第十一話 「監禁」0日目夜~1日目朝
「で、これからの話なんだけどさ」
有沢くんはあらためてイスに腰掛けます。
「委員長にも宣言しちゃったし、真川さんにはここで暮らしてもらうから」
「ここって……有沢くんの、部屋、ですか?」
「そりゃそうだよ、だって僕は君を拉致監禁してるんだからね。……そういえばお腹は空いてない? 晩ごはん食べてないよね。街のほうにおいしいお店があるんだけど、今から行く?」
「ごめんなさい、まだ、食欲がなくって……」
胃のあたりはカラッポの感じがするのに、何かを食べたいという気持ちが湧いてきません。
たぶんまだわたしの深層心理はまだ「死」の側にあるのでしょう。
有沢くんはわたしのことを好きと言ってくれました。
悪名を被ってまでわたしの心を守ろうとしてくれました。
それは泣きたいくらい嬉しいことですし、とてもありがたく感じています。
これならもう少し生きていてもいいかな、と思うのですが――同時に、新しい不安が沸き上がってくるのです。
もし有沢くんに嫌われてしまったら、どうしよう。
愛は永遠。
そんな能天気な言葉を信じることができれば、きっと仮初めの安心に浸ることができるのでしょう。
けれど現実を見渡せば、あちらこちらで破局、離婚、浮気、不倫――。
わたしのお母さんだって、お父さんに捨てられています。
有沢くんとわたしも、そういう悲しい結末を迎えるかもしれません。
だったらいっそ、今のこの幸福を抱えたまま死を……もこもこもこもこもこ。
「――ひゃっ!?」
「あはは、真川さん、かわいいね」
びっくりしました。
有沢くんは自分の影からでぶ猫を引っ張り出すと、わたしの顔にぐりぐりと押し付けてきたのです。
「グニャァァァ」
黒猫はくすぐったそうに身をよじると、有沢くんの手から離れました。
そのままポスンとわたしの膝に着地すると、丸くなって (もとからまんまるですが) ゴロゴロと甘えてきます。
「へえ。こいつが僕以外に懐くところ、初めて見たよ」
「この子ってやっぱりスキルで仲間にしたんですか?」
例えばさっきここを訪ねてきた角田さん。
彼女はテイム系のスキルを色々と持っていたはずです。
「うーん、スキルを使ってることは使ってるんだけど、テイムってわけじゃないかな。ちょっと待ってね。
――ステータス・オープン、スキル・パブリッシュ、【影群体】」
有沢くんがいくつかのフレーズを唱えると、わたしの目の前に半透明のパネルが浮かびました。
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【影群体Ⅱ】
同時に「スキルランク×100」体まで小動物型の黒い生物を生み出せる。
これらはスキル所持者の「1/11-スキルランク」ほどの能力を有する。
持続時間は無限。
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なんだか、下手なユニークスキルよりよっぽどインパクトの大きい効果です。
ランクⅡということは、黒猫が最大で200匹……!
スキルを全開にしたなら、きっとものすごいモコモコ空間が生まれることでしょう。
「実際はウサギでもカメでも作れるんだけど、個人的な趣味でネコにしてるんだ」
「いいと思います。わたしも猫、好きですし」
「フニャァ……」
背中をさすってあげると、黒猫は嬉しそうに身を震わせました。
「ホントに懐きまくってるなあ」
苦笑しつつ、有沢くんも黒猫に手を伸ばしました。
けれど。
「フシャー!」
黒猫は軽やかに身を翻すと、近付いてきた有沢くんの手をパシッと振り払っていました。
「シーッ!」
そのまま全身の毛を逆立てて威嚇します。
相手は自分の主なのに、どうしてこんなことをするのでしょう。
「ああ、なるほど」
一方で有沢くんはうんうんと納得していました。
「この黒猫も僕の一部だしね。たぶん、真川さんを独占したいんだよ」
「……へっ?」
わたしは黒猫へと視線を落とします。
この子も有沢くんの一部ということは、つまり彼がわたしの膝上でゴロゴロと甘えているようなもので、えっと――。
ぽんっ、と。
自分の顔が爆発したような心地でした。
きっと端から見ればリンゴみたいな赤面ぶりだったでしょう。
なんだか気恥ずかしくって、有沢くんの方を見ることができません。
「どうしたの?」
なのに有沢くんのほうは何とも思っていなさそうで、ちょっと、ずるいと思います。
「何でも、ありません……っ」
「そう? ならいいけど、困ったことがあったら教えてね。相談に乗るよ」
「ありがとうございます。――優しいですね、有沢くんは」
* *
だからこそ、不安なんです。
わたしは自分でも嫌になるくらい情緒不安定で、いつか有沢くんに愛想を尽かされてしまうんじゃないか、って。
互いの気持ちが通じてまだ一日も経ってないのに、もう、別れる瞬間に怯えているんです。
* *
わたしは表向き「監禁されている」という体ですし、そのまま有沢くんの部屋に泊まることになりました。
「真川さんはベッドを使ってよ。僕はリビングのソファで寝るしさ」
それはちょっと申し訳ないですし「わたしこそソファで……」と申し出たのですが、結局、彼に押し切られてしまいました。
翌朝。
いつもどおり、6時に目が覚めました。
この時すでに有沢くんは起きていたらしく、それどころか早朝のランニングまで済ませてきたそうです。
「体力をつけるっていうより、ただの習慣かな?」
ちょっと頬を上気させながら汗を拭くその姿は、なんだかちょっとキラキラしていました。
「もうすぐ朝ごはんだけど、真川さん、食堂は行けそう?」
「ごめんなさい、まだ、食欲がなくって」
「……わかった。ちょっと待っててね。すぐ戻るから」
有沢くんを見送った後、わたしはベッドに戻りました。
グギュルルルル!
それまで我慢していた反動でしょうか、胃と腸が盛大に不平不満を訴えてきます。
「何か、食べたいな……」
わたしは有沢くんに嘘をつきました。
もう食欲は戻っているんです。
パン、スープ、ハッシュドポテト。
メニューを思い浮かべるだけで、お腹がグルグルと鳴り出します。
けれど、今のわたしにとって食堂へ向かうことは、空腹よりもずっと辛いことでした。
クラスメイトに会いたくないのです。
彼らのことが恐くて恐くて、考えただけで身体が竦んでしまいます。
それは「失踪騒ぎの件で詰られるかもしれない」なんて単純な話ではありません。
“彼ら”が何を考えているのか、まったく理解できないのです。
例えば亡くなった最上くんについて。
どうして“彼ら”は相手をよく知りもせず、無責任な噂を囁き合ったり、罵倒の言葉を並べ立てたりできるのでしょう。
昨日までのわたしは、なんとか“彼ら”に溶け込もうとしてきました。
周囲の顔色を窺って、愛想笑いを浮かべて――けれど、そんなエネルギーはもう尽きてしまいました。
残ったのは“彼ら”に対する漠然とした恐怖だけ。
わたしにとってクラスメイトは、もはや魔物や異星人のような存在と化していました。
「有沢、くん……」
呟きつつ、ベッドでうたた寝している黒猫を抱き寄せます。
昨晩、この子は頑として有沢くんの影に戻ろうとしませんでした。
最終的にわたしと一緒のベッドで眠ることになり、今もこうしてニャゴニャゴと寝息を立てています。
「お腹が空いたけど、誰にも会いたくないよ。どうしたらいいのかな……?」
わたしは黒猫の背中に顔をうずめました。
モコモコとした、暖かい毛並み。
知らず知らずのうちに目頭が熱くなってきて、涙を零しそうになった、その寸前。
「ただいま! 遅くなってごめん!」
聞こえてきたのは、有沢くんの声。
わたしは飛び起きました。予想外でした。もう食べ終わったのでしょうか。そんなまさか。ありえません。
まだ食堂に向かってから三分も経っていないはずです。
「真川さんの分のごはんも取ってきたよ。ここじゃなんだし、隣のリビングで食べようよ」
有沢くんは左右の手にそれぞれトレイを持っていました。
お皿は合計で6枚、パンやサラダ、ソーセージ、ベーコン、ハッシュドポテトなどなどが山盛りになっています。
……なんというか、わりと絶望的な盛り付けセンスです。
でも、そんなの別に構いません。
「あ、本当にお腹が空いてないなら無理しないでね。いざとなったら【虚影の宝物庫】で保存するからさ」
有沢くんがわたしのために、ごはんを取ってきてくれた。
それが嬉しくて嬉しくて、お腹の虫もグリュルルルと万歳三唱を唱え始めて、それで黒猫が驚いて飛び起きて天井に頭をぶつけて――。
「真川さん、だいじょうぶ!? どこか痛いの!?」
彼がすぐそばに駆け寄ってきます。
どうやらわたしは泣いているようです。
昨日といい今日といい、いつのまにか随分と涙もろくなってしまいました。
とはいえ有沢くんに泣き縋るのはまだ気恥ずかしくって、だから代わりに黒猫へと手を伸ばしたのですが、
それよりも、先に。
「真川さんはこっち」
有沢くんはわたしを抱きすくめると。
「黒猫のやつ、昨日からいい思いしすぎ」
ちょっと妬いたような口調で、そう呟きました。
「監禁するよ!」と言ったそばから「外に食べにいこう!」と提案する。
有沢くんはわりとフワフワ系です。