姉妹、タイムカプセルを掘る 2
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「……『聖夜』は素直にとればクリスマスだよな」茜は顎に手を当てて一人ぶつぶつ呟いている。「『終末の鐘』……分からん。『正邪の境界』? 『牢獄の檻』? なんかのメタファーなんだろうか。『在りし日の財宝』がタイムカプセルだとすると、『檻から出た者』は施設を出た人間、つまり施設暮らしを終えた、今の紫子ちゃん達を指す……? すると『牢獄』はこの養護施設、『檻』は金網だったりして? でも『正邪』ってなんだよ。『正と邪』……『陰と陽』『光と影』うーん……?」
「あ、あかねちゃん? なんか分かる?」紫は縋るような視線を茜に向けた。
「……カストールとボリュデウケースっていうのは双子の天使だ。星座のふたご座は彼らを表す。紫子ちゃんと緑子ちゃん? でも『命の重さ』ってなんだ? 体重? まさか。うーん…………分からん」
「無理かー」紫子はアタマを抱える。「あかねちゃんならワンチャンおもたねんけどなー」
「大天才の私に解けないということは、誰にも解けないということです。これ難しすぎますよ。私知能検査の類はたいてい満点取れるんですけど、こんなえげつない問題初めて見ました。というかこれ書いた時の緑子ちゃん、十一歳にしちゃ語彙多すぎません?」
『聖夜に終末の鐘が鳴り響く時、正邪の境界は牢獄の檻を指し示す。檻から出た者は境界に立ち、在りし日の財宝を求めよ。生まれし日のカストールの命の重さは宝への距離を指し示す。ただしカストールはボリュデウケースの分の命の重さを失っている。心して歩め』
アタマの悪いことを自覚している紫子などには、何が書いてあるのかすら分からないレベルだ。読めない漢字も多い。これを11歳の緑子が作ったというのだから確かに常軌を逸している。もともと勉強はできた緑子だが、養護施設に入って集中過多症を患ってからというもの、しばしば年齢離れした知識や思考を発露させることがあった。これもその一端というところだろう。
「ご、ごめんねあかねちゃん、お姉ちゃん。わたしがもっと分かりやすい問題にしておけば、というか、ちゃんとどこに埋めたのか覚えておけば……」とうの緑子は萎縮した声で言った。自分の暗号が姉や友人を苦しめていることがストレスになったようだ。
「いやいや。覚えてへんかったんはウチも一緒やで」紫子は慰めようと笑顔で言う。「ほれに場所が分からんとタイムカプセル掘り出せんいう訳やないで。分からないなら分からないで、やりようがある」
「えど、どうするの?」
「勘!」紫子は元気良く言って、リュックサックから折り畳み式のスコップを取り出し高く掲げた。「或いは、しらみつぶし!」
「お! 良いですね嫌いじゃないですよ、そういう最高に合理的なの」茜はニコニコ笑って賛同する。「掘りまくってやりましょう!」
「そ、そうだね」緑子は言った。「がんばるぞー」
ってな具合で、三人は倉庫裏の土をひたすら耕すこととなった。
何の目印も手がかりもないところからのスタートである。茜の「ちなみにぼんやりとでいいですので、どの辺だったか指さしてもらえます?」という質問に対し、姉妹が指さした位置はそれぞれ二メートル近く離れていた。なんとなくお互いに照れ笑いをしてしまう姉妹に、茜はにっこり笑ってからまったく無関係のところに力強くスコップを突き立てる。
「ここから掘っていきましょう。理由は勘です!」
「「ラジャー」」
穴掘り自体は楽しかった。というかこの三人でやれば大抵のことは楽しいんじゃないかと、作業しながら紫子は思う。
だが気持ちの楽しさと体力は別の問題で、最初に力尽きたのは緑子だった。夜中とは言え今は真夏である。暑さと湿気の中全力で作業をすれば疲労は免れず、息を切らしながら土に座り込む。
紫子の方も妹と比べれば運動しているという程度で、その華奢な身体は肉体労働に不向きだ。汗だくで大の字になるのに時間はかからなかった。
「もー無理ぃー! 死ぬー! この穴がウチの墓穴やー! いっそ殺せー!」
「お姉ちゃん縁起でもないよ……。それに死ぬ時は一緒に埋まろうよ。わたしこんなとこやだもん、お花のたくさん咲いてる静かなところにしよ?」
「そのセリフもけっこーやばいで!?」うっとりとすらして見せる妹に、紫子は表情を引きつらせた。
「体力ないですねー、お二人とも」一人ぴんぴんしているのは茜だった。紫子達に背中を向け、かがみこんで一人手を動かしている。「私一人で掘っても良いですけど、それじゃ楽しくないじゃないですか?」
「そらすまんな。……ところで、さっきからあんたが一生懸命こさえとるそれはなんや?」紫子は尋ねる。
「土のお城です」茜はにっこり笑って自分の作品を手で差し出した。「いやぁなかなかどうしてハイクオリティでしょう? 土が柔らかいので組みやすいんですよ。見てくださいこの頂点に作られた美しい土の像を! 何に見えます? ん? これね、実はですね、私なんですよ!」
「あかねちゃん、一人で遊ぶの上手だよね」緑子が悪意なく言った。
「ガハッ!」茜は吐血するかのようにせき込んだ。「ゴホッ! ゴホッ!」
「ウチらが掘りよる間にそんなもん作ってやがって……。踏みつぶしたろかいな」言いながら紫子は立ち上がる。
「おお! ゴ〇ラです! ゴ〇ラがやってきました!」あかねは何故か嬉しそうに紫子の方を見た。「しかしここでお城の防衛システムが作動します! 大砲発射! ずぎゃーん! ずぎゃぁああん!」
茜は城に装飾として埋め込まれた指先くらいの小石を紫子に向かって放り投げて来た。ゴ〇ラこと紫子は大砲の直撃をもろともせず進撃し、情け容赦なく城を踏み抜いた。
「なんというバイオレンス! お城を破壊する大怪獣! 矮小な人間達の建造物など、破壊の権化の前には積み木も同然ということなのでしょうか? しかし人類の英知も負けてはいません! 土はたくさんありますし、ここは一つ巨大ロボットでも作って反撃を……」
楽しそうにわめく茜は無視し、紫子は溜息を吐く。「しかしこれホンマどーしょーもないな。朝までかかって見付かるかどうか……。困ったなぁ、せっかく緑子が掘ろう言い出したタイムカプセルやのに……」
「うう。わたしがもっと分かりやすい暗号にしといたら……」緑子がうつむいて言う。「どうしよう。お姉ちゃんがあんなに嬉しそうに埋めてたタイムカプセルなのに……」
「緑子が……」
「お姉ちゃんが……」
呟き合う二人を眺めながら、ふむと首を傾げた茜は言った。
「あの、もしかして思うんですけどね。お二人、実はそんなにタイムカプセル自体には執着ないんじゃないですか?」
言われ、紫子と緑子は同じように表情を歪ませ、それから茜から目を伏せた。
「そんなことないって。大切な思い出やし、緑子かて今日のこと楽しみにしとったはずや」
「そうだよ。お姉ちゃんすごく嬉しそうにタイムカプセル埋めてたし、ずっと楽しみにしてたはずだもん」
「……『相手が』なんですよね、お二人とも」茜は小さく溜息を吐き、それから笑った。「『自分はタイムカプセル自体にはそこまで執着はない。けれど、相方は楽しみにしているはずだから、がんばって見つけ出さなくちゃ』こんなところじゃないですか?」
紫子と緑子は、お互いに顔を見合わせる。
「そうなの?」と緑子
「おまえこそ」と紫子。
「えっと、わたしはその、お姉ちゃんと暮らせてればそれが幸せというか」
「ウチも。おまえがおったらそれだけでええ。そらタイムカプセルは大事な約束やけど、ホンマに大事なんは『いつか施設を出て二人で生きよう』の部分やったいうか」
「お姉ちゃんがくれたぬいぐるみは嬉しかったけど、冷静に考えて、土の中で何年もたってるとなるとすごい状態になってそうというか」
「緑子のマフラーはぬくかったけど、今はどう考えても夏やというか」
「毎日が楽しすぎてタイムカプセルのことなんて忘れてたというか」
「ほやから昨日緑子が言い出して初めて思い出したというか」
「わたしが思い出したのもテレビでタイムカプセル関係のニュースやっててたまたまで、お姉ちゃん嬉しそうに埋めてたしきっと掘り出したいだろうなと思って言い出したというか」
「緑子の方から言い出したんやから、絶対楽しみにしとったはずやと思ったいうか」
「お姉ちゃんが」
「緑子が」
「「なんだそういうことか」」
言って、姉妹はお互いを指さして笑い合う。
「いやぁ。土塗れになって損したな。緑子疲れたやろ」
「そうだね。でも、ちょっと楽しかったよ」
「せやな。ここ来てすごい実感したわ。今ウチらってすごい幸せなんやなーって。夢適えたんやなって」
「わたしも。いつもお姉ちゃんと二人で一緒にいられて、こんなに幸せなことはないなって、改めて思ったよ」
頷き合う二人。なんだか幸せな気持ちが胸の奥から湧いてきた。タイムマシンの掘り出し作業は徒労だったが、妹が自分を気遣ってくれていたのは嬉しかったし、二人でこの施設に来たことで幸せを噛みしめ会うことができた。
「……と、いうことらしいわ。しかし良ぅ気付いたもんやなあかねちゃん。ウチらがお互いに気付いてなかったのに。たいしたもんや」
「いえまあその、お二人が本当にタイムカプセルを重視していたのであれば、施設を出て生活が落ち着いたらすぐに掘りに来るか、そうでなければクリスマスまで待ったでしょうからね。昨日思い出したから今日掘ろう、っていうのはそういうことです」茜は言う。「距離が近すぎると、かえって気付かないものですよ」
「そんなもんかなぁ」紫子は笑う。「ほんなら、もう帰るか」
「そうだねー」緑子は言う。「お姉ちゃん、実は今すごく眠いでしょ?」
「あ? 分かるー? 実はそうやねん。この夜更かしに備えて昼寝はしてきたけど、どうもとっくに九時回っとると思うだけでそれだけで眠気が……」
「……随分とあっさりしてますね」茜がそこで口を挟んだ。「まだ十時前くらいですよ? そこまで執着していないと言っても大事な思い出に違いはありませんし、せっかく来たんですからもうちょっと探してみてもいいんじゃないですか? ほら、メッセージカードとかもいれてたんでしょう? 紙の種類によっては結構状態は保たれてるものですよ」
「でもウチ、当たり前のことしか書いてへんで? いつも緑子に言っとるようなこと」紫子は首を傾げる。
「わたしもそうかな。本当に分かり切ってるようなこと。お姉ちゃんにいつも言ってること」緑子が続いて頷く。
「いや……まあ、どういうことを書いたのか、だいたい想像は付きますけれども。だからって埋めたままにしていいのかというと、それもちょっと違うような……」
などと、茜が腕を組んでいると、どこからか足音が聞こえて来た。
砂を踏むような音。金網に懐中電灯の明かりが見えて息をのむ。どうやら、見回りの職員が近くまでやって来たということらしい。
「あ、あわあわわ」
過呼吸になりかける妹の身体を抱き、そのまま両手で抱え上げ『姫だっこ』状態にしてから茜に小声で言った。
「逃げるか」
「ふむ」茜は思案するように首を捻った。「いやダメです。ここは袋小路。逃げ場ありませんよ。このままここで息を殺しているのが正解行動。縋れるのは幸運だけですが、はたして……」
「あなた達、何をしているの?」
懐中電灯の明かりが紫子の顔を直撃する。「うわっ」と苦悶の声を出し、閉じた目を開いた先にいたのは、決して忘れられない顔だった。
「……あなた達、紫子さんと緑子さん?」メガネをかけた三十歳前くらいの女性である。神経質そうな視線をこちらに向け、トゲのある声を発する。「何を、こんな夜中に……」
「お、鬼ババア!」紫子は顔を青くした。「よりにもよって、なんでおまえやねん!」
青沼という、施設暮らしの際、もっとも紫子達をいびった若い女職員だった。その顔を見ていると腹がシクシクと痛みだし、黒々とした感情が噴出する。緑子が、抱え上げられたまま、震えた手で紫子の腕を強くつかんだ。