第十八話 オンリー・ワールド
《虚影領域Ⅲ 半田ひな》
うーん。
半田さんってひたすら、笹川さんの横で「そうだよねー」って言ってるだけの人なんだよね。
この子と話すべきことはほとんどないので、さっさと森の中で分体 (姿は笹川さん&鯛谷さん) と追いかけっこしてもらうことにした。
もしかするとこういう、大した背景も悪意もなく誰かを踏みつけれるタイプがいちばん恐いのかもしれない。
《虚影領域Ⅳ 鯛谷美玖》
彼女についての話は、省略してもいいだろうか。
僕自身、まだちょっと心の整理がついていない。
【領域】内の風景は、笹川さんと同じ「森と焚火」にしておいた。
真っ暗で不気味な森、パチパチと頼りなく炎が燃えている。
そんな状況にいきなり叩き込まれたにも関わらず、鯛谷さんはまったく狼狽えない。
むしろどこか恍惚としているようにも見えた。
後から考えると、僕は彼女と会うべきではなかったのかもしれない。
何の説明もなしに分体二人 (笹川さん&半田さん) に襲わせるべきだったのだろう。
けれど、鯛谷さんだけ別の扱いにするのはなんだか気持ち悪くって、僕は彼女の前へと出て行った。
まず、ここが影の中であることを説明する。
鯛谷さんの反応はと言うと。
「嬉しい……」
なぜか、とろんと熱に浮かされたような表情でそう呟いた。
「私、慎弥の中にいるのね」
「解釈としては間違ってないかな」
「シヅキさんはまだ、ここに入ったことがないのでしょう? ……素敵」
彼女は長い髪をかきあげて、やけに艶めいた溜息を漏らした。
鯛谷美玖。
やや長身で、冷ややかな美貌が評判の女の子。
どこか浮世離れした雰囲気もあって、クラスじゃ密かに慕っている男子は多い。
「私を殺すの?」
「ここからの返答次第かな」
本当は無傷で帰すつもりだけれど、さすがにそれは隠しておく。
「気付いてるだろうけど、僕と真川さんは付き合ってる。……あの子に手出しするなら、僕は絶対に容赦しない」
「そう」
鯛谷さんは、ふふ、と小さく微笑む。
「慎弥、やっと誰かに興味を持てるようになったのね。おめでとう」
「話を逸らさないでくれるかな。重要なのは僕のことじゃない、真川さんだ」
「まだ苗字なのね。――私も、三回しか名前で呼んでもらえなかったけれど」
「……鯛谷さん。今どういう状況なのか、ちゃんと分かってる?」
僕は、分体たちに威嚇射撃を命じようとして……ギリギリ、思いとどまる。
ちょっとそれは格好悪すぎるだろう、男の子として。
「状況なら認識できてるわ。……殺してくれるんでしょう?」
「君、自殺願望持ちだったっけ」
「そういうわけじゃないけれど、慎弥って、ほんとうに鈍感ね。いつか詩月さんに愛想を尽かされないといいけれど」
「鯛谷さんに心配してもらうことじゃないよ」
突き放すように僕は言い放った。
けれど、鯛谷さんはそれに構わず言葉を続ける。
「要するに貴方、自分にないものをシヅキさんに求めてるのよ。優しさ、繊細さ、敏感さ。でも、それって本当に恋なのかしら。違うわ、絶対に違う。――あの子への羨望に、思春期の性欲が混ざった気の迷い。それに『恋』なんてキレイな名前をつけて自己陶酔してるだけ。
彼女も可哀想ね、付き合ってるのに片想いなんて」
「……僕と鯛谷さんじゃ恋愛観が違い過ぎるみたいだ。理由や過程はどうあれ、僕は真川さんを守りたいと思ってる。その気持ちは本物だし、重要なのはそれだけじゃないかな」
「ただの自己満足ね。やっぱり慎弥の世界には慎弥しかいないのよ。自分だけが無限に広がる虚しい影の国、それを統べるひとりぼっちの魔王さま。……シヅキさんは貴方の癒しになるでしょうけど、決して孤独を埋めてくれない。慎弥をほんとうに理解できるのは私だけ。私だけなの。――言いたいことは言ったわ。さあ殺して。私を殺して。そうして慎弥は一人きりになればいい。いつかシヅキさんも離れていく。だって貴方の屈折に寄り添える人間なんて、私以外に誰もいないんだから」
最後はもう、捲し立てるようだった。
鯛谷さんは足元の焚火にも構わず身を乗り出し、向かいに座る僕の両肩を掴んでいた。
さて。
そんな彼女にしてあげれるのは、まあ、これくらいだよね。
「鯛谷さん、気持ちは嬉しいけれど、ひとのことを理想化しすぎてるよ」
僕はゆっくりと手を伸ばす。
彼女の首を掴んだ。鯛谷さんは陶然と微笑む。
――電撃魔法で、意識を刈り取った。
知っている人は知っているだろうけれど、僕は小さい頃、あんまりよくないことをやらかしている。
家に押し入ってきた強盗。
ナイフを突きつけられる妹。
我先にと逃げ出した両親。
僕はがむしゃらに強盗へと襲いかかり、その頭を、何度となくイスで殴りつけた。
後で聞いた話じゃ、そいつは頭蓋骨があちこち砕け、生死の境をさまよったらしい。
以来、僕は両親から距離を置かれている。
まるで人殺しのような扱いで、まあ、当然と言えば当然か。
ただ。
僕の妹については、ちょっと予想外すぎた。
「兄さん、大丈夫だよ。あたしは分かってるから。兄さんのこと、世界であたしだけが理解してるから」
妹はとても優しい子で……優しすぎたのだろう。
そこに両親への反発などなどが相まって、ちょっと重たいブラザーコンプレックスを抱えてしまった。
ま、小学校を出るころにはほとんど完治したけどね。
今は全寮制の女子校に入って、周りから王子様みたいな扱いを受けているらしい。
だから、うん。
鯛谷さんについても、時間が解決してくれると、信じたい。
……もし真川さんに何かしてくるようなら、話は別だけど。
残り数話。
次、真川詩月視点に戻ります。