姉妹、イ●ンモールで警備員から逃げる 1
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「緑子、なぁ緑子」
テーブルに向かって精密機械のように造花を作り続けている妹を、紫子は呼んだ。
床は一面造花だらけで散らかっていて、狭い四畳半は足の踏み場もないくらいになっている。この妹は類い稀なる集中力を持ってはいるが、造花を作るという行為にアタマが一杯で、それを段ボールに詰めるところまでは意識が及ばない。なので集中して作業しているといつもこうなる。
「なぁにお姉ちゃん」
「今日、調子ええんか?」
「うん!」緑子はニコニコ笑う。「昨日はひさしぶりにお薬なしで眠れたし、すごく気分がいいんだよ!」
「ほうかほうか」紫子はうんうん頷く。「ほな緑子、今日は一緒に買い物にでも行かんか? ほら近所にあるやん、イ〇ンとかジャ〇コとか……」
「え? でもいいのお姉ちゃん? お姉ちゃん、お仕事クビになったんでしょ。わたしが稼がないとお金が……」
「うぐぅ。……悪意がないと分かっとると、余計胸に来るなぁ」紫子は苦虫を噛み潰したような顔をする。「でもずぅっと内職やっとっても気が滅入るやろ? 緑子はようがんばっとるんやけん、そういうこと気にせんと、なんでも好きなもん買うたらええん」
実のところ家計自体はそれなりに安定していた。紫子も(今は無職とはいえ)それなりに真面目にバイトしているし、緑子の内職マシーンぶりはバカにできないレベルで家計を助けていた。収入を正しく申告すれば生活補助金の支給額を減らされるレベル。医療費がタダ同然になる手帳の存在もでかい。このおかしな姉妹はそれなりに自活できていたのだった。
「ありがとうお姉ちゃん、わたしのこと考えてくれて」緑子は嬉しそうに言う。
「ええんやで。……ホンマはウチが退屈なだけやしな」後半は小声である。
かくして、姉妹は住居である四畳半から世に解き放たれた。
姉妹の部屋は郊外の安アパートの二階にあった。築数十年、申し訳程度に行われていた壁の塗装は既に剥がれ落ち、むき出しのコンクリートを無残にも晒している。駐車場も風呂もなく、日当たりこそ無駄に良いが、その長点も七月二十日現在ではエアコンのない姉妹の部屋に灼熱の太陽を提供することになってしまっている。買い物に行くのも涼を取るという目的が大きい。
右足を引きずっている為(過去に骨折したまま長いこと放置されたため変形治癒した)、ふつうの人間の半分のペースでしか歩けない緑子の歩調に合わせ、ふもとの自転車置き場(ということにしている建物の隙間)にたどり着く。緑子をママチャリの荷台に乗せ、紫子はペダルに足を乗せる。
「この世の果てへぇ……」と紫子。
「えすけぇーっぷ!」と緑子。
「「ひゃぁっほぉおおおおおお!」
紫子は力いっぱいペダルをこぎ始めた。それなりに速度が出るので、緑子も後ろできゃっきゃ喜んでいる。どっちがどこで聞いて来たのかも分からないフレーズで、どっちが先に言い出したのかも今は忘れた。『エスケープ』が意味するところすら紫子は知らない。緑子なら知ってるだろうか? 緑子は自分と違って割り算もできるし都道府県も全部言えるから、もしかしたら知っているかもしれない。
とにかく姉妹はこれを妙に気に入って使っていた。
〇
近所のショッピングモール(イ〇ン)で姉妹はささやかに豪遊した。と言っても回し読みする漫画を買い衣類を補充してフードコートで昼食を取った程度だったが。
フードコートで姉妹会議を行った結果、中古のプレ〇テを中古のプ〇ステ2に買い替える案が可決され、売ってるとしたらそこだろうといことで、中古品の販売も行っているおもちゃ屋に向かった。
「あ、お姉ちゃん、見てあれ」
「ん?」
緑子が指さしたのはおもちゃ屋の傍に設置されている背の高い装置だった。大きな画面といくつかのボタンが付いていて、画面ではカラフルな背景できらびやかな服を来た少女のキャラクターが、楽しそうに踊っている。
「ああ、カードダスやな」紫子は言った。「ああいうの、子供の頃遊びたぁてしょうがなかった時あったよなぁ。遊べへんかったけど」
100円入れるとカードが出て来て、そのカードをスキャンして遊ぶアレである。おそらく普段なら子供達が群がっているところなのだろうが、今ははたまたま空いていておっさんが一人で遊んでいるだけである。何故おっさんが……。
「お姉ちゃん、あれ、遊んでみよう」緑子はうずうずした様子で提案した。「前からやってみたかったし」
「えぇ?」
この年であんなんで遊んで恥ずかしない? とは思ったが、おっさんが遊んでいるということは、子供向けという枠を超えて面白い部分があるのかもしれない。それに、せっかく緑子がやりたがっているのに、『恥ずかしい』なんて無益な感情で反対するものでもないだろう。
「せやな。やってみようか」
「うん!」
という訳で、おっさんの後ろに姉妹で並んだ。おっさんは背後の気配に気づくと、こちらを向いてニタニタした表情で言った。頬が太っていて眼鏡をかけていた。
「でゅふふ。お嬢ちゃん達、かわいいでござるな? これで遊ぶでござるか?」
「まあ、せやな」途端に怯えて紫子の背後に隠れた緑子をさりげなくかばいながら、紫子は言った。「おっちゃん。これ、おもろいんか?」
「おもしろいでござるよ」おっさんは特徴的なしゃべり方をしていた。「せっかくですから、拙者とカードの交換などいかがですかな?」
「あいにくと初プレイやねん。カード持ってないんよ。ごめんな」
「でゅふふふ、では拙者のカードを差し上げるでござる」言って、おっさんはストレージ・ケースからカードを十数枚程選ぶと、紫子達に差し出した。キラキラした、いわゆるレアカードっぽいただ住まいのものもある。
「こんなにええんか? 一枚百円するんやろ?」
「ダブってるから構いませぬぞ。今度、二人用モードで一緒に遊んでくだされ」
「ほんならもらうで。ありがとうおっちゃん」紫子は喜んでカードを受け取った。何故か手をしつこく触られた。
「ふひひひひ……では、警備員がこちらを見ているのでドロンするでござる。さらばっ!」
おっさんは指同士を絡め合わせて忍者が良くするカッコ良いポーズを取ると、しゃかしゃかした素早いカニ歩きでその場を離れて行った。
「えぇ人やったな! ほな緑子、早速これ使こうてプレイしぃや」
「うん!」
緑子にカードを渡す。百円を入れ、ガイドに従ってプレイを始めた。
ゲーム内容としては、アイドルを目指す少女になり切って、オーディションで歌と踊りを披露するというものらしい。カードには少女をドレスアップするアイテムが描かれており、ボトムスやトップス、シューズやアクセサリーなどの属性がある。ここから何をどう着せるのかを考えるのがおもしろさらしい。
「偉い悩むなあ緑子。テキトウに着せたったらえぇやん」
「でもなんかコンボとかあるみたいだよ」
「画面のこの子くらい顔が良かったら、ねじり鉢巻きとふんどしでも合格やわ」
「お姉ちゃん、このゲームの根幹を否定する発言だよそれは」
ゲーム内容は流れて来るアイコンに従ってボタンを押すだけのシンプルなものだったが、着せたアイテムによって審査員に対し特別なアピールができたりして、そこそこゲーム性がある。
根本はデジタル式の着せ替え人形遊びだ。カードに書かれてるアイテムでキャラクターを自分好みに着せ替えてから、アイドルオーディションに出し、踊らせる。女の子なら皆好きだろう内容。緑子のプレイを見ていた感想としては……。
「おもろそうやん!」
だった。
「緑子。次ウチにやらしてや!」
「うん。がんばってねお姉ちゃん」
紫子は嬉々としてカードを選び、プレイする。見栄を張って緑子がやったのより一つ上の難易度を選択したが、おっさんからもらったカードの性能が良かったらしく、すんなりとクリアすることができた。
「やったで。ウチ、筋が良いんちゃう?」
「流石お姉ちゃん!」
「HAHAHA。まあこんなもんやで。ウチにかかればトップアイドルも夢じゃないわ。さぁてこのまま連コイン……いや、これはいかん」
ふと背後の気配に気づくと、数名の少女達が機械の後ろに並んでいる。夏休みが近いので半ドンで授業を終えて来た少女達が、遊びに来たというところだろう。占拠していては悪い。
「しゃーないな。最後尾行くで。緑子」
「まだ遊ぶんだ」
「『難しい』クリアーせんと気が済まへん。ちょっとだけ付き合ってな」
「うん。……あ、でも、トイレ行きたいかも」
「ほうか。ほんならトイレ行こか」
「良いよ、お姉ちゃん、並んでて。そっちの方が早くプレイできるでしょう?」
「こんなとこで一人はあかんやろ」
「大丈夫だよ。なんか今日すごく調子良いもん」
「うーん……」
すごく心配だが、あまり過保護に振るまうものでもないかもしれない。別に自分は妹より偉い訳じゃないんだし、緑子が大丈夫というならそれを信頼して行かせよう。紫子はそう考えた。
「ほうか。なんかあったら電話するんやで」
「うん!」
という訳で、トイレには緑子一人で行かせ、紫子は列に並ぶことにした。
最初の内は緑子のことを心配しつつも上機嫌に順番待ちをしていた。しかしそのうち苛々し始める。列が進まないのである。
それもそのはずで、今機械の前でゲームをプレイしている小学校中学年くらいの二人組の少女が、何度も何度も繰り返し遊んでなかなか順番を譲ろうとしないのだ。まったくもってマナー違反である。
正直これだけでも紫子にとっては許しがたいのだが、問題はもう一つある。
二人組のすぐ後ろ、紫子のすぐ前に並んだ低学年くらいの少女が、もじもじとした様子で文句も言えずに立ち尽くしていたのだ。なんだか小さい頃の緑子に似て見えた。このままでは、その内諦めて帰ってしまうかもしれない。それでは気の毒だ。
「ちょっと。あんたら」紫子はたまりかねて言った。「一回やったら代われや。二人やったら二回や。待っとる子がおるの見えへんか?」
「やだー。なにこの人ー。訳わかんないんだけどー?」少女の一人が紫子の方を見て嘲るように言った。「この人いくつー? まだこんなゲームで遊んでんのー? ダサくなーい?」
「だいたいさー、そのルールって誰が決めたのよー。訳わかんなーい?」コンビを組んでいるもう一人の少女がそう言って笑う。「というか変な喋り方ー。キモーい」
「……変なしゃべり方で悪かったな」
緑子と二人で十歳から五年間預けられていた養護施設にこんなしゃべり方の子が多かったのだ。緑子はそこに預けられた時点で既におかしかったので、ほとんど誰とも話さずに喋り方が移ることもなかったが。関西弁とも少し違う独自なイントネーションで笑われることも多い。
「皆で遊ぶゲーム機やろ? 順番は守れや。ルールも守れん奴はウチが蹴っ飛ばすぞ」
「キモい喋り方の人がなんか言ってるー。無視しようよー無視」「そうだねー。くすくす。相手にするだけ無駄だよねー」
などと言い合ってちらちらこちらを見る。その表情には嘲りが浮かんでいる。
紫子はずんずんと大股でその二人に近づいた。二人組は怪訝な顔で紫子の方を見る。
「な、なによ? 言っとくけど、どかないからね?」「一回やったら終わりとかどこにも書いてないからね? 席を取ったあたしらに何回やるか決める権利あるからね?」
「奥義・脛キック!」紫子は鋭いローキックを相手の急所に向けて繰り出した。
「ギャっ」少女は向こう脛を抱えてもだえる。「い、痛い! ホントに痛い!」
「ちょっと、大丈夫エリカ?」もう一人の少女は心配げに相方に近づく。「どうしてこんな酷いことをするのよ? エリカ何も悪いことしてないじゃない?」
「あんたも蹴られるんやで?」紫子は言って、今度は顔面に情け容赦ないキックをかます。「あぎゃ」少女は蹴られた顔を押さえて尻餅をつく。
「うぅう」「痛いよぉ」少女達はしくしく泣きながら手を繋いでその場を離れて行った。
「HAHAHA! 大人に勝てると思うなよ!」紫子は上機嫌だ。腰に手を当ててドヤ顔スマイル。ガキんちょ相手に勝ち誇る。「さあ、連中はどっか行ったで。そこの君、順番待っとった君。思う存分遊べや。ただ終わったらウチに代わって……」
振り返るが、そこにさっきまで並んでいた低学年くらいの子はいない。というのも紫子と二人組との言い争いが怖くてその場を逃げ出したのであるが、紫子にはそんなこと知る由もない。
「なんや。行ってもたんか。せっかく邪魔なんがおらんようになったのに。もっと早うに助けてやらんとあかんかったか……」などと、紫子はずれたことを言った。「ま、えぇわ。あの子がおらんようになった言うことは、ウチに権利があるんやけんな。予定どおりに、『難しい』をクリアしたらんと」
この時、紫子は気付いていなかった。いくら緑子のトイレが長くとも、そろそろ帰ってきていなくてはおかしい時間帯であることに。