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姉妹、タイムカプセルを掘る 1

 〇


 T市から電車を乗り継いで、到着が八時。西浦姉妹と東条茜は電車をおり、夜の街を歩き始めた。

 「うーん。もうあとちょっと歩いたら『あの』養護施設かー」緑子が言う。「緊張するなー。なんかちょっと怖くなってきちゃったかも」

 「ウチもー」紫子は緊張を孕んだ声で応じる。しかし、すぐはっとして首をブンブン振る。そして強がった声で言った。「ま、まあ、多少緊張はするけど、でも大丈夫やで緑子。何があってもお姉ちゃんがなんとかしたる。それに今日は、茜ちゃんもおるしな」

 「そ、そうだね。うん。お姉ちゃんもいるし、茜ちゃんもいるし……お姉ちゃんもいるし、茜ちゃんもいるし……」緑子は呪文のようにぶつぶつとその言葉を反芻した。「大丈夫! 大丈夫!」

 「せや! だいじょーっぶっ!」

 紫子は絶叫せんばかりに言った。

 自分でも強がりに過ぎないことは分かっていた。なんといってもこれから向かう養護施設には、良い思い出など微塵もない。なぶられたかいびられたか抑え込まれた記憶しかなく、建物の情景を思い出すだけで得意のリストカットに走りそうになるレベルだったが、そんなことはおくびにも出さないよう努力する。自分のそんな狼狽が妹に伝わりでもしたら、自分と同様かそれ以上に怯えているだろう妹は確実にパニックに陥る。

 自分がしっかりせねばならない……と言いたいところだったが、しかし今日に関してはとても頼もしい仲間がいた。

 「あかねちゃん。今日は付いて来てくれてありがとな」紫子は言った。

 「HAHAHA。紫子ちゃん達のお願いなら当然ですよ。このドン・アッカーネがいるからには安心してください。たとえ道中、鬼が出ようと龍が出ようとこの私が撃退してくれましょう。悪の養護施設に乗り込み魔王を倒し財宝を手に入れるのです」茜は腰に手を当てて胸を張る。「ひとまず、テキトウに通行人を二、三人殴って経験値とお金を入手しましょうか?」

 「カツアゲやろが! ここはRPGちゃうんやで?」

 「しかし話を聞く限り、随分とまあ、その養護施設というのはお二人にとって恐ろしい場所なのですね。そんなに恐ろしい場所に、どうしてまた来ようと思ったので?」

 「いやだから言うたやん。昔、緑子とタイムカプセル埋めたねん。『大人になって、二人だけで幸せな生活を手に入れたら、掘りに行こう』ってな! ウチら、それを心の支えに中学卒業まで耐えて来てん。今日は、その約束を適えに行くっちゅう訳や!」

 確か十一歳の時の冬、クリスマスの日だった気がする。緑子を守ろうといじめっ子と喧嘩をしたまでは良かったが、その喧嘩の際の紫子の行動が少々常軌を逸しており、その罰として冬の寒空の下に一人締め出されたことがあった。

 室内でパーティが行われている声を聞きながら、数年前まで幸せだった頃妹や家族と行ったクリスマスを思い出し、紫子は涙ぐんだ。雪が降っていて、耳は引きちぎれそうに冷たくて、しかし体と心を温める手段はなく、紫子はただ震えていた。

 そこに、足を引きずって緑子が来た。

 「その年はね、お互いにクリスマスプレゼントを用意してたの」緑子が言う。「それを、倉庫の裏の、わたし達の隠れ場所に隠してたんだ。その交換をしようと、こっそり抜け出したの」

 普段の緑子なら、職員の目を逃れて外へ出るなんてことはしない。姉の自分のことを心配してくれたのだ。一人で震えているしかなかった紫子は、たった一人の、しかし絶対の味方が来てくれたことで、本当に心から救われた気分になったものだ。

 「あの手作りマフラーは良かったで。ホンマぬくかった」紫子は笑う。「でも良すぎたわ。プロが作ったんと同じようにしか見えへん。ウチら、小遣いなんか碌にもらってへんし、高いモン持っとったら万引きを疑われる。取り上げられるのは嫌やウチは思うてな」

 「誰かに悪戯で壊されたり隠されたりするかもしれないしね」緑子は言う。「だから、お互いのプレゼントをタイムカプセルに入れよう、ってなったの。それを大人になってから二人で掘りだそうって」

 「……万引きを疑われるとか、壊されるとか隠されるとか、結構壮絶ですね」茜は眉をひそめた。

 「まあウチ万引き小僧やったしな。普段の行動もあったわ。緑子が良くちょっかい出されとって、そいつらと喧嘩しすぎて敵も多かった」

 「やりますねぇ!」茜は笑った。「まあ児童養護施設なんて窮屈そうなところにいたんじゃ、万引きや喧嘩の一つもしないとやってられないって話ではあります」

 「そーそー! あかねちゃんはやっぱ分かっとる」紫子は笑う。

 緑子が足の痛みを訴えるのでドラックストアで鎮痛剤をたまに盗んだ。捕まって規則の厳しい施設に移されでもしたら緑子を守れなくなることに気付いてそのうちやめた。出自の明らかでない薬を持っていたことから施設の人間には薄々ばれていたと思う。そうでなければ、紫子の持つもの持つもの疑われたりはしない。

 「タイムカプセル計画自体は、前から話し合ってたんだけどね」緑子が言う。「でも、クリスマスプレゼントを中に隠そうって話は、その時お姉ちゃんが」

 「あんなあったかいもん取り上げられるんは嫌やからなぁ」紫子は目を細める。「倉庫の裏にでっかい缶を隠しとってな。穴はその時二人で掘って、これまた用意しとったメッセージカード添えて中に入れた。必ず一緒にここを出て、幸せになって、そんでから掘りだそう誓いあった! その話を昨日夜に緑子としてな。ほな掘り出そかーってなったねん」

 「なるほど。でもそれ、二人だけで掘り出すことに価値がある話に思えるんですが……。私がいて良いんですかね?」茜が珍しく遠慮がちに言う。

 「それも話し合った。けど、あかねちゃんならええわって」紫子は歯を見せて笑う。「そもそもウチらだけでこんな遠いとこまで行くんも危険やねん。ウチ時刻表なんか読めんから電車の乗り継ぎや無理やし、緑子はアタマええから読めるけど人多いとことかでパニくるかもしれんし。せやであかねちゃんにはおってもらわなあかんかったねん」

 「なるほど私はあくまでナビケーターですか。それを本人の前でそんなにあけすけに言うなんて……」茜はにっこり笑う。「おもしろいですね! 良いでしょうあともう少しの距離ですが、お二人を目的地までお連れしますよ。そして共に魔王を倒しましょう。足元から輪切りにして施設の玄関に撒いてやろうじゃないですか!」

 「猟奇的! というかRPGちゃういうとるやろうが!」

 「まあ紫子ちゃん達をいじめた職員などは本当にそのくらいにしてやりたい気分ですが、今のお二人は幸せそうですし、不法侵入からの建物に悪戯で勘弁してやりましょう。何ならビチクソ撒いてやってもいいですよ? 実は今朝くらいから大の方はやってなくてちょうど良い腹具合なんです」

 「トイレ行こう! うんこは前ので懲りて!?」

 そんなわけでいったんコンビニ休憩が入り(茜がトイレ行ってる間に姉妹で雪見大福食った)、すっきりした表情の茜と共に施設へと向かった。


 〇


 六年間暮らした施設を目にしても懐かしいという気持ちはまるでなく、むしろ牢獄に囚われていたような心地だった当時を思い出して息苦しさすら感じた。緑子もそれは同じようで、建物を極力見ないように下を向いて紫子の手を握っている。

 さもあらんと思った。脚も悪く情緒不安定だった緑子はよくいじめられた。からかわれたり髪を引っ張られたり、暗いところに閉じ込められパニックになるのをおもしろがられたり、ある年齢を超えれば男子児童の性的興味の捌け口にされるようなことすら起きた。そんなところで萎縮するなという方が無理だ。

 それでも当時二人で良く隠れ家にしていた倉庫裏のスペースに来れば、自然と少しだけ笑顔がこぼれた。施設からは迫害されていた二人だったが、それでも金網と倉庫の壁に挟まれた土しかない小さな場所だけは姉妹に許されていた。他のどの居場所も許されない代わり、そこだけは彼女たちに与えられるという不文律。一つの淘汰の形だったのか慈悲だったのかは定かではなかったが、安心して姉妹でいられるなら何でもよかった。

 「意外とスペースありますね」茜が手を伸ばしたりして空間の広さを確かめながら言った。「小柄なお二人なら、飛んだり跳ねたりはできずとも、座り込むくらいなら余裕を持ってできたでしょう」

 幅は一メートルたらずといったところか。166センチの茜はやや窮屈だろう。それでも歩くのに不便はないし、金網に背中を預けて腕を組んだりする分には問題なさそうだ。

 「壁と金網で向かい合って座ったりもしとったで」紫子は言う。「ほんなら、鬼婆とかに見付かっても厄介やけん、はよぅ掘ろうか! えっと……どの辺やっけ?」

 紫子は妹に視線を向ける。緑子は「えーっと……」と一瞬首を横に倒し、焦った表情になった。「どこだっけ?」

 「え? 覚えてないん?」

 「お、お姉ちゃんも?」

 硬直した表情で指をさし合う二人。紫子は焦る。自分のオツムの出来を信頼していない紫子にとって、妹の明晰な記憶力が頼りだったのだ。

 「い、いやちょっと待って? ホンマヤバないそれ? いやいやこの壁と金網の隙間スペースってことは分かっとるけど、でも幅はともかく奥へは広い訳やから、しらみつぶしやと下手すりゃ朝に……」

 「だ、大丈夫だよ、お姉ちゃん!」緑子は両の拳を握りしめて、強い口調で言った。「忘れちゃった時の為に、わたし施設の建物にどこに埋めたか書いておいたの! だからそれ見たら大丈夫だよ!」

 「いや、そんなもん残して誰かに発見されたら、掘り返されるんじゃないですか?」茜が心配そうに言う。

 「大丈夫。ちゃんと暗号にしてあるから。すごくすごく難しくしたから、誰にも解けないよ!」

 「でかした! 流石ウチの妹!」紫子はガッツポーズ。「で、その暗号とやらはどこや?」

 「こっちだよ」

 緑子は歩き始めた。足を引きずって歩くその小さな歩幅に合わせて進むと、施設の建物に行き付く。指さしたのは排水用の管で、その裏側に携帯電話の明かりを当てた。

 「あった……」緑子は表情を明るくする。「あったよお姉ちゃん。これでばっちり!」

 なるほど良いところに描いてあるものだ。こんな管にわざわざ注目する人間なんていないし、増してこんな裏側などふつうに生活している分には誰も見ない。

 「よっしゃ! ほな早速みるでー」紫子は意気揚々と管の裏側に視線をやり、しかし、そこに描かれていることを見て硬直した。

 『聖夜に終末の鐘が鳴り響く時、正邪の境界は牢獄の檻を指し示す。檻から出た者は境界に立ち、在りし日の財宝を求めよ。生まれし日のカストールの命の重さは宝への距離を指し示す。ただしカストールはボリュデウケースの分の命の重さを失っている。心して歩め』

 紫子は目をぱりくりさせ、緑子の方を見た。緑子はニコニコして姉と視線を合わせてから、少しだけ誇らし気な表情で「えへへ」と笑う。紫子は、ほっとして妹に訊いた。

 「これ、おまえが書いたん?」

 「うん!」

 「タイムカプセルの場所?」

 「そうそう!」

 「……何書いとるか、意味、分かる?」

 「うん。……うーん? うん?」

 緑子は首を傾げ、目を伏せ、次に震えた両手を眺めながらわなわなとした表情で喚き始めた。

 「あ、あれ? お、おかしいな。何書いてるのかなこれ? え、ええと……? なんだろう……分からない。分からない! 自分書いたのに何が何だか分かんないよ! うわぁあどうしようどうしようぅう! うわぁあ!」

 「みどりこー! 落ち着け―! 落ち着くんやー!」 

 目を回し、タイムカプセルの場所が分からなくなったことにパニックに陥る妹の手を紫子は咄嗟に握った。

 「ごめんよー! おまえはちゃんと工夫してくれとったのにウチはなんもせんかってごめんよー! おまえに頼りきっとってごめんよー!」

 二人してわあわあ喚く姉妹をしり目に、茜は一人、引き攣った笑顔で暗号文を見詰めて呟いた。

 「……十一歳の書く文章じゃないだろ、これ」

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