東条茜、魔法少女に告白される 3
次のエピソードのタイトルは「東条茜、魔法少女にフられる」です。
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60キロで爆走した茜の原付は、山の麓で急停車。胡桃のいる河原までの行き方も知っている。風邪をひくのを恐れて小石で遊んでる姉妹を尻目に季節を問わず水浴びをして、頑丈な身体を見せつけたものだった。
勝手知ったる山道を駆け上がる。川の傍のカメラに向かって横ピースをし、何やら叫んでいる胡桃の姿が目に入った。
どうやら熊が出ることはなかったらしい。茜はひとまずほっとする。到着してみたら胡桃がおいしくいただかれていたというのでは話にならない。
「それじゃぁ時間が来たから、いよいよメインイベント。メギドフレイムをお見せするよー☆」
胡桃はそう言ってカメラに向かって微笑んでいる。自分より五センチ程低いその背中に、茜は一歩ずつ近づいて肩を掴んだ。
胡桃はあからさまに狼狽し、弾かれたように振り返る。そして相手が茜であることを確認して二倍狼狽した。ひきつった表情で後ずさり、撮影機器に背中をぶつけた。
「こんにちは胡桃さん。私です!」茜はにっこりと微笑む。「いきなりで申し訳ないですが、撮影はいったんお開きにしていただきます。それはというのも実はこの山には凶獣ジャイアント・ヘル・ベアーが出現するのです。その爪は鉄板を撃ち抜きその牙はダイヤモンドを噛み砕きます。私でなければ相手にするのも難しいでしょう。逃げるのが最善策なのです」
「と、東条さん、いきなり何言ってんの?」胡桃は混乱した様子だった。「ちょ、ちょっと待ってね。みんなー、ちょっとねー、クルミン知り合いに突くらっちゃったー☆ 少しお話するからメギトフレイムはちょっと待っててね。うん? 神回? それどころじゃないよー。きゃは☆」
「胡桃さん急いで。仕舞にゃその細い腰抱えて無理矢理連れて行きますよ? こちとら鍛えてるんだからあなたくらい持ち上げられます。たとえ……」
「ちょっとちょっと東条さん。何の話か分かんないんだけど放送いったん切るまで待って。あたし今『魔法少女☆クルミン☆ミナミン』だから。あんまり致命的なこと話されるとまずいから……」
「何が魔法少女ですか」
茜は言いたいことがあると相手の事情とか斟酌しない。斟酌するという発想がそもそもない。よってその時行われたカミングアウトにも、悪意があった訳では決してなかった。
「あなた、男でしょう?」
胡桃の表情が一瞬、硬直した。モニターに表示されている視聴者からのコメントが勢いを増す。『はw?』『何言ってんのwww』『いやでも顎の形とか怪しいって考察が前に2ち○んで……』『ちょっとこの女の人に詳しく聞きたいんだけど』
「ああ、視聴者は知らないんですね」茜はそう言って胡桃の肩に手を置いた。「っていうか、本当に女の子になり切ってたんですね。てっきり最初っからオカマ芸としてやってたのかと思ってました。いやぁバラしちゃってすいませんHAHAHAHA」
「な、なに言ってるのかなー☆」クルミン☆ミナミンはしぶとかった。「みんなー☆ 落ち着いて聞いてねー。これはねー、クルミンのお友達の小粋なジョーク! ジョークなんだよ☆ こんなに可愛いクルミンが男の子なんてある訳ないじゃーん。ふふふー」
などと両頬に人差し指を突きつけてごまかしを図るクルミン☆ミナミン。まあこの場は誤魔化せたとしても、今の茜の発言によって視聴者たちの疑念は確かなものになる訳で、そして性別とは本気で調べられれば隠しきれるものではない。悪いことしたかなと思いつつも、今はそれどころではないことに気が付いた。
「とにかく胡桃さん、とっとと逃げますよこんな危険な山。さっきも言いましたけどここ熊が出るんです。詳しい説明は後でしますからとにかく私に従って……」
「だからちょっと、東条さん今は邪魔しないで。放送切らせて。そしたら話聞くから。あとクルミン☆ミナミンはれっきとした女の子だから!」
「ええい、もうじれったい」茜は胡桃の腰をひん掴む。華奢に見えて結構引き締まっている。胡桃は普段目立たないが体育の授業では地味に活躍する方だ。
「わわわ……」胡桃は茜の拘束を振り払おうとするが、本気ではない。女だからと遠慮されているのだと前に小突き回した時から感じていて、そのことが茜にはとても気に入らない。「ちょっとだから東条さんいい加減に……」
水の跳ねる音がした。
ざばん、ざばんと、何者かが川の中で暴れているような激しい水の音である。その音はどんどん激しさを増し大きくなっていき、やがてそいつが川から上がることによって消失した。
茜はすごくすごく嫌な予感を感じながら、油の切れたロボットのように後ろを振り向いた。
熊がいた。黒いような茶色いような体毛に覆われた巨大な獣が、興奮した様子で茜たちの前に立ちはだかり、唸り声をあげた。
「えぇええええ!」胡桃は目を剥いた。「ちょっと、え、熊って、は? マジ? いやいやいやここに来る時調べたけどそんな情報どこにも……」
「げげ、げ、現にここにいます」茜は流石に冷や汗をかいた。咄嗟のことだったのでハバネロスプレーとか持ってない。マジどうしよう。「お、お、落ち着いて胡桃さん。走って逃げたら追いかけてきます。そうっと相手の目を見ながらゆっくり下がるのです。いいですか、はい、せーの」
胡桃の手をひいて一歩下がった。熊は怪訝そうな顔でこちらを見詰めている。さらに一歩下がる。熊は警戒したような足取りで、茜に合わせるようにして一歩踏み込む。
茜はさらに一歩引く。熊はそれに合わせて一歩踏み込む。
「ああダメだこれ。完全に興味を持たれてる奴だ。逃げられねーじゃんどうしようやべーよやべーよ」
「……東条さん」胡桃はそこで、落ち着いた声を発した。クルミン☆ミナミンとしてのきゃるんとした高音ではなく、彼本来の、声だけで男と認識できる程度には低く、それでいて少しハスキーな声だった。「君は逃げてよ。僕がなんとかする」
「あ? 舐めてんの? てめぇに赤カブトがどうにかできんのかよバカかよ。これ一か八か追い払うしかない奴だよ。ちょっとずつ声大きくしてビビらせるんだ。良いから私に任せて……」
熊は四つん這いになり気を逆立て、吠え声をあげて威圧するような声を発した。ごつごつした牙が見え隠れし、その切れ味と噛み砕く力を想像して茜は息を呑んだ。
胡桃はそこで全力で茜を振り払った。力強く、そして乱暴だった。咄嗟に身を翻し胡桃の後方に着地する。茜は怪訝な顔で胡桃を睨んだ。
「逃げて東条さん!」胡桃は言った。
「何恰好付けてんだ馬鹿かよ!」
「いいから!」
熊は吠え声を発して胡桃にとびかかった。胡桃は右手を左袖に差し込んで何やら中身をいじくると、袖の中に引っ込めた左手を熊に向かって大きく突きだした。
「『メギトフレイム』!」
途端、胡桃の左手から真っ赤な炎が噴き出した。大きく広がったそれは熊の顔面を丸ごと覆いつくして、ちりちりと体毛の焼ける音を発生させる。熊は熱さというより驚きのあまりその場で身をすくませ、あと退る。
もしもそこで胡桃が身を翻して逃げていれば、驚きから立ち直った熊によって、その背中を攻撃されていたかもしれない。しかし胡桃は逃げなかった。あと退った熊に踏み込み、睨み、そしてもう一度袖に手を突っ込んで『メギトフレイム』を浴びせかけた。
「ググォオオオっ!」
獣は悲鳴のようなくぐもった声を発する。先ほどよりも至近距離で顔面に炎を受け、熊は顔を手で覆い、たまらず身を翻し、体毛の焼ける匂いを残しながらその場を駆け出した。
「……ふぅう」大きなケツを向けて逃げ去っていく熊を見ながら、胡桃は初めて緊張を解いたように息を吐きだした。「上手くいって良かった。まさに九死に一生だ」
「なんですか今のは?」茜は額に汗をかき、呆然とした表情で問うた。
「うん? クルミンの魔法、なんつって」胡桃はそこでやけっぱちみたいに笑う。「『メギトフレイム』っていう芸なんだけどね。ようするにスプレーとライターの組み合わせさ。前に『炎の魔法』って称して生放送でやったらやたら受けてね。まあ通報もされて文字通り炎上した訳なんだけど……」
「それをどうしてもう一度やろうと思ったので?」
「人気者のクルミン☆ミナミンでいたかったからさ」胡桃は乾いた笑みを漏らす。「僕はね東条さん。君とは違うんだ。ありのままの自分を誇れない。道化で良い、笑い者で良い、なんでも良いから自分を認めてもらいたい。だから魔法少女をやっていた」
言いながら、胡桃は桃色のカツラを取った。男子高校生としてはやや長めといった程度の黒い頭髪が露わになる。こうするとやたら上手い化粧をしている以外、茜の知っている教室での『胡桃南』に近い。もともと整った顔をしているので、きちんと化粧してカツラを被ればそれなりに女になるようだった。
そんな胡桃は今、カツラを取ってカメラを前にしている。荒れ狂うコメントを眺めながら、胡桃は少しだけ深呼吸をし、それから両手を重ねてこう言った。
「視聴者の皆、だましていてごめんね。これが本当のクルミンです。詳しい話はまた次の生放送でするから、待っていてください。それでは、今回はこれでおしまいです」
『炎 上 確 定』『クルミンマジで男なのかよwww』『ネカマとか……コミュ抜けるわ』『でもクルミンつええ』『熊に勝った!』『男の娘か……これはこれでアリ』『まあ噂はあったし?』『クルミーン! 俺だー! 男でも良いー! 結婚してくれー!』
「だーめ。クルミンはみんなのものだぞー☆ 本当は男ってばれちゃったけど、放送は続けるからね☆ それじゃあみんなーバイバーイ!」
大きく手を振って放送を切った。
胡桃はふうと息を吐き、カメラから少し離れた場所に置かれた、黒く無骨なリュックサックに向かう。こういう持ち物の趣味はきちんと男だ。スカートの翻し方や喋り口調などにも、女性を演じ切れていない隙がところどころに見出される。何万人という人に見られていれば、今日でなくともいつかは性別がばれたことだろう。
胡桃はリュックサックの中からタバコの箱を取り出すと、一本咥えて、袖から取り出したライターを使って火をつける。驚く茜に視線を向けながら、胡桃はたっぷり煙を吸い込むと、空に向かってふうと吐き出した。
「あなた、何タバコなんか吸ってんですか?」
「流石に肝が冷えた。ヤニ入れないと気持ちが落ち着きそうにない」
胡桃は人差し指と親指でつまんだ煙草を唇の真ん中に添え、ストローでジュース飲むくらいの勢いで力強く煙を吸い込むという煙草の呑み方をする。茜の父親と同じだった。
「熊が出ると知っていて僕を助けに来てくれたんだよね? ありがとう。東条さん、君は命の恩人だ」胡桃は煙草を指に挟んだまま膝に手を置いて頭を下げた。「このお礼は必ずする。僕はちょっと機材の片付けがあるから、先に山を降りていてくれないか?」
そう言って、胡桃は道路へ向かう方の河原の出口を指さした。確かにそっちなら車も通るから、熊が出る心配はないだろう。
胡桃は膝を折り、ヤンキー染みたうんこ座りを披露する。その体勢で煙草を吸う姿は妙に板についている。フリルでごっちゃり飾った魔法少女モドキが不良みたいに煙草を吸うその姿はなんだかシュールだった。
「一本、貰えます?」茜は隣で腕を組んで立ち、言った。
「吸うの?」
「あなたは戦友です。勝利の喜びを分かち合う方法としては手ごろに思えます」
「君とは恋人になりたいんだけど」胡桃は煙草を一本茜に差し出す。
「私に勝てたなら」茜はそれを受けとり、唇に咥えてふんぞり返る。「まあ勝たせる気はないですけどね。でも負けたとしても家来くらいにはしてあげますよ?」
「まあ、君の家来なら光栄かもね」
「そういうことです」茜は笑顔になる。「ほらほら胡桃さん何やってんですか? 火をつけてくださいよ、ほらほら」
「あいあい。まったく中坊の頃思い出すな」胡桃は少し愉快そうに笑う。「ずっと鞄持ちやらされてたんだよね。煙草も無理矢理吸わされてヤニ中にされてさ。それでも君みたいな人が親分なら、どれだけ良かったか」
胡桃は膝を降り、恭しく火を付けた。茜はヤクザの親分もかくやというでかい態度で、近くのちょうど良い岩に腰かけてから、気取った仕草で唇の端に持っていく。ハードボイルド映画の女優がセルフイメージである。天下無敵の女ボスだ。
「魔法少女、続けてくださいね」茜は吸いもしない煙草を口元から離して言った。「私の友達がクルミンミナミンを気に入っているようで。オカマがばれたならばれたで、それなりの芸風を考えればいいんですよ」
「そうかい? 魔法少女卒業も覚悟してたんだけどね。分かったよ。今日の出来事も追い風に代えて見せるさ。クルミン☆ミナミンは終わらない、無敵の魔法少女として君臨し続ける」
こいつのこの前向きさや厚顔無恥さは悪くない。本当に家来にしてやっても良いかもしれないなと茜は思った。少し愉快な気持ちで茜は再び煙草を唇に持っていき、思いっきり吸い込んだ。
「っていうか意外だね。東条さんに友達なんているんだ」
「ゲホ! ゲッホ! ゲホゲホ! ガッホゴホ!」
初めての喫煙と胡桃の暴言に、茜が煙を吐き出しながら思いっきりむせたところで、この話はおしまい。
男を入れることに葛藤はあったし最初は入れるつもりもなかったし、クルミンミナミンも構想途中まではふつうに女でした。
ただふと「こいつが男ならエピソードとして面白くないか?」と思いついて、「冴えない男」という属性の人間が登場人物に加わることで全体を通して出来るようになることを考えて見ると、自分の中でメリットが上回ったんでこの通り登場させます。単純に胡桃南ってキャラが好きだし。
主役の姉妹が登場しなかった最初の話ですね。全話数の九割には彼女らが出て来るとは思いますが、残りの一割くらいはこういうこともあるかと思います。




