姉妹、お菓子くれなきゃ悪戯する 3
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『できたわ』
とばかりの表情でハイカワさんは顔をあげた。
「どないなっとるん?」
そう言ったのはジャックランタンからゾンビへと変身した紫子だった。
全身を赤黒いケロイドに塗られ、むき出しの筋肉や骨をペイントされ、目玉は零れ落ち唇は引きちぎれ鼻は潰れたような加工を施されている。しっかり見ればそれがただの良くできた作り物だと分かるのだが、しかし生理的嫌悪感が冷静な視野を奪うため、初見で催すのは確かな恐怖に違いない。
その証拠として、ハイカワさんと紫子の大小のゾンビに、行きかう人々は微妙な距離を置いて怯えた視線を向けていた。悲鳴をあげるものもいるし、途中一度だけ警備員らしき男に『流石にグロテスク過ぎるのではないか』という注意も受けた。茜が言いくるめなければ家に帰されていた可能性もあっただろう。それほどの完成度だった。
「すごいよハイカワさん! お姉ちゃん!」緑子は姉の焼けただれた両手を握った。「お姉ちゃんすごい! カッコいいし可愛い!!」
生理的嫌悪感を催す姿となっても、緑子にとって姉はいつだって素敵な存在だ。写真に撮っていつまでも眺めていたいくらいキュートだ。
「か、可愛いんか、これ……」紫子は困惑した表情だ。「いやおまえゾンビとかそういうん好きやねんけど、可愛いかったら意味がないような……」
茜がどこからともなく手鏡を持って来て紫子に見せると、紫子は「ぎゃあああ!」と本気の悲鳴をあげて尻餅を着いた。
「これがあなたの姿です」茜は迷惑そうな表情の通行人に手鏡を返す。「ばっちりですね。北野さん、その道のプロを目指したらいかがで?」
『センモン学校に行くオカネがない』ハイカワさんはせつないことをノートに描き記した。『アマチュアの画家としてかいた絵をコウボにだすくらいが分ソウオウ』
「なに、ずん、ねぇん」紫子は己の姿があまりにも怖かったのかずるずる泣いている。無警告だったので、怖いというより驚いてショックだったんだろう。緑子はそこに寄り添って抱きしめてあげた。怖かったね、よしよし。
「作戦はこうです」茜はそう言って大小のゾンビと片割れをゾンビにされたジャックランタンの前に出た。「まず緑子さんが胡桃くんに声をかけ、胡桃くんをパイレーツ女から数メートル引き離す。そこで等距離にいるわたしの存在を胡桃くんに伝える。しかる後、二人のゾンビが同時にわたしとパイレーツ女を襲います。果たして胡桃くんはどちらを優先して助けるのか……というのが今回の愛情テストの内容となります」
「胡桃さんが二人を置いて逃げる可能性は?」と緑子。「こんなに怖いんだもん。そうなっても責められないよ」
「そんなんどの道不合格やわだ」と紫子。「ホンマに好きな相手は命懸けで助けんとあかんのやで。少なくとも、その姿勢を見せ続けなんだら。まあ胡桃さんに限ってどっちも助けんっちゅうんはないと思うけどもな」
『人をためすみたいなことはほめられないけれど』ハイカワさんはノートにそう書いた。『でもそれでアカネさんがナットクするなら、しょうがないわね。協力するわ』
「せや。不安にさした胡桃さんが悪い」と紫子が言った。
大事な相手を信用できないのってとてもつらい状況だよなと緑子は思う。緑子は姉のことを信用しなかったことなどないし、今後も信用し続けてられると確信しているが、けれども茜の心境に同情しない訳じゃない。彼女の不安を払しょくする為に協力する。
「では作戦開始です」茜はそう言って人差し指を立てた。「全員、持ち場に付きなさい」
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「く、く、胡桃さぁん」
緑子がそう言って背後から声をかけると、まずパイレーツ女が振り向いて、しかる後ブラックキューティの扮装をした胡桃が振り向いた。
「なにこの子、可愛い!」パイレーツがそう言って緑子に近寄る。「南、あんたの友達?」
パイレーツが胡桃を『南』と名前で呼んだので、緑子は息を呑みこんだ。やはり親密なのだ。
「そんなところだけれど……」胡桃は困惑したような表情すら浮かべて見せた。「大丈夫緑子さん? お姉さんとはぐれちゃった?」
「い、今は、ひ、一人で……」緑子は緊張のあまり口をぱくぱくさせる。
「へぇ? こんなところに? 君が? 一人で?」胡桃は目を剥いた。「珍しいね」
設定に無理があるということを指摘した者は誰もいなかった。紫子だけは『なあおまえいけるん? ホンマに一人でいけるん?』と過保護丸出しだったが、緑子はそれでも胸を叩いて己の任務請け負ってきたのだ。なんとか誤魔化さねばならない。
「カワコソキキト神がわたしを操ってここまで連れて来たの!」緑子は渾身のごまかし文句を放った。カワコソキキト神が緑子を操ったのであれば、一人でこんなところまで来てもおかしくはないはずだ。胡桃も納得してくれるだろう。
「…………」胡桃は眉を顰めて緑子を見た。「……ちょっと待ってね緑子さん。お姉さん呼ぶから」
「そ、その前に」緑子は胡桃の袖を引いた。「ちょっとこっち……胡桃さんだけ、来てくれないですか……?」
「え? あ、ああ、ちょっとまって」胡桃はパイレーツの方を見た。
「なんか知らんけど行って来たら?」パイレーツは訝し気にしつつもそう言った。「待ってるよ」
「了解。じゃあ緑子さん、いったんぼくが君の言うところまで付いて行くけど、それが終わったらお姉さん呼ぶからね。落ち着いていてね」
「ああ、うう、はい」
もうちょっと上手に連れて来られるイメージだったのだが、思いのほかたどたどしくなってしまった。これから胡桃に酷いことをしようとしているという罪悪感がそうさせるのかもしれない。たくらみがばれた訳ではなさそうだったが、なんだか変な心配のされ方をしてしまっている。
脚を引きずりながら胡桃を先導して歩く。パイレーツから五メートル離れた場所まで連れて来た。茜は「数メートル」とだけ言っていた。このあたりでいいだろう。
「こ、ここで……」緑子はそう言って胡桃を見た。
「あ、そう」胡桃は警戒しきった表情で緑子を注目した。「ねえ緑子さん、いったいなに……?」
「きゃああああ!」という、かなりあからさまな悲鳴が胡桃の背後の方から聞こえて来た。
胡桃が弾かれたように振り向くと、フランケンの怪物の姿をした茜が背の低いゾンビに襲われていた。ゾンビは片手に包丁を持って奇声を発しながら振り回しており、茜は驚いた様子でその場を固まっている。
「茜さん?」胡桃はそう言ってそこに駆け寄ろうとした。
「ま、待って!」緑子は自身の役割を遂行すべく、胡桃の袖を引いて反対方向を指さす。「あっち!」
緑子が指差した先には、今度は背の高いゾンビがパイレーツを襲っていた。両手を前に突き出して前のめりに疾走するゾンビの生理的に恐ろしい姿に、パイレーツは両手で口を押えたまま後退する。その表情には強い動揺が見て取れ、足を縺れさせて転倒するのも時間の問題に思えた。
どちらも襲われるのは秒読みに思える。だが胡桃の身体は一つだけで駆け寄れるのは一人しかいない。どうするのか?
胡桃が判断に要した時間はパーレーツと茜に順番に視線を向けた一秒間だけだった。胡桃は茜の方に身体を向けると、手にした魔法のステッキをサイドスローで背の低いゾンビに向けて投擲する。包丁を振り回すのに夢中だったゾンビは足者に飛んできたステッキに足を取られて見事に正面から転んだ。
「お、お姉ちゃああん!」
緑子は叫んで姉に駆け寄った。あんな風に顔から地面にぶつかったら大変だ。とっても痛いに決まっている。泣いちゃうかもしれない。あんなの今すぐに行ってあげなくちゃかわいそうだ。こうなったら作戦なんてもう関係ない。緑子は無我夢中で最愛の姉の元へ走った。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん大丈夫?」
脚を引きずりながらもどうにか姉のところへたどり着いた緑子は、うつ伏せで地面に倒れて涙目になっている紫子を抱き起す。鼻血が出ていた。友達のお願いを聞いて一生懸命に演技をやって最後は鼻血を出すだなんて、お姉ちゃんはなんて立派なんだろうと緑子は思った。
「み、緑子……」紫子は鼻血を拭いながらどうにか起き上がり、座り込む。「緑子……胡桃さんは……」
「え?」緑子はそう言われて初めて気づく。胡桃がこっちに駆け寄ってきてない。
「……あそこですよ」茜はそう言って緑子の背後を指さした。「パイレーツの方へ行っています」
緑子はそちらを見た。長身のゾンビに襲われるパイレーツの前へ出て、ゾンビとにらみ合う黒い魔法少女の姿が目に入った。
「そんな……っ」
胡桃はあのパイレーツ女を取ったのか? 彼女の方が茜よりも大切だというのか? 胡桃がこれまで茜に示して来た忠義や好意といったものは全て偽物で、あちらのパイレーツ女が胡桃の本当に大切な人なのか?
いいや。そうとは限らない。だって胡桃は茜のことだって助けたじゃないか? マジカルステッキを紫子の足元に放り、転ばせるという形で茜が逃げる時間を稼いだ。茜の運動神経の良さを考えれば、そのくらいの時間があればその場を逃げ果せると考えたのだろう。たいしてパイレーツ女に長身ゾンビの相手は厳しいという判断なのだ。そうに違いない。
「そりゃわたしだったら、転ばせるくらいの援護射撃をもらえりゃ、逃げるでも反撃するでもなんでもできますけどねぇ」茜はそう言って膝を折りたたみ、膝に肘をついて顔を手の平に乗せた。拗ねた表情だ。「正しい判断かもしれません。文句を言う筋合いはない。しかし、わたしの乙女心はどう癒されればいいのでしょうか」
そのとおりだ。確かに胡桃は全員を助ける為の最善の行動を取った。男の子っていうのは合理的で冷静なのだ。しかしその正しい行動によって茜の心が傷付いたことも確かではある。もちろん胡桃を責められないことは、これが最初からこちらの仕掛けた寸劇であることを差し引くまでもない。しかしだからこそ茜が救われなかった。
「……やりきれんなぁ」紫子はそう言って緑子の肩を掴んだ。「あかねちゃんのことは一緒になぐさめたらんか。とにかくこの御芝居はもう終わりにしよ。今から行ってハイカワさんのこと止めてこよう。ケガ人が出てもあかんしな」
「うんそうだねお姉ちゃん」
頷き合い、姉妹がむくれて膝を畳んでいる首謀者の代わりにお開きを宣言しに歩き出した時だった。
「やいやいやい! 異形の怪物よ、この世に執着し彷徨う亡者よ!」
パイレーツが威勢の良い声を発し、黒い魔法少女を押しのけてゾンビの前へ出た。
「南に手を出そうというのなら、このキャプテン・サウザントフォールが容赦をしない! 成敗してくれようではないか!」
パイレーツは演技染みた口調でそう言って、おもちゃの長剣を差し出した。ゾンビのハイカワさんはその長剣を見て首を傾げたが、喧嘩を売られているのを察したのか、両拳を握って背筋を伸ばした。あんなにちゃんとまっすぐ立ってるハイカワさんを緑子は始めて見た。
「ちょ、ちょっとちょっと。危ないって、ここはぼくに任せて逃げ……」
「なぁに恰好つけてんの。あんたはアタシの後ろで守られてりゃいいの。昔はいっつもそうだったじゃない? 甘えん坊でさ」
「そんなこと言ってる場合じゃ……」
「初見でビビッて動けなかったけど、よく考えたらマジのゾンビな訳がないんだよね。そういう不審者? それともドッキリ? 知らないけどさ、南に手ぇ出そうってんならまずはアタシが相手だ。なんせ……」
そう言って、キャプテン・サウザントフォールはその場を大きく踏み込んで、背筋が伸びて戦闘態勢になったゾンビに向けて勢いよく切りかかった。
「南はアタシの大事な弟だ!」
衝撃の事実を口にしながら放たれた斬撃は、ゾンビの顔面に綺麗に命中する。
ハイカワさんは付き合いの良さを発揮して、その場で尻餅を着いて『やーらーれーたー』とばかりに仰向けになった。




