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ひとりぼっちの少女と、虚影の魔王  作者: 遠野九重
前編 わたしがひとりぼっちだったころ
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第七話 カウント・ダウン

 有沢くんがいなくなった後も、しばらくその場には重たい空気が漂っていました。

 

「行こっか……」

「うん……」


 やがて誰ともなく歩き始め、ばつの悪い雰囲気のまま寮へ向かいます。


「大田くん、あんな人だったんだ」

「ちょっとひどいよね……」


 そんな会話が漏れ聞こえてきて、わたしは、思わず眉をひそめていました。


 さっき、大田くんが最上くんを扱き下ろした時。

 わたしたちの誰も、それを止めようとしませんでした。むしろ囃し立てている人すらいました。


 動いたのは有沢くんだけで――だから、わたしたちには大田くんを悪く言う資格などないように思えます。

 

「なーんか有沢くん、意外とジョーシキジンだったねー」


 意外そうに呟いたのは、半田さんです。


「ミクと付き合ってた時もあんな感じだった? ってか大田くんについててあげなくていいの? カレシでしょ?」

「……有沢くんがあんなふうに怒ってるの、初めて見たわ。荘司は、まあ、後でちょっと見てくるわ」

「つーかさ、有沢、ただのギゼンシャじゃん」

 

 笹川さんが嘆息します。


「ああいうイイコイイコしてるの、あたし、マジでカンに触んだけど」


 すると、他の二人もすぐに追従して。


「だよねー。『シワとシワを合わせて』とかおまえ仏壇かよってさー」

「そもそもいきなり暴力を振るうのはどうかと思うわ。有沢くん、自分が高レベルだからって調子に乗っているのかしら」


 と、悪口を並べ立てます。


「シヅキもそう思うよね?」


 念を押すように問いかけてくる、笹川さん。

 その眼には、反対意見なんて出るはずがない、という確信に満ちていて――その黒い瞳が、ひどく、ドロリとした色合いに見えました。


「……シヅキもそう思うよね」


 少し低めの声。

 それ以外の答えは絶対に許さない、言外にそう含ませた威圧。


 まるで踏み絵をさせられているような心地でした。

 踏まなければ自分の立場がない、けれど踏めば自分の大切なものをなくしてしまう。

 

 わたしはしばし逡巡して。


「ご、ごめん。ちょっと気持ちが悪いから、先、行くね」


 逃げるようにその場を駆け出しました。


 本当なら、いつもみたいに愛想笑いで答えるべきだったのでしょう。

 看守の機嫌を伺う囚人のように、命じられたとおり有沢くんを罵っておけばわたしの立場は守られたはずです。


 けれど、それがどうしてもできなくって。


 断崖絶壁に向かって走っているような心地で、わたしは寮に――自分の部屋へ、転がり込みました。



 いっそここに崖があればよかった。

 落ちてしまえば、もう、何も悩まなくて済むから。




 * * 




 午前中を部屋で過ごすのは久しぶりでした。

 窓からは見慣れない角度で日光が差し込んできて、壁やベッドに四角形の明かりを投げかけています。


 わたしは頭から布団を被って、ただぼんやりとその陰影を眺めていました。


 

 亡くなった最上くんのことを考えます。

 彼とはクラスメイトでしたが、事務的な会話くらいしか関わりはありません。


「真川さん、日直の日誌はもう書いておいたから」

「……うん、ありがとう」

「じゃあぼく、予備校があるから」


 一番長く続いたやりとりですら、この程度。

 わたしは最上くんのことをほとんど知らないのです。

 いったい彼は、何を、どう悩んで、自殺まがいの最期を選んだのでしょう。

 

 葬儀からの帰り道、みんなは口々に噂していました。

 ……貴族の女性、未亡人、重い病気、治療費、先々週に亡くなった――。

 そして、有沢くんの言葉。


「彼は自分の恋に殉じた」


 まるで文学作品みたいな、ちょっとキザな言い回し。

 ただそれは、どこか浮世離れした有沢くんの雰囲気にぴったりで――同時に、ふしぎな信憑性を伴っていました。


 最上くんは、好きなひとの後を追おうとしたのでしょうか。

 

 わたしは彼の心中を想像せずにいられません。

 亡骸は穏やかな表情を浮かべていました。天国かどこかで恋人に会えたのでしょうか。


 すべては本人しか知り得ないことですが、それでも、せめて死後は幸福であってほしいと思います。


 

 ――けれど、そう感じるのはわたしだけなのでしょうか?



 さっきのことを思い出します。

 大田くんの言葉。

 

「ぶっちゃけ、キ最上が死んでも悲しくねーだろ?」

「だってあのバカ、ネクラじゃん?」

「逃げてんじゃねえぞ、あの根性なしが。心弱すぎだろ、なあ?」

 

 容赦のない罵倒。

 それを笑って受け入れるクラスメイトたち。


 わたしにはその感性が、よく、わかりません。

 


「自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安」


 パッと頭をよぎったのは、太宰治の『人間失格』の一文。

 たしか主人公の葉蔵は、自殺まがいの行動を繰り返して最後は廃人になったはずです。

 それから。


「きみたちは、そんなことを言いながら、ある行為の内部の事情を深く考えたことがあるのかい?」


 ゲーテの、『若きウェルテルの悩み』。

 主人公のウェルテルが自殺者の心境について擁護するセリフで、のちに彼も拳銃で自殺を遂げています。


「君たちは、泣いている人を見ても何とも思わないのかね! あきれたものだ。これが文明社会ってわけか! 都市生活は弱者を見殺しにするところからはじまるってことかい、は!」


 これは、何だったでしょうか。

 いわゆる古典とか名作とかじゃなく、もっと最近の、いわゆるライトノベルのたぐいだった気がします。


 

 他にもたくさんの言葉が、いつもみたいにワアッと嵐のように吹き荒れて――その中で、ふと、思います。


 わたしが死んだらどうなるかな、と。


 きっと今日と同じことになるのでしょう。

 悲しむ人はおらず、むしろ罵倒されるだけ。

 せめて有沢くんが少しでも冥福を祈ってくれたら、嬉しいな。



「……あっ」



 それまで無言だったわたしが声をあげたのは、鏡ごしに壁掛け時計が見えたからです。

 針はもうとっくに午後1時を回っていました。


 わたしは慌てて立ち上がろうとしました。

 けれどなぜだか手足に力が入らなくって、よろよろと、壁伝いに窓まで歩きます。

 

「今日も探索、あるんだ……」


 寮の前にはクラスメイトたちが集まっていました。

 宮廷魔術師さんたちも何人か来ていて、各地のダンジョンへ飛ばすための転送魔法を行使していました。


「笹川さんは――」


 どこか焦点のぼやけた視界の中、わたしは見慣れた金髪を探します。

 けれど見つけることができません。

 半田さんも鯛谷さんもいないようです。

 

 まだ寮にいるのか、わたしを置いて先に行ってしまったのか。

 

「どうしよう」


 わたしがそう呟いた時、クラスメイトのひとりがこちらを向いた……気がしました。

 ここは五階の端、寮の入り口からはかなりの距離があります。

 お互いの姿なんて見えないはずなのに、わたしは、なぜか、大慌てで窓から離れていました。


「行かなきゃ、だめ、だよね」


 心臓が早鐘を打っていました。

 まさか、昼から探索があるなんて。


 もしかして、わたしが寮へ戻った後にそう決まったのでしょうか。

 勝手に集団行動を外れたせいで、いま、その報いを受けているのでしょうか。

 

 同時に、わたしはまだ昼ごはんを食べていないことに気付きます。

 他のみんなはどうなのでしょう。

 

 何も、何もわかりません。


 まるで、自分が世界すべてから切り離されたような心地でした。

 普段から漠然と感じていた、わたしと周囲を隔てる透明な鉄格子。

 それがますます存在を強くしているように思えます。


「……行かなきゃ」


 勇者として、ダンジョンで魔物と戦わなきゃ。

 そう思うのですが――身体が、まったく動いてくれません。


 胸のあたりがゴッソリと抉られたような感覚。


 戦うのが恐いとか、そういう話ではありません。

 まるで心の燃料がすべて尽きてしまったような、空虚さ。

 

 色々なことを考えたり思ったりするうちに少しずつ「わたし」が擦り切れていって、ついに何もなくなってしまった。

 そういう、飽和感でした。

 

「……」


 ただぼんやりと、窓からの日差しを眺めます。


 もし葬儀が昨日の夜のうちに行われていれば、そうしていつもどおり朝から探索だったなら、まだ、何とかなったかもしれません。


 けれど今日はあまりにもイレギュラーな動き方で、それに対応するだけの力は、もう、わたしの中に残っていませんでした。


 その後は、笹川さんたちが呼びに来ることもなく、ただ時間だけが過ぎていきました。


 太陽が傾いて、部屋に朱が差し込みます。

 

「みんな、もうすぐ、帰ってくるよね……」


 わたしが探索をサボってしまったことを、知っているのでしょうか。

 それとも気にも留めていないでしょうか。


 二時間もすれば夕食ですが、何も口にしたくありません。

 けれどずっと部屋に引きこもっていれば、さすがに誰かが気付くでしょう。

 クラス委員長の角田さんあたりが訪ねてくるかもしれません。


「構わないで、欲しいな」


 放っておいてほしいというか、もう、誰の記憶からも消えてしまいたい。

 だって死んだら、みんなから罵倒されるじゃないですか。


 存在そのものを最初からなかったことにできれば、いいのに。




 そういうことを考えながら。



 わたしは、ぼんやりと身支度を整えて、部屋を片付けて。



 寮を抜け出していました。



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