姉妹、旧友に再会する 1
〇
「お姉ちゃん。写真を撮ろう?」
と緑子に提案されたのはイ〇ンのフードコート内のことであった。日用品を買いに来たついでに、昼食を取ろうとしていたところだ。
緑子が掲げているのは型遅れのガラバコス携帯である。ただ『姉と連絡を取る為の機械』としかみなしていなかったそれの使い方を、ここ最近の緑子は少しずつ学習しつつあった。紫子が遊び方を教えたテト〇スが大変面白かったらしく、他に遊びはないかと色々な機能を試したようだ。それでいつの間に、写真の撮り方も理解したということらしかった。
「えぇけど、唐突やな。……前は写真なんか『写真の中に魂を閉じ込められる』とか怖がっとったのに」後半は小声である。聞こえたら寝た子を起こしかねないから当然ではある。
「ほら最近、ゴハン食べる時に写真を撮ったりする人がいるでしょう?」緑子はテレビで見たかなんかの知識を語る。「ああいうのやってみようかなって」
「ああ。そんでその食いモンの写真わざわざネットとかに乗っけるんやってな」紫子は言った。「なんかおもろいんか? それ」
「いいからいいから」そう言って、緑子は紫子の傍に体を密着させる。「はいお姉ちゃん、ちーずちーず」
「食べモン撮るんちゃうんかい」紫子は笑う。どうやら自分との写真を撮りたくてその口実を口にしただけだったらしい。他愛もないことだ。「はいはい、ちーずちーず」
姉妹の写真を撮り終えて、満足げに写真を確認する緑子。微笑んでそれを見守る紫子。
しかしそこで、緑子の表情はみるみるウチに蒼白になった。まさか心霊写真と見なせるような何かが映ってでもいたのか? などと思い、紫子は携帯電話を覗き込む。
そこには、姉妹の後ろで両手をチョキにして舌を突き出した女が、瞳孔かっぴらいてカメラの方を凝視している姿が映し出されていた。俗に言う『アへ顔ダブルピース』という奴。
「あわわわわ」「ひええええ」姉妹はそのおぞましい光景に抱き合って震え上がった。
「だ、誰? 誰誰誰?」「だ、誰や、こんな訳わからん悪戯する女は?」
「私です!」紫子の背後から、女性アナウンサーのような良く通る声が至近距離で浴びせられた。心臓が飛び出しそうな驚きを覚えながら、二人は弾かれた振り返る。
そこにいたのは写真に写っていたのと同じ女だった。すらりとした体格で背も手足も長く、大人びて見えるが実際の年はおそらく二十歳にもなってないくらい。両手にはラーメンとうどんが乗ったお盆を抱えており、妙に自信に満ち溢れた表情で白い歯を見せて不敵に微笑んでいる。一見して分かる『綺麗な人』だ。
「誰や!」紫子は混乱して言った。
「あら寂しいことを言いますね。この顔に見覚えがないですか?」
「キチ〇イみたいな顔で写真に勝手に映り込んだ変質者としか分からん!」
「あはは。どうです? チャーミングな写真が取れましたでしょう?」
「気味悪いことしくさって。妹が怯えるやろ!」
そう言って妹を見る紫子だったが、意外なことに緑子は冷静な様子でいた。どころか、どこかぽかんとした表情で、目の前の女の顔を凝視している。緑子は小さな手で女を指し示すと、恐る恐ると言った口調で言った。
「あ、あかねちゃん?」その名前には、紫子も聞き覚えがあった。
「おや。緑子ちゃんは覚えていましたか」女はなんだか得意げにニンマリ微笑む。「そうです。私です。東条茜です。もう何年振りになりますかね?」
「はぁ? あかねちゃんて、あのあかねちゃん?」紫子は目を剥いた。「言われてみりゃ面影はあるいうか……。でもよぅ気付いたな、緑子」
東条茜は姉妹にとって幼馴染にあたる。ずっと昔小さい頃、両親がまだ健在で何かと平和だった頃、近所に住んでいた一つ年上のお姉さんだ。『あかねちゃん』と気安く呼ばれてはいたが、物知りでアタマが良く運動も良くできたことから姉妹からは尊敬を向けられる存在であった。客観的に言って、かなりの美人に成長している。
「ようやく思い出しましたか。寂しいですね、昔は二人で私を取り合って遊んでいたというのに……」
「そら、まあ、そんな時代もあったわな」
紫子は当時を内心で『凪の時代』と呼んでおり、たまに緑子ともその頃の思い出話をする。『あかねちゃん』というのは既に思い出の中の存在となっており、まさか再会するとは思わなかった。
「ああそうやそうや。ウチあかねちゃんに言いたいことあってんねん」紫子はそこで少し意地悪な顔をする。
「ほほうなんですか? お姉さんになんでも聞いてみてください」
「いやな。あんた、小さい頃よぅウチらと遊んでくれよったけど、それ、同い年に友達がおらへんかったからやろ?」
一瞬、その場の空気が硬直する。緑子は「へ?」という顔をして姉と茜を見比べた。
茜は肩を竦めてすっとぼけるように言う。
「なんのことですか? 分かりません」
「いやま、当時は親切なお姉さんやくらいにしか思わへんかったけど、今になって推理してみたらな。あかねちゃん、ウチらがせがむから遊んでくれるとかやなしに、あかねちゃんの方からウチらの家に遊びに誘いに来よったやん? ほんで登下校まで一緒にしたがったやろ? そういうのってふつうクラスメイトとかとせんか? しかもウチどんだけ思い出しても、あかねちゃんがウチら以外と遊んどるとこ思い出せんねん。どや当たりやろ?」
「むむむ」茜は唇を結んで試案するような顔をすると、すぐに諦めたようにあっけらかんとした顔をした。「ばれては仕方ありませんね。実はそうだったんですよ」
「あははは。やっぱそうかそうか」紫子は勝ち誇って笑う。「でもま、えぇやん。今はちゃんと友達おるみたいやしな? 友達いうか、ひょっとしてカレシか?」
「彼氏? いませんよ。それに私、今でも友達なんて一人もいませんが」何故か胸を張って言う茜。
「は? やったらそのお盆はなんやねん」紫子は茜が持っている、ラーメンとうどんの二つのどんぶりが乗っているお盆を指さす。「友達かカレシか、片方は誰かの分を運んでるのかと思ったんやけど」
「HAHAHA.、違いますよ。両方私のです」
「は? 両方食うんか? 偉い大食いやな」
「食べる訳ないでしょう。いえ食べようと思えばこの程度すぐです。しかしこのスリム&ビューティフルなプロポーションを得るのに私がどういう苦労をしているか分からないようですね」そう言って胸を反らして腰をくねらせ、程よいおっぱいとくびれたお腹を強調する茜。
「じゃあなんでラーメンとうどんが両方いるねん?」
「ラーメンの麺だけ捨てて、スープにうどんの麺を放り込んで食べます」
「はぁ? なんでそんな変な食べ方するねん、ちょっとでも美味いんかそれ?」
「は? おいしい訳ないでしょう? ふつうに考えたら分かりませんか?」
「だからなんでそんなことするねん!」
「おもしろいからです」にっこり笑う茜。
「食べ物粗末にすんな! つかウチらの写真に写りこんだ時アヘ顔さらして両手ピースにしとったけど、その間そのお盆はどうしとったねん?」
「置いたに決まってるでしょう」
「そらそうやけどやな……」
「床に」
「床に!?」
「お陰でうどんの方が砂利まみれになってまして……」
「踏まれとるがな!」
「その上私の靴がツユに塗れて靴下まで湿ってしまい……」
「自分で踏んだんかい!」
「うどんのツユが飲みたければ私の靴を舐めなさい」
「誰が舐めるか! もうええわ! 緑子行こう」
そう言って緑子を連れてその場を立ち去る紫子。緑子は「あ、うん」と紫子に付いて歩いてきた。昔から冷静な物腰の割に言動はフリーダムという変なタイプだったが、さらにその特徴を悪化させてきているようだ。正直相手にするのもしんだい。
茜は「へ?」と目を丸くして追いすがる。「ちょっとちょっとお待ちなさいお二人さん。旧交を温めるとかそういったことはないのですか?」
「ない。ウチらは今、二人だけで生きとる」
「いえそのお二人さん? せめて連絡先の交換とかそれくらいは……」
「また今度な」ぴらぴら手を振ってその場を歩き去る紫子。
「えぇー……? いやちょっと、ちょっと待ってくださいって。いやいや茜ちゃんですよ? お姉さんですよ? いや、ちょっと、待て、待てよおいこら。×すぞてめぇ。待った待った。そうだこんに〇くゼリー、こんに〇くゼリーがあるんです、食べて行きませんか?」
「いかへん。ウチら忙しい。ほなな」
そう言って緑子の手を引いて人込みの隙間を歩き去ってしまう紫子。足の悪い緑子に合わせた歩調は緩やかだが、食べ物の乗ったお盆を手にした茜には簡単には追って来れまい。
「お姉ちゃん?」緑子は目を丸くして言った。「良かったの?」
「あ? いうて緑子、いくらあかねちゃんや言うても、ウチ以外の人間と話とかできるか?」
「それはちょっと……怖いというか、気後れしちゃう……けど」
「やったらこれで良かったやろ」紫子は努めて笑顔になる。「ゴハンは別の店で食べよ? 写真も改めてそこで撮ろ? な?」
「う、うん」緑子は言った。「お姉ちゃんが言うなら」
妹の中にある複雑な感情を紫子は少し理解できた。似たような感情は、紫子の中にもある。
しかし紫子は心に誓ってもいた。妹意外誰のことも自分は信頼しないと。誰のことも信頼せず、誰のことも妹に近づけないと。それが最善なのだと信じていた。たとえ相手が遠き日の思い出にある『あかねちゃん』であっても。