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姉妹、廃病院を探索しない 1

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 姉妹の住む郊外から電車とバスをいくつか乗り継いだ先に、放置されている廃病院がある。

 山に囲まれた田舎町で主に老人たちの医療を担う大切な施設であったのだが、それが何故潰れてしまったのか。医療ミスだの手抜き医療だの脱税だの賄賂だの、良くある悪い噂がたっぷりの尾びれを付けて蔓延してはいるものの、正確なところを知る者は関係者を除いて数少ない。

 バス一本でたどり着ける距離に評判の良い大学病院もあることであるし、元よりたいして流行ってもいなかった。ド田舎の残った土地をわざわざ買い取る者もおらず、建て壊し自体は決まっていても日程は先延ばしの繰り返し。今日に至るまで放置されていた。

 だがしかし、廃病院である。

 街自体がひんやりとして静かな田舎であり、山の中にあると表現して大きな語弊のない建物を照らす灯かりは無いに等しい。夜道、虫の鳴き声を聞きながら湿った土の上を歩くと、暗闇の中にぼんやりと亀裂の入った建物が現れる。大きいばかりで褪せてさび付いたその存在感は寂しさを通り越して気味の悪さを感じさせた。

 もとより良い噂の効かない場所である。遠出の効かないお年寄り達を手抜き医療で搾取していたとか、大量の死者をだした医療ミスを隠蔽していただとか。人間のどうしようもない想像力を掻き立てるに十分な下地は整っていたと言って良い。

 よって人々は口々に低俗な噂を立てるのである。

 すなわち、『出る』と。


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 「病気で寝たきりで、自分じゃ寝返りも打てないようなお年寄りが、ほとんど看護もしてもらえずにほっとかれてたんだってさ。皮膚は床ずれしてジュクジュクに化膿しているのにほとんど薬もつけてもらえずに、地獄みたいな苦痛の中でただただ天井を見詰めることしかできなくて。ちゃんと治療してもらえれば治るかもしれない病気なのに、やぶ医者は間違った薬を投与してどんどん症状を悪化させる。じわじわと殺されたお年寄りの怨念が、病院に取り付いて今も出るんだって……」

 昼下がり、姉妹の住む四畳半の布団の上である。夜間外出の予定を控えた紫子が昼寝をするべく敷いた布団の上で、向かい合う緑子がそんな話を言って聞かせた。

 「そ、それ……ホンマなん?」紫子は表情を引きつらせている。「そ、そんな可愛そうなお年寄りがおったんかぁ。そらぁ化けても出るわなぁ。可愛そうやなあ」

 「噂なんだけどね。ただの噂」緑子は頷く。「あかねちゃんが置いてった雑誌にそんな記事が載ってたんだ」

 「おまえ小説とか記事とか自分の言葉で纏めるん上手なわ。そんで……ウチらは今晩、その病院にあかねちゃんと三人で行くんか?」

 「そういう予定になってるね」緑子はにっこり笑う。「楽しみだねぇ。お姉ちゃんと肝試しだなんて」

 肝試しというのは本来は夏場に行われがちな遊びであるが、他の季節に行って楽しさが損なわれる訳でもない。スリルを楽しみながら手を繋いで病院を散策するのはきっと素敵な冒険になるだろう。緑子は今日のこの日を楽しみにしていた。

 「ほ、ほうかぁ。ほうやなぁ。あかねちゃんとも約束したしなぁ」紫子は視線を布団に這わせ、浮かない顔をする。「おまえもなんか嬉しそうやしなあ。でも……う、うぅう」

 「ど、どうしたのお姉ちゃん? なんか様子おかしいけど……お腹痛いの?」

 「い、いや。ちゃうよ。いけるよ」

 「でも……お姉ちゃんなんかつらそうっていうか……」

 今朝起きた時はいつものように落ち着いていて優しかった。朝ごはんもたくさん食べてくれたし、自転車で一緒に買い物にも行ってくれた。リサイクルショップで漫画を買って嬉しそうにしていたし、家に帰って一緒に読むと興奮した様子で感想を語った。

 だがお昼ご飯の席で今晩の予定について話すと、紫子は少し考え込むような顔をした後で、突如凍り付いた。大丈夫かと問いただしても誤魔化すように顔を背けるだけであり、夜に備えて昼寝をすると言い出してからも、何度もこちらに話しかけて来て一向に眠ろうとしない。今日行くところについて詳しく話すよう言われたのでそのとおりにしたところ、もじもじとした様子で唇を結んで縋るような眼をこちらに向けている。

 良く分からないが間違いない。姉は何か自分に助けを求めている。

 命に代えても元気にしてあげなくちゃ。

 「大丈夫? お姉ちゃん?」緑子は姉の小さな肩を抱いて最強に優しい顔をした。「何でも言って? 何か悩み事とかがあるんだよね? わたしには何でも話してよ、お姉ちゃん」

 「い……いや、そのぅ」紫子は指先を絡め合わせてうつむいた。「恥ずかしいし、その、言うたら負けな気がすると言うか……。ウチが自分でなんとかせなあかんと思う。おまえに言うたって、心配とか迷惑をかけるだけで、何も良くならんと思うけん……」

 「そっか……。良く分からないけれど、お姉ちゃんなりに、自分で解決しようとしている問題なんだね?」

 「せや。任せて欲しい。ウチは平気や」

 「分かったよお姉ちゃん。でもいつでも頼っていいからね」

 「うん。ありがとうな緑子」

 「お化けが怖くて仕方がなくたって、わたしはお姉ちゃんのこと大好きだからねっ!」

 「お見通しかぁああいっ!」

 拳を握って宣言した緑子に、紫子は縋りついてわんわん泣きじゃくった。

 「ふぇええ。ふぇええええっ! ユーレイ出るん? ホンマにユーレイ出るんそのビョーイン? 怖いよ、怖いよ怖いよぉお緑子ぉおおっ!」

 「だ、大丈夫! 大丈夫だよお姉ちゃん。お姉ちゃんは強いもんお化けより強いもんっ!」

 「無理やよぅお姉ちゃん弱いよぅ。お化けなんて出て来たらその瞬間気ぃ失うもんっ!」紫子は身震いする。「って、いうか緑子。おまえはヘーキなん?」

 「幽霊なんている訳ないんだもん」緑子はけろっと言ってのけた。

 「冷静かっ! 冷静かおまえっ!」

 「だだって……もう何年も前に死んだ人なんて火葬されるか腐るかしてるし、そんな状態じゃうらめしやとか考える脳味噌がなくなってるはずじゃない? 幽霊なんて変だよ。だから大丈夫だよお姉ちゃん、安心して?」

 「……その冷静な思考力ある癖して、自分の思考が六角電波で監視されとることは信じて疑わんのやけん……。変わっとるよなおまえは……」紫子はぶつぶつと小さな声で何やら言って頭を抱えた。

 幽霊なんている訳ないが、自分達の前世は世界を作った女神だし、壁の天井は自分をさらおうとしている宇宙人だし、玄関のドアノブは友達のギンコちゃんなのだ。神様(カワコソキキト神)がそういう声が確かに聞こえたんだから十分に科学的である。

 幻聴や幻覚は長い付き合いではっきりくっきり見えて聞こえる為、現実と区別が付かなくなってしまった。それでも幽霊はいない。絶対いない。いる訳ない。しかし姉がいると思えてしまうのならそれは仕方がないと思う。科学的にどうとか理屈がどうとか、そういうの関係なく、いると思える者はいると思えるし、怖いものは怖いのだ。

 「安心してよお姉ちゃん。もしも万一お化けがいたとしても、カワコソキキト神の加護がわたし達にはあるんだよ? 幽霊なんてくしゃくしゃに丸めちゃうよ。元々の形が分かんなくなるくらいぐちゃぐちゃに練って団子みたいにしてぱくって食べちゃうよ。対価としてわたしの身体の自由を一年くらい奪われる可能性もあるけど、お姉ちゃんを守れることに比べたら些細なものだよ。だから安心してお姉ちゃん」

 「そんなもんが見えとったらそらユーレイ如き怖ない訳や……」紫子は表情を引きつらせる。「ユーレイなんておる訳ないっちゅうんはウチも分かる。万が一にもない。それは冷静に考えれば分かるんよ。それでもやっぱり、真っ暗な夜中にそんな噂のある病院を歩きよったら、そのことをウチが自分に言い聞かせられるか分からんと思うんよ。それであかねちゃんとかおまえの前で、みっともないところ見せるんはちょっと嫌やで……」と、涙目で顔を青くしてぶるぶる震えて妹の胸に縋りつきながらとってもみっともなく紫子。

 「そっか……。そうだよね」

 気の優しい緑子と気が強い紫子という組み合わせに見られがちだが、根底にある遺伝子が同じな以上紫子にだって怖いものはある。というか怖いものだらけだ。だからこそ色んなものに対して緑子の分と合わせて他人の二倍、攻撃的に戦闘的になってしまっているだけなのだ。薄皮一枚剥けばお化けだって怖いのだ。

 「ほなけどしっかりせなんだら。この年でお化け怖いとか情けないし、平気な顔しとれるようにがんばらんと……」

 紫子には色んなものに対してこういう意識がある。それに対する緑子のスタンスは『こう』だ。

 「いいんだよ。がんばらなくたって。無理なんてしなくていいんだよ」緑子は言いながら、姉の頭を優しく抱きしめる。「やめちゃおう? 肝試し」

 「は? え? 緑子、何いうとるの?」

 「楽しく遊びに行きたいのに、怖くて嫌な思いしたって意味がないじゃない?」

 「そ、そなけどおまえかって楽しみそうにしとったし、あかねちゃんかてあんなに嬉しそうに計画ぶちあげて……。ウチかってそん時は自分がこんなにお化け怖いとは思わんかったから、つい何も考えんとええよって……。でも約束してもうたけん、今更破れんよ」

 「お姉ちゃんを苦しめるような約束なんていらないんだよ」

 「そなけど……ウチがしてしもうた約束やし……」

 「あかねちゃんは納得するよ。絶対に納得する。お姉ちゃんが怖いし嫌ならあかねちゃんだって無理矢理連れまわしたりしないはずだよ」

 「そうかもしれんけど……。でもがっかりせんかなぁ……あの人」

 「大丈夫。あかねちゃんを信頼してあげよう? 友達を苦しめるような約束に固執したりするはずがないんだ」緑子は姉の髪の毛を撫でながら言った。「それにあの人、友達なんてもともといなかったし、ほっといても一人で十分楽しいんじゃないかな?」

 「あかねちゃんはそれでええとしても。緑子おまえずっと楽しみにしとったんちゃうんか?」

 「わたしはお姉ちゃんと一緒にいられればなんだっていいんだよ」

 「緑子……」

 「お姉ちゃん」肩を両手で抱きながら、姉をじっと見つめる緑子。「怖いところになんて行かなくていいからね? だから安心して?」

 「う、うん。うん。そうやな」

 「もう大丈夫だからねお姉ちゃん。もうちょっと落ち着いたら一緒にあかねちゃんに謝って断ろう。それともわたしが言っておこうか?」

 「い、いやぁ……ウチが言うよ。ウチが悪いんやもん」

 「お姉ちゃんは悪くないと思うし、そう言えるお姉ちゃんは偉いと思うよ」

 「そんなことないよ。なあ緑子、ウチやっぱまだちょっと怖い」

 「そっか。そうだよね。じゃあお姉ちゃんがお化けのこと忘れられるまでぎゅっとしててあげようか?」

 「うん。うん。そうして」

 「お布団の中で抱っこしててあげるね?」

 「うん。ありがとう」

 「えへへ。いいよいいよ」

 明かりを消し、布団の中に潜り込んだ紫子を、隣で緑子が抱きしめる。

 紫子は涙目で緑子に縋りついていた。ぎゅっとして背中を撫でてあげる。

 今日はとっても素敵な日だ。緑子は愉悦を表情に刻みながらそう思った。


 △


 「いやぁ。今日は絶好の肝試し日和です」

 噂の廃病院を前にして、茜は腰に手を当てて言った。

 「見てくださいこの不気味なただ住まいを。今にも怨念の悲鳴が聞こえてきそうではないですか。塗装は剥げてコンクリートはむき出しで、冷たい鉄の臭いがなんとも言わせません。ねえ紫子ちゃん?」

 振り向く茜だが、そこには誰もいなかった。

 「自動ドアのガラスの向こう側には明かりなんかなくて本当に真っ暗! 目を凝らせば受け付けらしき設備も見えますが……あまり見詰めていると人が立っているかのような錯覚を覚えます。まさかユーレイ! いやぁ恐ろしいですねぇ、緑子ちゃん?」

 振り向く茜だが、そこには誰もいなかった。

 「さあ裏口から中へ入りますよ! 何なら窓をぶち割ってもかまいませんが、裏口なら開いていることはリサーチ済みです。いざゆかん肝試しへ! HAHAHAHA……」

 茜は言いながら、病院の壁に拳をぶつけた。

 「寂しいよぉおお!」

 寂しい茜であった。

 「あいつらドタキャンしやがってこんちくしょうめ! なんなんだよ『お姉ちゃんが急にお化け怖くなっちゃったって』って! しらねぇよそういうもんだよ肝試しって! つぅかそれならせめて妹だけでも来いよぉおおお!」

 吠える茜だった。あいつらの結束意識の高さは偏執の域に達しており、それ故外へ連れ出すのも苦労するところがある。どっちかを篭絡すればもう片方もついてくるかと思いきやその逆で、片方がどれだけ乗り気でももう片方が少しでも渋い顔をすれば二人とも絶対に動こうとしないのだ。挙句こんな具合のドタキャンまでぶちかましてくる。二人ともそれぞれに気難しい性質なので割としょっちゅうだ。茜と友達でいられるのはあの姉妹くらいのものだったが、あの姉妹と友達でいられるのも茜くらいなのだった。

 昼下がりに電話がかかって来てそれが十分くらい鳴り続けるので渋々でたら、緑子が姉の怖がりようと残状を教えてくれた。

 『お布団の中で抱っこしてあげてたら寝ちゃったんだ。律儀なお姉ちゃんのことだから、起きた後で直接あかねちゃんに電話しだすと思うけど、その時は出てあげて優しく許してあげて欲しいな。じゃあわたしはお姉ちゃんが起きるまで抱っこしててあげなくちゃいけないから。ごめんね』

 保護者の声でそう告げた後、緑子は電話を切った。

 「後から本当に紫子ちゃんから電話掛かって来て無茶苦茶謝られましたが……しかし三日前から下見して寝袋持ち込んで一泊してまで中に色々仕込んだ私の苦労はどう報われればいいのでしょうか……」茜はちょっとだけ自分が可愛そうになりながらそう言って、すぐに首を振る。

 東条茜とは気高く素晴らしい存在なのでありそこに理由なんてものは必要なく、疑う余地はどこにもない。自分を憐れむような予知などこの美しい全身のどこにもないし、今を楽しむことの方がよっぽど大切だ。

 「ここはそうですね。『アレ』をやりますか」茜は頷いた。「『自分で作った仕掛けを自分で怖がる肝試し』。ふふっ、中学一年生以来ですね」

 その中学一年生の時にやった際には押し寄せるむなしさに転げまわったものだったがそんなことは今思い出すようなことではなく、よって茜は極めて前向きな気持ちで、自らが仕掛けた悪戯で自ら怖がるべく廃病院の中へと入って行った。

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