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姉妹、隣人と交流する 2

 〇


 アルバイトを終えた紫子がスーパーから出る頃には、雨はかなり激しさを増していた。

 同じ時間帯に入っているバイト仲間たちは、休憩室でしばらく雨が止むのを待っていくらしい。今時は携帯電話で『日暮れまでには止む』という情報を手に入れられるというのだからすごい。正直紫子も雨に濡れるのは嫌だったが、しかし仲間と同じ休憩室で雨上がりを待つ気にはならなかった。

 バイト仲間との折り合いが悪いというのではない。連中が紫子の陰口を言ったり無視したりするような連中であるなら、こちらも仏頂面で壁でも見詰めていればいいだけの話だ。そういうのには慣れている。しかしこのスーパーの連中は何だかお節介な人間が多く、社交的に振る舞おうとしない紫子に対しても何かと声をかけて来るのだった。気遣いから来るものだけに無視できず、これが紫子には非常に煩わしいのだった。

 漠然とでも輪の中にいれば慣れて来るかもしれない。しかし家に閉じこもらざるを得ない緑子を置いて、自分だけ誰かと仲良くするのも憚られる。もちろん妹だって紫子が誰かと仲良くするのを拒む訳じゃないだろうけど、しかし紫子自身強く友達が欲しい訳でもなかったので、『なんとなく憚られる』気持ちに従って紫子は孤立を選んでいた。

 「しっかし困ったなぁこの雨は」簡単な屋根のある自転車置き場で、紫子は腕を組んだ。「風邪引くんはまずいよなぁ。妹に移すんはまずいし……。傘買うんもぜーたくやし……」

 その時、ポケットの中で携帯電話が鳴った。妹からなのを確認して、出る。

 『もしもし? おねへちゃぁあん?』なんだか呂律の回ってない声で緑子は言った。

 「なんやー緑子。いけるんかーなんか声おかしいでー」

 『らいじょぶらいじょぶー。あろねー、今からねー。お姉ちゃんにねー、迎えが来りゅからー』

 「迎えぇ? 無理やろー。おまえの脚やとここ来るんに一時間以上かかるで。やめときー、お姉ちゃん一人で帰れるけん待っとりー」

 『わたしらないよぉー。ハイカワさん』

 「ハイカワさん?」……新キャラか? 緑子の脳内には何人かのキャラクターが存在している。緑子をいつも監視している天井のシミ『ムラヤマ星人』とか、緑子に料理を教えるドアノブの『ギンコちゃん』など。善玉と悪玉でだいたい2:8の割合だ。

 緑子はとても良い子なので、自分の空想だと思わしき事柄に人を巻き込まないよう努力しているようだが、たまにこうして不安定になることもある。こういう時に空想を否定すると余計に混乱したり不安になるので、とことんまで空想に付き合うべきだった。

 「ほうかほうか。そら安心や」紫子は言った。「ほんなら、ハイカワさんに送ってもらうわなー……」

 その時、紫子の前にオンボロの黒い車が地面の水たまりを跳ねさせながらやって来た。

 「うおわぁっ!」

 間一髪回避して水浸しにならずに済んだ。自転車置き場の入口を塞ぐようにして停車した車の後部座席のドアが開く。何者かと思い運転席の方を見ると、青白い顔をした髪の長い女が細長い指をサムズアップしていた。

 『どうしたのー、お姉ちゃん? もしかして、ハイカワさんもう着いた?』

 「は? え、いや、その、車に乗った変な女が……」そういえばこの女見覚えがある。前にアパートの前で猫にエサをやっていた口のきけない女だ。

 女はサムズアップした親指を後部座席の方へ向けた。乗れということらしい。紫子は、恐る恐る後部座席に頭を突っ込み、女に向けて尋ねた。

 「もしかして……『ハイカワさん』?」

 女は少し迷った表情をしてから、親指を立て直して頷いたのだった。


 〇


 ……ナニモンや、こいつ。

 後部座席に乗り、アパートの方へ運ばれながら、紫子はアタマを抱えていた。

 不審人物に間違いない。彼女が緑子の知り合いなのは確かなようなので正体を確かめる為に乗り込んでは見たが、しかしよくよく考えてみれば、このまま車でとんでもないところに連れて行かれて拉致監禁という可能性も否めないのだ。

 懸念に反して、車はあっさりとアパートの方へ着いた。駐車スペースに車を止める前に、紫子が雨に濡れないようアパートの出入り口で降ろしてくれるという親切心すら女は発揮した。

 階段を上り始める紫子の後ろを女は付いてくる。紫子が自分の部屋の扉に手をかけると、彼女は後ろで待機した。マジかよこいつウチ来るのかよ、と思いながら、送ってもらった手前いったん家でもてなすのは自然なことの気がするし、緑子から話も聞きたいので扉を開けた。

 「あ、お姉ちゃんおかえりー」緑子はなんだか妙にニコニコしていた。おまけに顔が赤い。テーブルにはチューハイらしき缶がいくつか並んでいる。「ハイカワさーん、ありがとねー」

 女はこくりと頷いて、紫子の方を見た。『入っていいか?』というニュアンスがそこにあったような気がしたので、紫子は漠然と頷いた。女は靴を脱いで中に入り、緑子の傍に座って並んでいる缶の内の一つを手に取り、口に運んでぐびぐびと飲んだ。

 「酒はあかんて、酒は……」紫子は呆然として言った。「……何者やあんた。ウチでもあかねちゃんでもないのに緑子が怖がってない、緑子に酒飲ますあんたは、いったい何者や……?」

 「何者ってー? この人はハイカワさんだよー」緑子はいつになく上機嫌だ。酒の所為だろうか。「あれー? なんだかムラヤマ星人がこっち見てるー。なにー?」緑子は天井のシミと会話をし始めたヤバい兆候だ。「わたしをどうするのー? 食べちゃうのー? でもだいじょーぶ、わたしにはカワコソキキド神の加護があるから食べられないもーん。えへへー」

 「み、緑子。緑子ちょっと、ちょっとこれ飲まへん?」紫子は慌てて緑子に薬を差し出す。強い妄想、幻覚が現れた時に飲ませる薬だ。アルコールとの組み合わせが少々気になったが、そうは言っていられない状況にあった。『ムラヤマ星人』は所詮雑魚キャラだが『カワコソキキド神』が登場したということはかなりまずい。放置すれば最悪血が流れる。

 「お水持ってくるでなー、口入れてごっくんするやでー」

 「お姉ちゃぁん? それ一番強い奴らない? わたし今らいじょーぶだから、そんなの飲まなくていいよー」

 「そ、そうやなー。でもこれなー、クスリやのうてな、クスリっぽいお菓子やねん」

 「なにそれークスリみたいなお菓子なのーおもしろーい」

 「おもしろいやろー? 飲んでみんかー?」

 「きゃははは! 飲む飲むー。食べる食べるー」

 「ほうかほうか。じゃ、噛まんと、水で飲ごっくんするんやでー」

 「ふぇ? お菓子らんでしょ?」

 「クスリ風のお菓子やけんなー、クスリみたいにして飲み込むのが正しいんよー」

 「変なのー。きゃはははは!」緑子はクスリを水で飲み込んだ。

 効果が表れるまであの手この手で時間を稼ぐと、緑子は電池が切れたみたいに倒れた。すうすう言いながら寝てる姿を見るにとりあえずこれで一安心。紫子は妹を布団に寝かせ、『ハイカワさん』と呼ばれる女に向き直る。

 「で……何者やねん、あんたは!」

 女は口元に手を当てた。『喋れない』のジェスチャー。

 「ウチの妹に酒なんか飲ましやがってからに。妹がマジでパニックになった日にゃ下手すりゃ流血沙汰やぞ?」

 女は困ったように首を傾げてから、ふらりと立ち上がり、ちょいちょいとこちらに手招きした。『付いて来い』というニュアンス。

 何か見せたいものでもあるのだろうか? いぶかしく思いつつも、紫子はその女の無口無表情な意思表示に従い、後ろを付いて行くことにした。

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