姉妹、お菓子くれなきゃ悪戯する 1
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緑子が家で姉の帰りを待っていると、自分の持っている携帯電話が鳴り響いた。
恐る恐る電話を取り相手を確認する。紫子だった。一安心して電話を出る。
「なぁにお姉ちゃん」
「なあ緑子。ちょう玄関開けてみてくれん?」
気持ち弾んだ姉の声。緑子は小首をかしげながら言うとおりにする。
カボチャの面を被り、黒い帽子とマントを着用した怪人が、お菓子の詰まった缶を持っていた。
「トリック、オア、トリート!」怪人は紫子の声で叫んだ。「お菓子くれんと悪戯するでぇ」
「わ、わぁ! こわぁい」緑子はきゃっきゃと笑いながら己の身を抱いた。「でもカボチャさん。お菓子はあなたが持ってるよ?」
「それもそうやな」カボチャの面の怪人はそう言って自分の持って来たお菓子の缶を見やる。「ほなお菓子やるけん悪戯さして?」
「それじゃ不審者だよう」緑子はくすくす笑う。「じゃあ交換しよう。ちょっと待っててね」
そう言って奥へ引っ込み、台所で冷やしていたクッキーを皿に乗っけて持って来た。
「クッキー焼いちゃった。どうぞお姉ちゃん」
「おおーっ! 美味そうやん」紫子はそう言ってカボチャの面を外してクッキーをつまむ。「うんと甘いな! やっぱりおまえは天才や!」
「えへへぇ」
今日はハロウィンである。緑子がクッキー作りなんか試みたように、紫子も紫子なりに自分とイベントを楽しもうとしてくれたようだ。
「バイト先のスーパーに置いとったねん」そう言って紫子はお菓子の缶を机に置いた。「ウチが今着とるジャックランタンの仮装道具に、お菓子の小さい缶が付いてくるんや。一緒に仮装できるようにおまえの分も買うたで」
そう言って紫子はビニールに包まれた仮装セットを緑子に渡してくる。ボール紙でできたお面と帽子、安っぽい布のマントという内容。贅沢をしない紫子が買って来たものだけに安いものだ。
凝った仮装で町を練り歩く若者たちのニュースが流れているが、自分達のスケールとしてはこんなものだろう。大好きな姉と一緒に仮装をしてお菓子を食べてこれ以上何を求めるというのか。
「似合うとるで緑子」とジャックランタンに扮した緑子を称賛する紫子。
「えへへぇ」とジャックランタンに扮した緑子。
「しっかしなんでハロウィンといやカボチャ怪人なんやろな。ジャックランタンってあんま怖いって感じせぇへん。むしろ可愛らしい」
「カボチャを依り代にこの世にとどまり続けてる亡霊なんだってさ。昔ある男がハロウィンの夜に悪魔を騙して自分を死後に地獄に連れて行かないことを約束させるんだけど、でも天国に行ける程の善行も積んでなかったから、この世でカボチャの怪人になっちゃったの」
「ほへぇ。でも地獄よりマシやし良かったんちゃう?」
「わたし達も死んだら二人でカボチャの怪人になって一緒に悪戯する?」
「天国行こうや」
そんなやり取りをしながらクッキーをパクついてると、チャイムの音が鳴り響いた。
「なんやねーん」と立ち上がる紫子。「こんな時間に誰やろ?」
「ま、まさか……本当のお化けがお菓子を奪いにやって来たとか……」想像して怯える緑子。
「アッハッハ。ほんなんメーシンやでメーシン。おまえは怖がりやなぁ」言いながら玄関に向かい覗き穴を除く紫子。「どれ、お姉ちゃんが出たるわ。多分セールスかなんうぉおおおぁああ!」
紫子は悲鳴を上げてその場を逃げ出し、おもっくそ壁に頭をぶつけて停止した。
「お、お姉ちゃぁあん!」緑子は哀れな姉に縋りつく。
「ババババ、バケモンや! バケモンや!」紫子は腰を抜かして目に涙を浮かべる。「怖いぃいい! アレあかんってぇええ!」
「な、なに、何がいたの?」
「ゾンビや! 全身まっ茶色に腐っとるどろっどろのゾンビや!」
緑子は息を呑みこむ。そしてふと玄関の方へ視線をやると、傍の窓に写っている背の高い影が目に入った。
乾ききった長い髪を振り乱し、ケロイド塗れのグロテスクな顔をしたゾンビがそこに立っていた。闇色の虚空でしかない瞳と圧し折れた鼻を持ち、唇は何故か太い金糸のようなもので縫い合わされている。血まみれのシャツを一枚着ているだけで細長い手足はむき出しになっており、どろどろに腐った皮膚のあちこちから骨や筋肉がむき出しになっていた。
「ひ、ひぇえええん!」緑子は悲鳴を上げて姉に縋りついた。「怖いよぉおお姉ちゃああん!」
「だ、誰や! 誰やこんな性質の悪い悪戯を仕掛けたんは!」紫子は緑子に抱き着きながら叫んだ。「そ、そ、そ、それとも本物か? 本物のゾンビか? まさか?」
ゾンビはしばらく紫子達の方を見詰めていたかと思ったら、ふらふらとした足取りでその場を立ち去っていく。興味を失った動物であるかのような無邪気な仕草だ。
緑子が涙に濡れた顔で姉の方を見やると、紫子は息を吐き出して頭を撫でてくれた。これで少し気持ちを落ち着けられる。
と思うのもつかの間、ガンガンガンガンと玄関を叩くような音が鳴り響いた。
「ひぃいいい!」「うわぁあああん!」
姉妹は抱き合いながら悲鳴をあげた。明らかに何かが玄関を激しく叩いている。それが先ほどのゾンビの仕業であることは容易に想像でき、緑子は息もできずに姉に縋りついて泣きじゃくるしかない。怖すぎる。
「性質悪いわ!」紫子は怯えた声で言った。「性質悪いわ性質悪いわ! なんやねんマジで!」
その声に反応したように、いったん玄関を叩く音が止む。数秒して携帯電話の着信音が鳴り響いた。
発信者を確認する。『あかねちゃん』
「……ウチや」紫子は携帯電話を手に取る。「……あかねちゃん?」
紫子が電話に出ると、電話口から緑子にも聞こえる音量で茜の声が出た。
「わたしです!」
「あんたかいな!」と抗議するような声で紫子。
「ええまあわたしですとも。悲鳴あげてないでとっとと出てくださいな。せっかく遊びに来たっていうのに」
「……なんやぁ自分、仮装凝り過ぎやろ。玄関叩くんもちょうやりすぎやわ。緑子泣いてもたやんけ」
「とか言いつつあなたの声もちょっと泣いてますよ?」
「誰の所為や!」
「HAHAHA怖がりさんですねぇ。それだけ私の仮装がハイレベルだったというのもあるのでしょう。……覗き穴から覗きでもしたんですかね? 確かにまあまあ迫力という物は追及しましたが……」
「…………ああもう。あんたに何いうてもあかんな。うん、ウチらと遊ぶために一生懸命仮装してきてくれたんやし、まあお菓子くらい食うてってや。悪戯されたらかなわんしな。早く顔出して緑子を安心さしたって?」
言いながらも姉は頭を撫でるなどして緑子をなだめてくれていた。緑子が一つ深呼吸をして微笑み『もう大丈夫だよ』というサインを送ると、紫子はぽんぽんと頭を叩いてから玄関へ向かった。扉を開ける。
「トリック・オア・トリート!」『フランケンシュタインの怪物の仮装をした』茜がそう言って姿を現した。「悪戯しますしお菓子ももらいます!」
「あ、あかねちゃぁあん?」紫子はそう言って目を剥く。「え、ちょ、待って。おかしい? ゾンビやないんか?」
「ゾンビ? 何のことです?」マーカーで描いたみたいな継ぎはぎを全身にペイントし、全身を青緑色に塗ってボロのスーツを着た茜は小首を傾げた。「このとおり私はフランケンの怪物ですが?」
「待って? 待って待って? さっきのゾンビは? あんたの仮装も大した凝りようやけどレベルがちゃうねん。あれはホンマに腐った死体が歩きようようにしか見えんかった。いったいこれはどういう…………」
などと紫子が言っている途中、茜は何かに気付いたように目を大きくして視線を一点に釘付けにしていた。
そっちを見る。
玄関と反対側の窓に、さっきのゾンビが張り付いていた。細長い両手を蜘蛛みたいに窓にへばり付かせ、こちらに入りたがっているかのように窓に額をこすりつけている。ゾンビはガラスの存在に気付かない動物のように身体を窓にたたきつけ、窓はその度にギシギシときしむような音を響かせていた。
「ぎゃああああ!」と茜。
「うわぁあああ!」と紫子。
「ひぃいいいい!」と緑子。
しばらくするとふらりとゾンビはその場から消える。茜はふらふらと尻餅をついた。
「な、なんだよ……、ちょっと、もう、ダメだって。何? アレ?」
「さっきから家の周りをうろうろしよるねん!」紫子は叫んだ。
その時だった。茜を招き入れて開けっ放しだった玄関のノブを、何かが反対側から握るような音がした。
古く立て付けの悪いドアがギィと音を立てる。ゆっくりと扉が開かれる。
ゾンビがいた。
シャツもジーンズも血まみれの泥まみれのゾンビはゆっくりした足取りで部屋に押し入って来る。緑子は滂沱の涙を流しながらゾンビを見据えて硬直し、茜は青白い顔で力の抜けたように首をこかし、紫子は歯を食いしばって半狂乱の様子で立ち上がった。
「な、なんやねん!」紫子は吠える。「く、く、来るな。こっち来るな。や、やめぇや、やめて、来んといて、怖いで……お願い……っ」
ゾンビは軽く小首をかしげると、ジーンズのポケットから小さなメモ帳を取り出して、マーカーで何やら大きく文字を描いてこちらに見せた。
『こわがらないで』見覚えのある書体だった。
「誰ですかあなたは!」茜が腰を抜かしたまま叫ぶ。
『北野よ』ゾンビはノートにペンを走らせる。『トリック・オア・トリート』
顔をよく見て、緑子は納得した。これはハイカワさんだ。自分達の良き隣人で、極端な長身痩躯の絵の上手な女性だ。元々が痩せ細って背の高い特徴的な外見をしているのと、ゾンビのメイクがものすごく上手なので、本当に怪物だと思い込んでしまった。
『驚かせすぎちゃったわね。ごめんなさい』北野はそうノートに描いて、それから迷ったように書き足した。『おもしろかったわ』
紫子はへなへなとその場に座り込んだ。




