第十話 虚影の魔王と、囚われの姫君
キミノコトガスキナンダ。
はじめ、わたしはその言葉を理解できませんでした。
「えっ……・?」
“スキ”って、ええと、農具の? (鋤)
それとも茶室の建築様式の? (数寄屋造)
ライクとかラブの“好き”なんて、わたしなんかに使う言葉ではないでしょうし、ええと、ええと。
「ああ、いや、その――ごめん、真川さん」
有沢くんの顔は、月明りの中でもはっきり分かるくらい真っ赤になっていました。
「急にそんなことを言われても困るよね、うん」
照れたように前髪をかきあげながら、わたしから身を離します。
――いつの間にかお互い、吐息がかかりそうな距離まで近づいていたのです。
「と、とにかく、さ」
コホン、と一息つく有沢くん。
それから黒曜石のように冴え冴えとした瞳で、再びわたしを見据え――
「僕は真川さんに生きていてほしい。ここにいるのが辛いなら、遠いどこかへ駆け落ちしたって構わない。……君のことが、好きなんだ」
聞き違えようもなくはっきりと、そう口にしたのです。
わたしは、夢でも見ているのでしょうか。
好きな男の子から、こんなに優しい言葉をかけてもらえるなんて。
自分には勿体ないくらいの幸福で、すべてが幻想ではないかと疑いたくなるほどです。
右手て頬をつねってみます。
思いっきり、ぐっ、と。
痛みはちゃんとありました。
頬をつまむ指に、熱い雫がポタポタと落ちてきます。
それは涙です。
痛いわけでも苦しいわけでもないのに、どうして、わたしは泣いているのでしょう。
「……やっぱり迷惑だったかな」
有沢くんは自嘲気味に笑いました。
「ごめん。僕みたいに変なヤツから好かれてたって、嬉しくなんかないよね」
違います。
本当は嬉しいんです。
とてもとても嬉しくって、その気持ちが溢れているだけなんです。
けれどそれを伝えようにも、嗚咽に噎ぶ喉は言葉を紡いでくれません。
わたしはもどかしい思いを抱えたまま、彼の冷たい手をそっと握ります。
――【分度系】。
それは自分の体温を分け与えるユニークスキルです。
今日まで何の使いみちもないと思っていましたが、もしかすると、有沢くんを暖めるためのものだったのかもしれません。
「……ありがとう、真川さん」
おそらく、わたしの想いは伝わったのでしょう。
彼は、ぎゅ、と手を握り返してくれました。
体温を共有しているせいか、まるで指先が融け合っているような感触でした。
「涙、拭くよ?」
空いた左手を器用に使い、有沢くんはズボンの右ポケットからハンカチを取り出しました。
目元を、優しく拭ってくれます。
「真川さんの眼、キラキラしてるね。星空みたい」
有沢くんはそう言うと、わたしにそっと唇を近づけて――けれど。
……ドンドン! ドンドン!
乱暴なノックが、廊下から聞こえてきました。
「有沢くん! ちょっといい!? クラス委員長の角田だけど!」
ドア越しでもよく聞こえる、とても大きな声です。
「緊急の用件があるの! いい!?」
ドンドン! ドンドン!
よほど焦っているのでしょうか、遠慮のないノックが繰り返されます。
有沢くんは、困ったように肩をすくめると、
「ごめん真川さん、ちょっと待っててもらっていいかな」
とんでもなく億劫そうな足取りでドアの方へ向かいました。
「はいはい、こちら地球防衛軍の異世界支部。ここは地球じゃないんで無期限の活動停止中です」
「有沢くん!? 起きてるなら開けてちょうだい!」
「ごめん、それはできないよ」
そう答える有沢くんは、ドアを背に座り込んでいました。
「夜間に女性と会うのは禁止されてるんだ、宗教上の理由でね」
「もう、またわけの分からないことを言って……」
ドアの向こうから嘆息が聞こえてきます。
――この時、有沢くんの影からピョコンと小動物が飛び出しました。
まるで毛玉のカタマリみたいな太っちょの黒猫で、けれど、図体に似合わずなかなか俊敏でした。
タタタタッと素早い動きでデスクに駆け登ると、口にペンを加えて何やら手紙を書き始めます。
ほどなくして黒猫はそれをわたしのところへ持ってきました。
曰く、
『いま部屋に入られると話がややこしくなりそうだし、どうにかこの状態で凌いでみるよ。
普段から意味不明の言動をしてると、こういう時に便利だよね ( ^-^)b』
とのこと。
読み終えた後に有沢くんの方を見ると、顔文字そっくりのポーズをキメていました。
ついでにわたしの足元で、黒猫くんもサムズアップをしています。
ちょっとほんのり。
一方で、クラス委員の角田さんはというと。
「じゃあこのままで聞いてちょうだい。真川さん――真川詩月さんってわかる? 彼女、いなくなっちゃったの」
どこか苛立った調子で、わたしにとっては耳を塞ぎたくなるような内容を口にします。
「昨日は昨日で最上くんが勝手なことをするし、もうウンザリ。後衛組がひとりくらい消えたって大して変わらないけど、有沢くん、人を探すの得意でしょ? 笹川さんたちがギャーギャー騒ぎ出すと鬱陶しいし、パパッと探してきてもらえない?」
* *
わたしはどうするべきなのでしょうか?
模範解答は分かりきっています。
このままドアを開け、角田さんに会えばいいのです。
きっとお小言や嫌味を言われるでしょうし、それなりの騒ぎになっているとすれば、あちこちで悪いウワサが立つかもしれません。
とはいえ元を辿れば自業自得、自分がしでかしたことの結果なのです。
逃げずに受け入れるべき、なのでしょう。
けれど、わたしは立ち上がることができませんでした。
どうして?
「フシャー!」
「ニャゴー!」
それは物理的な要因です。
いつのまにやら二匹に増えたでぶ猫が、わたしの両腕にしがみついていました。
まるでボウリングの球みたいな重さで、なのにふわふわ。不思議な手触りでした。
ゆっくりと有沢くんに目を向けると、彼は声を出さず、口の動きだけで「まかせて」と伝えてきます。
それからドアの向こうの角田さんに対し、煽り立てるような調子でこう言い放ちました。
「あのさぁ、委員長。――真川さんなら、いま僕のベッドで寝てるよ?」
「……はぁ!? ちょっと有沢くん、だったらここを開けて! 開けなさい! どういうつもりなの!?」
「どうもこうもないよ。真川さんってすごい可愛いし、つい、攫っちゃったんだよね。てへ」
「攫ったって……犯罪よ、それ!」
「へえ、それはどこの法律かな? まさか日本のヤツを持ち出してきたりしないよね?」
「当たり前よ! この国の法にだって、きっと――」
「僕たちの召喚ってわりと突貫工事だったらしくってさ、勇者に関しては法律が整ってないんだよ。知らなかった? ま、とにかく真川さんは僕のものだから。彼女、笹川さんたちとパーティ組んでたんだっけ。引き抜かせてもらうから伝達ヨロシク」
「あなたねえ、そんな勝手が通じると思ってるの!?」
「文句があるなら奪い返しに来なよ」
有沢くんの口調は、もはや挑みかかるというか、宣戦布告じみていました。
「ははっ、まるでRPGじゃないか。僕が魔王で、真川さんがお姫様だ。さてさて勇者役は誰だろうね?」
「ふざけないで!」
「僕は大真面目だよ。角田さんはどうする? 真川さんを助けに来るかい? aああでも、『後衛組がひとりくらい消えたって大して変わらない』なんてコトいってたよね? だったらリタイヤかな? ま、何がどうなろうと彼女を渡す気はないけどね」
「……有沢くん、あなた、狂ってるわ。いくらレベルが高くっても、そんなんじゃ人間としておしまいよ」
「話をはぐらかすなよ委員長。今の問題は真川さんについてだろう? ヤンデレストーカーに監禁された彼女を救い出すか、見捨てるか。選択肢はふたつにひとつだ。――さあ、どうする?」
有沢くんの問いかけに対し、角田さんは、しばらくの沈黙を挟んで答えました。
「こ、今回の件は宰相さまに報告させてもらうから! 覚悟しておくことね!」
世間ではそれを負け惜しみというのではないでしょうか。
彼女はもうそれ以上何も言わず、憤怒に塗れた足音と共に去っていきました。
「国への貢献度を考えると、たぶん、宰相さまはこっちについてくれると思うんだけどなあ」
有沢くんは小さく呟くと、ゆっくりと立ち上がりました。
「まあいいか、あれだけ煽っておけば大丈夫だよね」
「……ごめんなさい、有沢くん」
わたしは謝らずにいられませんでした。
だって彼は、結果として三重もの泥を被ることになったのですから。
ひとつ、昼からずっと失踪していたことの理由づけ。
ふたつ、角田さんやみんなの前に出て行かなくていい理由づけ。
みっつ、笹川さんのパーティを離れる理由づけ。
そのすべてを、自分が悪者になることで引き受けてくれたのです。
「いやいや、真川さんは気にしなくていいんだよ。僕が勝手なことを喚いているだけだしね」
有沢くんはニヤリと笑みを浮かべます。
ちょっと悪者ぶった、けれど優しい――素敵な表情でした。