姉妹、タイムカプセルを掘る 3
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養護施設時代、妹を守る為、紫子は戦わねばならなかった。
緑子に酷いことをする奴は殺しても良い奴で、だから紫子は容赦しなかった。そもそも容赦をする余裕がなかった。相手は年上であることも多く、たいていは複数であり、未だ140センチを超えないこの肉体は当時はなおさら華奢だった為、まっとうに喧嘩をすれば一方的にボコボコにされてしまう。数えきれない程ボコボコにされる中で紫子は武器に頼ることを学び、武器はその内凶器となり、手ごろなものが見付からなければ自作するようにすらなった。
紫子はどんどん問題児になっていった。罰を受けるのは平気だった。食事を抜かれるのも締め出されるのも殴られるのも一晩中正座をさせられるのも耐えられた。それよりも妹の心をこれ以上壊さない為に紫子は命がけだった。自分にとって大切なものは妹だけで、彼女の存在が世界のすべてだった。だからどの職員にも懐かず友達も作らず、そんな紫子のことを誰も愛さなかった。職員からすれば厄介極まりない子供だっただろう。
紫子が真実に求めていたのは『安心』だった。自分が戦わずとも、狂わずとも、妹が脅かされずに済むという『安心』だけが彼女にとって必要だった。それさえあれば紫子は、もう少しふつうの少女らしく振舞えたかもしれない。
しかし職員たちが紫子に『安心』を与えることはなかった。常軌を逸した暴力を繰り返す紫子を、職員たちはただ大人の力を持って抑え込んだ。愛情を持って接すれば子供は理解する、というお題目を実践できるかどうかは職員の能力や問題となっている児童によって異なる。西浦紫子という大問題児を矯正させることはどの職員にも不可能で、怒鳴りつけ暴力を振るい脅かし、罰を与えることで制御を試みるしかなかった。それらは紫子の心を妹と二人だけの世界に閉じこもらせる結果を招いた。
そんなこんなで、紫子にとって施設の職員たちに良い感情はほとんどない。基本、全員嫌いだ。自分や妹の抱える問題を理解しようとしてくれた職員もいないことはなかったので、『嫌い』の中にもある程度順位はあったが、目の前にいる青沼という職員は嫌いの中の大嫌いだった。
「今何時だと思ってるのよ!? こんな夜中に何やってるの? 殴り込みのつもり? また問題を起こすようなら承知しないわよ。警察に来てもらうからね。本気よ?」
すぐに物事を大げさに言う。そして自家中毒に陥りどんどんヒステリックに陥っていくのが、この女のパターンだった。良くないと思いつつも、紫子は昔の癖で怒鳴り返してしまう。
「黙れクソババア。何もしに来とらんわ、ボケ!」
「誰がババアよ? 何もしに来てないなんてこと、あるはずないでしょう? きっと悪さをしに来たのね、そうでしょう?」
「あんたは昔っからそうやってウチがなんかするたび疑うんやから……」
「良く言うわ。あなた何人施設の子供を傷つけたと思ってるの? 一生消えない傷を背負った子供もいる。どうして信頼されないか、自分の胸に聞いてみなさい」
「あんたらの所為やろ? あんたらクソ職員共が無能やから妹がイジメられたんやろ? ほんでウチが戦わなあかんかったんやろ? そのことはホンマに一生恨むからな!」
「舐めた口を! 自分の立場を分かっていないのかしら?」
紫子は歯噛みする。別に施設に対して悪意のあることをしに来た訳ではないのだが、しかし不法侵入は立派な犯罪である。この女のことだから、本気で警察を呼ぶかもしれない。
腕の中で緑子が震えて泣いている。当然だ。まるでつらかった施設時代そのもののような罵りあいなのだから、聞いていてつらくないはずがない。このまま続ければ恐ろしい思い出がフラッシュバックして、下手をすればパニックになってしまうだろう。
こんな怒鳴り合いを聞かせる為に連れて来たのではない。嫌いな相手だが、妹には代えられない。
「すんまへん」紫子は首を前に傾け、小さくお辞儀の体勢を作った。「黙って入ったんはウチが悪かった。土はちゃんと片付けていくけん、見逃してもらえんやろか?」
「……は? 何よ? 何のための謝罪よ、それ」青沼はふんと鼻を鳴らした。「いったい何をやろうとしたのかしら? それをまず白状しなさい」
「申し訳ありません、ちょっとよろしいですか?」
言いながら、ニコニコと割って入った人物がいた。茜である。
「……誰よ、あなた」青沼はいぶかしそうな視線を向けた。
「東条茜と申します。紫子ちゃんと緑子ちゃんの親友です」言って、茜は腰を折り、大きく頭を下げる。「不法侵入について謝罪します。きちんと手続きをして来ることもできた訳ですからね。今日ここに来たのは私の発案でして、友達がどういうところで暮らしていたのか知りたいと、私が希望したんです。こうして土を掘り返したのは、紫子ちゃん達が昔の埋めた忘れ物を掘り出す為だったのですが……」
「誰でも思いつけそうな嘘じゃない! 本当は何か別の目的があったんじゃないの?」キィキィという声を、青沼は発する。
「ありません。しかしお疑いになる権利はそちらにあると思いますので、事情聴取が必要なら私が残ります。紫子ちゃん達はまだ十六歳で、今は夜遅いですので、今日のところは彼女たちは帰していただけないでしょうか?」
「そういうあなたはいくつなの?」
「二十歳です」茜は平然と嘘を吐いた。十七歳と正直に言ったら何かと面倒だと思ったのだろう。しかし後からばれる嘘を吐いたということは、茜はこの場でなんとか話を済ませてしまうつもりなのだろうか。或いは、その後のことはどうあれ、パニック寸前の緑子をとにかくこの場から逃がす為の行動か。
「成人している癖に、こんな夜中に子供と土遊びなんて、恥ずかしくないのかしら? ろくでもない人間はろくでもない人間とつるむものね」
友達を侮辱されて、紫子はカチンとくるものを感じて、口を開きかけた。しかし吠えそうになったその口先に、茜の手が添えられる。
「私はろくでもない人間かもしれませんが、しかし紫子ちゃん達にとってあなた達は親のような存在だったはずです。『ろくでもない人間』とまで言うのはあまりにも酷いですよ」
「ろくでもない人間じゃない? 別にその子のことを全否定する訳じゃないし、その子が悪い訳でもない。ただ境遇が境遇なのよ。親に捨てられて、別の親に虐待されて、挙句その親を……親を……。歪まない方がどうかしている」
「…………」
茜は珍しく、表情を消した。いつも澄ました笑顔でいる彼女にしては、それは珍しいことだ。
「もちろんそういう子供をどうにか正常に近づけるのがワタシ達の仕事よ。でも神様じゃないからね。ろくでもない人間にしか育たないこともあるのよ。だから、ずっと迷惑を……」
「それが人の親代わりになる人間の言葉ですか?」
「何を一丁前の口を。勝手に入って来た部外者が、黙りなさい」
「言わせてください。人は自分の運命を選べません。しかし自分自身を変えることはできます。どんな境遇に置かれても人は成りたい自分になれますし、幸せを掴めるんです。紫子ちゃんも緑子ちゃんも、耐え抜いて自分達の幸せを掴みました。素晴らしい人間になりました。私の自慢の友達なんですよ」
真っ直ぐに目を見てそう言われ、青沼は少し狼狽えたような表情を浮かべる。
しばらく、静寂があった。青沼は眉を顰め、しばらく茜の方を睨んでいて、それから剣のある態度は保ったまま、言った。
「……まあ、それだけ紫子さん達のことを想っている友達なのであれば、『部外者』とは言えないわね」
「……へ?」茜はそこで、少し目を大きくした。
「あなた達いつもこの狭いところに二人でいたからね。なんか隠してたってことなんでしょ? じゃあいいわよ? 気が済むまで探しなさい。ただし土はちゃんと均しておくこと、後、今度からここに来る時はきちんと手続きを踏むこと。いいわね?」
視線を向けられ、紫子は何がなんだか分からず沈黙するしかない。
「いいわね!」青沼はいつものヒステリー染みた声に戻った。
「え、あ」紫子は狼狽えたままどうにか言った。「え、ええんか? 不法侵入やで、ウチら?」
「『関係者以外』立ち入り禁止よ。卒業して一年もたってない分際で部外者のつもり?」
「は、ええと……」
「あとあなた達まだ十六歳なんだから、帰り道はきちんとその……なんだっけ? 東条さんに送ってもらうこと。後用事が済んだらとっとと帰ること! いいわね」
「わ、分かったで」
「じゃあ静かにやりなさいよ。騒いだら追い出すからね」言って、青沼は紫子達に背を向けて、ずんずんとその場を立ち去って行った。
三人は、引き下がって行った青沼の背中を意外そうに見つめるしかなかった。