思うけれども、でもね。私、生まれてすぐに乳児院に預けられて、ずっと施設がかりだったんだけれど、その、親がいない寂しさっていうのは本当に死にたいくらいでね。産まれたくなかったと感じたこともあるの。それ考えたら、一概に堕胎を否定する気にもなれないんだよね」

 「あなたは見たところ立派な少女に成長されています。私の悪戯の大切なお客様になってもくださいました。私はあなたという生命がこの世に産まれたことを祝福しますよ」茜は胸を張った。

 「…………」瑠璃は沈黙する。

 「瑠璃さん」千春は優しい笑みに憂いを込めた。ただでさえとびぬけた美少女だが、この表情は特別に魅力的に感じる。「あなたは優しくて尊敬に値するわたしの友達です」

 「一番優しいのはあなただよ」瑠璃は笑い返した。「ありがとう。情けなくってごめんね」

 何やら奇妙な沈黙が降りた。良く分からないが瑠璃は何か彼女にとって大切な話を自分に聞かせ、それによって何かを試み、思うような結果を得られなかったらしい。

 沈黙を守るのも手かもしれないが……茜は自分の母親の話をしてみることにした。

 「私の母親は子宮頸がんを患いながら、安全な堕胎を選択せずに命がけで私を出産し、その後に亡くなりました」

 「そう。立派なお母さまなのですね」と瑠璃。

 「もし過去に戻り、彼女のお腹の中に戻ったとしても、私は命を犠牲にして私を産むように母に願うでしょうね」

 「……どうしてその話を私達に?」

 「大好きな家族の話はいつ誰にしても良いものです」

 「…………そうですか」瑠璃は言った。

 その肩を千春が優しく抱きしめたのを見て、茜は自分の選択が誤りだったことに気付いたが、詳しいことは良く分からなかった。

 ただ、自分の言いたかったことが言えたことに、いつものように自分なりに満足していた。

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