姉妹、兵達を従える 2
〇
ユウコちゃんの死により悲しみにくれ打ちひしがれた様子の緑子の肩を紫子は叩いてやり、『もう今夜はなんもせんとクスリ飲んで寝ぇ』と告げた。緑子は素直に言うことを聞いた。基本的に緑子は姉のいうことだけは状況を問わずに聞く良い子だ。
最近クスリ減らし過ぎだったかもなあと反省する。薬で寝ている妹の傍ら、殺せる限りのゴキブリを始末した後、紫子はカップラーメン食って寝た。自分じゃ料理できなから妹がいないとろくなもん食えない。
その翌日。紫子はドラックストアに燻煙剤買いに出かけた。薬飲ませて一晩寝かせればまあまあ正気になるので、緑子は納得してくれていた。
家に戻ると、マンションの通路で緑子が鼻水垂らした小学生に輪ゴムで襲われていた。
「や、やだよー! 痛いよーやめてよー。うえぇんっ……」
「うぇへへへ。なんだよーこいつ全然やり返さねぇし。おもしれーうぇへっへへへ」
輪ゴムを箱ごと持って来てぴこぴこ指から発射するジャリ(推定八歳)。通路の隅に追い込まれて頭を抱えてぶるぶる震えてている緑子(十六歳)。長い髪の毛には小学生が発射したものらしき輪ゴムが何本もひっかかっていて、ばちんと音がして体にゴムが被弾する度びくりと震えている。
哀れにも程がある妹の弱っちさに紫子は激しく涙腺を刺激されつつも、鼻水垂れ流しながら緑子を襲う小学生を背後からしばき倒した。
「あだひん!」真正面からコンクリートに叩きつけられるクソジャリ。
「何してくれとんのやガキんちょおうこらぁ!」紫子は叫んでからジャリの胸倉をつかむ。「この二階から放り投げるぞクソガキャぁ!」
「う、うわあぁん。怖いよーこの人ぉ」小学生は滂沱の涙を流す。「助けてーかあちゃああん」
「二度と悪そすなよ。えぇな?」紫子は小学生を放り出す。小学生は泣きながら逃げ去って行った。見覚えがある一階に住んでるオバハンのガキだ。後でそっちにも文句言ってやろう。
「お、お姉ちゃあん」緑子は小学生と同じくらい泣きじゃくりながら、姉に縋るような視線を向ける。「ありがとぉお……」
「……緑子おまえ何やっとるねん」紫子は妹に歩み寄り、その哀れにも程がある肩に手を回した。「……あんなジャリになぁ。つかなんで外に出とるん?」
「えっとね、そのねぇ……」
家で一人で姉の帰りを待っていると、何者かにチャイムを鳴らして逃げる遊びを何度かやられた。いわゆるピンポンダッシュという奴。そのあまりの苦痛から恐る恐る除き穴を見ると相手はさっきの小学生。勇気を出して『やめてよー』と言いに言ったところ輪ゴムで反撃にあい、結果あの有様ということだった。
「ありがとぉお姉ちゃぁあん助けてくれてぇ。びぇええんっ……」緑子は姉に縋りついて泣きじゃくる。
「……うん、うん。もういけるで緑子。お姉ちゃんおるけんなぁ」妹が満足するまで抱きしめてやる。多分こいつはカナブンにも負ける。バッタとも精々良い勝負だろう。自分がいてやらねばならない。
紫子は妹は自宅に待機させ、さっきのジャリの母親に文句を言いに一階へ降りた。
「ごめんくださいーい」と紫子。
「何よこんな時間に! 仕事終わって寝るとこなんですけど!? うるさいのは息子だけで十分なんですけど!?」母親が顔を出した。
ファンデーションを粗末なコンクリートみたいに塗りたくった不惑くらいの女である。派手な色の金髪をライオンの鬣みたいに振り乱していて、安物の香水のにおいを振りまいている。
「か、母ちゃんそいつだよお」ゴミ屋敷みたいな部屋の真ん中で泣いている小学生が紫子を指さした。「そいつがボクをいじめたんだよ。叱ってよおおお」
「そいつがウチの妹をいじめたんや」紫子は指をさし返してやる。「監督責任やで、母親やったらな。ああ!?」
「っどくせぇ!」母親は舌打ちをして息子と紫子をそれぞれ睨んだ。「やれいじめられたから叱ってくれだのなんだのと。てめえらガキか? いやガキだったな。こっちだってしんだいんですけど!?」
「あんやと!?」紫子は吠える。「そのバカ息子はなぁ!? 人さまの家ピンポンダッシュした挙句、注意しに来たウチの妹を輪ゴムでいじめたんや! 許されることか? 母親やったらなんとか言ったらんかいこの厚化粧女!」
「誰が厚化粧女だこらぁああ!」母親はそう言って酒臭い口臭を浴びせながら紫子の胸倉をつかんだ。「てめぇみたいな十台とは違うんだよこっちはなぁ! 何もしなくてもぴちぴちつるつるで良いご身分かよぉお! ああ!? こっちは四十近づいてシミもシワも増えて身体もたるんでそんでも客を取らなきゃいけねえんだよぉおおざけんなぁああ!」
あまりの剣幕に紫子はたじろぐ。それは数年間にも渡り蓄積された若い女への憎悪という憎悪が凝縮された恐ろしい咆哮だった。十六歳の紫子では、とうてい太刀打ちできるらくもない。
「てめえ二十年後三十年後同じことあたしに言えるか? 言えねぇだろうなあその頃にはそのキレーな肌もガッサガサのボロボロだかんな? アハハハハ笑っといてやるよ今だけだよそれなアッハハハ!」やけっぱちみたいに笑ってから、母親はふうと息を吐き出して、ドスの効いた声で言った。「…………帰れ、ガキ」
「あ、あんた、自分のガキのやらかしたこと一言くらい謝ったらどうや?」とたじろぎつつも紫子。
「知るか! てめぇの妹ってのはちょくちょくでかい声で喚いてるあのキチガイだろ!? ウチのたっくんは何も悪いことはしてないのにおまえにどつかれたっつってんぞ? じゃあいじめられたっていうのおまえの妹の狂言じゃねぇの? 自分トコの被保護者の面倒みきれてないのはおまえも一緒なんだから、偉そうなこと抜かすなっつの!」
「な!?」これには流石にカチンとくる紫子。「緑子はわざと嘘やつかんし、だいたいウチはこの目で見たんやで!?」
「しーるーかー! ガキの問題はガキ同士解決しろっ!」母親はそう言って紫子を年季の入った張り手で通路の壁に叩きだし、扉を閉める。「二度と来るな!」
その後は紫子が何度チャイムを鳴らしても反応なし。ぷんすか怒っていると、後ろからちょいちょいと肩をつつかれた。
『その母子に何言ってもムダ』ノートを掲げた北野だった。『あたしもこの間、こどもがうるさいってもんく言いに行ったけどつきかえされた。大家さんも手をやいてる』
「メーワクな奴らやなー。確かにあのガキはたまにうるさいわウチも」紫子は腕を組む。
『ショージキ、うるさいのはあなたたちもまあまあだけど』北野はそうマーカーで描き込んで、申し訳程度に『(笑)』を付けたした。『普段はそうでもないけれど、緑子ちゃんにスイッチが入った時と、あのにぎやかなお友達が来てる時はね』
「そらすまんな。妹についてはウチの監督不行き届きや。……あかねちゃんについてはまあ、来てくれると嬉しいけど、帰るともっと嬉しい類の友達やねん」
『てれ屋のさみしがり。自分しゅぎのさわぎ好き。ぎあくてきだけど本当はぎり深い』北野はそこで一瞬手をとめ、控えめに書き足した。『フリーダムハイスペックひとりぼっち』
「なんやフリーダムハイスペックひとりぼっちって……。ま、まあなんか分かる。的を射とるな」
『前半はあなたの妹さんによる人物評』北野はそう書き込んで、今度はさっきとは別のニュアンスでだろう、『(笑)』と付け足した。『でも安どうさんにはこまったものよね』
「アンドウさん?」
『そこの母子の名前』
「『魔王アンドー』……」紫子は顔をしかめる。
『どうしたの?』
「いや……」
こんなところに由来があったとは。意識してそう付けた訳ではないだろうが深層心理で結び付けられているのは間違いがない。もしかしてあいつはちょくちょくあの小学生にいじめられてるんじゃないだろうか。だとすればますます哀れである。
「母子ともどもムカつくわ。あの不細工で水商売して子供大きくしよることは立派やけんども、ほんでも息子が緑子をイジメよるんを母親が看過しとんのは許せへん。報復せんと」
『何かするの?』
「……どないしょかな?」
腕を組んで考えて、そこで紫子はあるとても素晴らしいアイデアを閃いた。
「せや! ちょうどええ方法がある!」
『どうするの?』北野は首を傾げた。
「今は秘密」紫子は歯を見せて笑う。「まあまっとれや。ひいひい言わしたるで。アハハハハっ」




