姉妹、同窓生と会う 5
〇
しばらくすると緋口だけが戻って来た。緑子と才藤は今二人だけで話をしているらしい。
「何をそんなに慌てる必要があるんだか」そう言って緋口は紫子に肩を竦めた。「妹の幸せを妬んでる訳? それとも可愛らしいあの子が自分の傍から離れるのが嫌?」
「……あの子がウチから離れるかい」紫子は眉を顰めた。「あんな子の面倒を身内以外が看れるはずないんや。この世界中でウチにしか無理やで」
「あら。緑子はダメダメだから安心?」
「なんて?」紫子は緋口を睨みつける。
「自分が言ったんじゃない」緋口はくすくすと笑う。「障碍者で精神疾患者。ああいう子の面倒を見続けるのに、相当な忍耐力が必要なのは理解できる。その忍耐力の源泉となっているあんたのふかぁい愛情には頭が下がるわ。でも才藤だって相当なモンだと私は見てるけどね」
「……何も分かってへんわ。マサくんがどんだけえぇ男でもウチと同じようにできる訳がないねん」
「だったらどうしてそんな怖い顔してんのさ? あの子は離れて行かないんでしょう? 才藤じゃ緑子は迎えられないんでしょう?」
「……緑子が苦しむ」
「……?」
「あの子は人の忠義や献身はないがしろにできんねん」
「…………そういうことか」
緋口は息を吐きだして肩を竦める。紺本は紫子を捕まえながらおろおろとした表情を両者に注いでいた。
「緋口さんはどうしてキューピットの真似事なんかされてるんでしたっけ?」と紺本。
「私は才藤のような努力家を評価する。付き合いは長いから応援もする。小学校の頃グズの子だったあんた達の面倒を級長の私が見ていた中に、才藤だって入ってるんだからね」
「傲慢ちゃうか?」と紫子。
「別に無理にくっ付けと言ってるんじゃない。ちゃんと話をして、若い二人が決めれば良い。あんたの嫉妬心なんてただの外野よ」
「ウチがあの子の外野なはずあるかアホボケ」
「外野ですとも。……でも変わんないわね紫子も。あんたは才藤に愛される緑子を妬んでるんじゃなくて、緑子を取ろうとする才藤に嫉妬してんだからさ」
何故緑子を妬まなくてはならないのか。二人で一頭分の獣が二頭に分かれて足を引っ張りあって何の意味があるというのだろう。ただ半身を奪おうとする者がいるなら許すことはできない。それだけだ。
「あんたさ。本当に緑子の幸せを願ってるの? それともただ自分の幸せの為にあの子を引き留めておきたいだけ?」
「…………黙れ」
「答えになってないじゃないの?」
「あの子はウチが幸せにしたる。ウチが命がけでそれはする」
「中卒生保フリーターのあんたが?」
「黙れや! しばくぞ!」
「緋口さん言い過ぎ」と宥めすかすように紺本。「本気でしばかれますよ。キレた時の怖さは四年一組で紫子さんがトップだったでしょう? 緑子さんに意地悪して給食を配膳しなかった男子に、カレーのバケツをアタマからひっくり返してオタマでボコスコにした事件は今でも語り草じゃないですか」
「紫子がキレるのは本当に卑劣な相手にだけよ。正論さえ言っておけばいくらでもやり込められるわ。昔っからそう。だから私、紫子って好き」
離れて行って欲しくないのだ。決まっている。例え才藤になら緑子を幸せにできるのだとしても紫子は絶対に緑子を手放したくない。
確固としてそれは紫子の中に備わっているエゴだった。養護施設時代、紫子はあの過酷な環境から緑子を守ることはあっても逃がしてやることはなかった。緑子には自分が必要だといくら言い訳したところで、結局は自分の為に傍にいさせたに過ぎない。もしも優しい緑子を失っていれば紫子は今以上に荒み、穢れ、大切なものをいくつも失ったに違いないのだ。
共に生きられる片割れの存在は絶対に必要なもので代替が効かない。だから自分には生涯緑子が必要で、緑子を克服するということは想像できない。紫子は生涯に渡って緑子を手中にしていなければどうにもならないし、緑子を手中にし続ける為に紫子は相当なことをしてしまう。
だがしかし。それによって緑子を傷付けたり、幸福を奪ったりしないと、どうして言い切れるのだろうか?
「大丈夫ですよ」
そう言ったのは、誰であろう茜だった。いつの間にか紫子の近くに来ていてそのアタマに手をやっていた。
「あなた達はどうしようもなく似た者同士。あなたが感じているものと同じものを緑子ちゃんも持っているのです。だからあなたは思うがままに振る舞いなさい。それが緑子ちゃんの望みでもあるのです」
「……あかねちゃん?」
「あなた達は依存心の強い甘えん坊。でも利巧ですよね。利巧だから自分を無限に受け入れてくれるのが誰かを知っている」
そう言うと、茜は紺本の手を掴み、捻り上げた。
「いたたたたっ」
紺本は苦悶の声をあげて紫子を離す。茜は紺本の胸倉を掴んでフェンスに押し当てると、もう片方の手で紫子の背中を押した。
「そっちの校舎の裏側です」茜は叫んだ。「行きなさい。待っているはずですよ」
「あかねちゃん!」紫子は感激してそう叫び、走り出した。「ありがとう!」
〇
才藤と緑子は一メートル程の距離を取って何やら話をしていた。才藤は酷く熱心な表情で緑子に語り掛け、緑子の表情はうかがえない。
一瞬、紫子は躊躇しそうになった。才藤の愛情が本物であるならば選択するのは緑子であるべきなのではないか?
そう考えつつも……才藤が手を伸ばして緑子の手を取ろうとしたので、紫子はとても我慢できなくなって突貫した。
「マサくん、緑子、ごめんっ!」紫子は後ろから妹の肩を抱き寄せ、自分の方を向かせる。思い詰めていた表情の緑子がこちらを向く。
「お……お姉ちゃ……」
「いかんといて!」紫子は妹を抱きしめた。「絶対無理! ウチおまえがおらないけんよ。ウチにはおまえがいるよ。どこにも行って欲しくないよ誰のトコにもいかんといてよ。お願いやよぅ!」
緑子はぽかんとした顔をした。マサくんはいっそ困惑していた。そりゃそうだ。数年がかりの愛の告白に、意中の彼女の実姉が乱入してきたらふつうはそうなる。意味不明だ。
「お姉ちゃ……」緑子はそこで、何事か察したような顔になって、次に感激したように目に涙を溜め始めると、正面から姉に抱き着きかえした。
「大丈夫」緑子は紫子の耳元で囁くように言った。「……フッたとこ」
息がかかるような距離で放たれたその言葉にふと力が抜けそうになる。すると緑子は自身の顔を姉の正面に向けると、紫子の頭をばっちりホールドして熱烈なちゅうをかまして来た。
「も、もがっ」
おもっくそ唇吸われた。ベロも吸われた。何もかも吸われた。緑子の持つ全吸引能力が紫子に襲い掛かる。テクニックも糞もない強引な力技のものっすごいちゅうをされた。紫子は腰を抜かし尻餅を付き、それでも緑子は姉に覆いかぶさってひたすら唇をむさぼった。
こいつとちゅうしたのは別に初めてじゃないがこんなものっすごいのは初めてだ。というかちゅうってこういうもんじゃなかろうに。妹の甘酸っぱい味わいに口内を支配され肉体的にも抑え込まれて、ついでに言うと心もやられた。アタマ真っ白で妹のことしか考えられない。
一分数十秒きっちり口内を蹂躙した緑子はようやく満足したような表情をうかべると、ちゅぽんと姉の唇から顔を離した。お互いの涎でべとべとになりながら二人は見つめ合い、緑子は顔を真っ赤にしながらこう言った。
「お姉ちゃん大好き! ずっと一緒にいる!」
×
少し前に遡る。
「ずっと君を想っていた。プロになれたら交際をしてほしい。必ず君を幸せにする」
才藤からのそんな告白を受けた際、緑子の答えはこうだった。
「ありがとう。でもごめんなさい。ダメなんです」
断ることは決めていた。自分を受け入れてくれる相手が姉しかいないことは理解していたし、その姉のことを緑子は大好きだった。二人きりでいるのが幸せだった。だから才藤とは何一つ約束をすることができなかった。
でも同時にこうも思っていた。自分は姉と一緒にいたい。けれど、その望みを紫子に突きつけ続けるのは、姉の脚を引っ張り続けることにもなるんじゃないのか?
自分はダメな子だ。大抵のことは姉の手を借りなければままならず、ほとんど毎日のように騒ぎを起こし、姉や周囲に迷惑をかけ傷付け怯えさせ疲弊させた。そもそも自分がいなければあの人は施設でももっとふつうの少女として振る舞えたし、あれほど傷だらけになることもなかったのだ。自分がいない方が姉は幸せなんじゃないかという苦悩を緑子は耐え難く持っていた。
それでも緑子は施設で紫子の傍にい続けた。自分がいなくなればきっと紫子は普通の少女になれただろう。だがそれこそが緑子が最も恐れていたことでもあった。普通の少女として振る舞いふつうに友達を作り、普通に高校に通う姉の姿を想像し、そこに自分がいないことを想うと気が狂いそうになった。姉がどこに行くのだとしても縋りついて傍にいたかった。その為に緑子はいくらでも命を賭けられた。
でもそんなのは緑子のエゴだった。
緑子の器量が良いというのなら姉の器量だって良い。同じ顔をしているのだ。そして紫子には大きな優しさや人情深さ、明朗さや勇気というものも備わっている。自分自身の心の傷と妹の緑子の両方を抱えた上で気高く立ち上がる強さを持っている。紫子は自分の力でいくらでも幸せになれるのではないか?
……まずは友達からでいい、自分を知って欲しい、君のことはなんでも受け入れる。才藤は語り掛ける。自分がしがみ付く相手をこの人に代えれば紫子は幸せになれるのだろうか? もしそうなのだとしても自分はそれを選択できない。緑子は大好きな紫子がいないと生きていけないし、才藤の恋愛感情が本物だったとしても自分の本当の姿を見せれば見捨てられることにきっとなるのだ。
だから自分は紫子にしがみ付き続ける。紫子の脚を引っ張り続けるのだ。
そう思うとつらかった。嫌だ、こんな自分は嫌だ。消えてしまいたい。
緑子が一人孤独に泣きだしそうになっていた時、背後から暖かい手が両肩に添えられた。
「マサくん、緑子、ごめんっ!」
紫子だった。強引に姉の方を向かされ、緑子は戸惑って「お姉ちゃ……」と絶句する。
「いかんといて!」紫子は妹を抱きしめた。「絶対無理! ウチおまえがおらないけんよ。ウチおまえがいるよ。どこにも行って欲しくないよ誰のトコにもいかんといてよ。お願いやよぅ!」
叩きつけるみたいにしてぶつけられたその感情に緑子はまずは驚いて、次に姉の気持ちが全身に染み入るのを感じると、感激の余り涙が溢れだして来た。
……何も心配することなかったんだ。この人は本当に自分のことを必要としてくれていたんだ。
狂喜に打ち震えた緑子はほとんど躁のような状態に陥ると、まず最愛の姉を安心させるべく耳元で才藤をフッたことを伝えると、あふれ出る激情に任せて姉の唇に吸い付いた。
今姉に伝えるべきことを最大の方法を伝える。これ以上のやり方は存在しない。
〇
「……何やってんの?」
緋口は言った。姉妹がものっすごいちゅうをしているところを目撃したのだ。
涎で妹とつながったままの紫子が恐る恐る振り向くと、緋口と紺本、茜と胡桃という新旧の友人達が勢ぞろいでその痴態を見詰めていた。
「キマシタワー」紺本がそう言って面白がるように胡桃を見やる。
「……ちょっと席をはずそうか」胡桃が優し気な声を出す。「お邪魔だったね」
「おお流石! 流石クルミン! 成すべきことを分かっている! 素晴らしい! 流石はぼくがファンになった唯一の配信者!」
「バカをおっしゃい」緋口が肩を竦めた。「あんたらまず口拭きなさいな。他人の趣味にどうこうとは言わないけれど、ここではやめな。才藤退いてるじゃない?」
とりあえず妹を起こして緋口の持っていたハンカチで口を拭いてやる。緑子は真っ赤にした顔でされるがままだった。恍惚の表情が怖かった。
「……ぼくは」才藤は一人力なくその光景を見詰めていた。「ぼくは、失恋したんだな」
「ごめんなマサくん」と紫子。「ウチ昔、野球がんばったら緑子が振り向いてくれるとか、アホなこと言うたやろ? その所為ちゃうんか? あんたがこんなに野球がんばったん。何年も何年もずーっと縛り付けてもうて……ホンマ、悪かったな」
「ううん。とんでもない」才藤は爽やかに微笑んだ。「ぼくは野球自体を好きになれたし、何より自分自身を好きになれた。それを与えてくれたのは君達姉妹なんだよ。君達には感謝以外の感情はない。君達は二人とも昔の通りの人だった。緑子さんには君と一緒に幸せになって欲しい。ぼくは野球をがんばる」
「任しとけや」紫子は言った。「命賭ける」
「あなたのことはお姉さんが慰めてあげますよ」そう言って茜が背後から才藤に抱き着く。「つらい時は身体を動かして忘れるのが一番でしょう。さあさあグラウンドへGOです。今度はあなたがバッターをやりなさい。胡桃くん、あなたキャッチャー経験あるんですよね? 受けてくださいな」
「君のストレート百二十キロ出るだろ? ブランクあるし受けられるかなぁ?」胡桃はぽりぽりと頬をかきながらそれに付いて行く。
才藤は強い男だ。強い男になった。自分達と違ってだれに依存せずとも己の脚で立ち上がり生きていくことができる。六年がかりの恋が碌に手も触れられないまま終わってしまっても、きっと立ち直るんだろう。
……そうでなければ困る。自分達姉妹をあれだけかき回したからには、それだけに足る男でなければ困るのだ。
「ウチらも帰るか。緑子」と紫子。
「うんそうだねお姉ちゃん」と緑子。
「まあ待ちなさい」と緋口。並んで歩き出そうとする姉妹の頭をそれぞれ両脇に抱く。「友達がいのない姉妹ねぇ相変わらず。ねぇ、私達せっかく再会したんだからさ。ちゃんと旧交を温め直しましょうよ。あんたらの姉妹仲を引っかき回すみたいなことしちゃったのは謝るし、お詫びに奢るからさ。カラオケとか行きましょう?」
「それが良いでしょう」と紺本。「久しぶりに聞いて見たいものですよ。緑子さんの『隣のトトロ』のメロディで『翼をください』歌う特技。あれ本当腹抱えて笑えますからねぇ」
昔の友人の二人は無邪気な笑みを姉妹に注いでいる。そこには親愛があった。何年たっても昔とまったく同じように振る舞ってくれ、昔とまったく同じような笑顔を向けてくれる、そんな応えるべき確かな親愛が。
「そうするか緑子」「うんお姉ちゃん」
「よっしゃ。じゃあ行こっか!」
そう言って緋口がまず前を歩き出し、そこに紺本が寄り添い、後ろには自分達姉妹だ。楽しかった当時と何も変わらない気持ちで姉妹が微笑み合ったところで、この話はおしまい。
シーズン3はこれにて完結です。お疲れさまでした。読了いただき本当にありがとうございます!
長めの話が多く終盤はシリアスな展開も多かった2と比べて、コメディ小説としての初心に立ち返った感じです。執筆する前から西浦姉妹の彼女たちのペースというか幸福な在り方というか、彼女たちらしさみたいなものを確認する章として位置づけていたのですが、そういうものに仕上がっていたのなら幸いです。
ところでこの話を投稿し終えた時点での全文字数が多分だいたい四十四万文字ってところになると思うんですが、西浦姉妹はこのシーズンにて私の全作品中の最長記録を更新したことになります。
それだけ私自身思い入れのある作品であるということはもちろん、読者の皆様がたの応援のおかげでもございます。この文字数はこれからも伸び続けることでしょう。シーズンいくつまで行くのか自分自身楽しみでもあります。
次回からの予定なのですが、すぐにシーズン4に移行するのではなくて、ちょっとした番外編を挟んでみようと思います。
というのも、裏で『西浦姉妹』と世界観を共有するとある小説を書いていたのですが、これが先日無事完成いたしまして。どう扱うか作者的にも少し悩んだのですが、姉妹の過ごした養護施設が舞台で西浦姉妹もガッツリ登場していることから、どうしてもこれを『西浦姉妹』の読者様がたに読んでほしくなった為、こちらに投稿させていただくことと相成りました。決してその間に書き貯めを作っておこうとか思っている訳ではない。
『西浦姉妹』では初めての一人称です。語り部は新キャラですが、中学二年生の西浦姉妹が活躍します。ほかのキャラの一人称から描写される姉妹というのは作者的にもかなり新鮮で、自分としては彼女たちのことをもっと好きになりました。
今までとはちょっと気色の違った内容とはなりますが、どうかお付き合いいただければ幸いです。これからも西浦姉妹をよろしくお願いします!




