第九話 わたしが有沢くんの部屋で目を覚ました時のこと
後半、開始です。
目を覚ますと、なんだか全身がモコモコしていました。
ん、と伸びをしながら身を起こし――ええっと、これは、どういうことでしょう。
わたしはベッドの上にいて、周囲にはズラリと動物のぬいぐるみが敷き詰められていました。
その顔触れにはまったく統一性がありません。
ネコ、ヒツジ、カピバラ、クマ……さらには、ドラゴンやキマイラみたいな魔物も混じっています。
「ここは……?」
部屋は暗く、窓からほんのりと月明かりが差していました。
ざっと見渡してみるに、たぶん、寮の一室でしょう。
机、椅子、本棚――木目調の、上品な家具が並んでいます。
ただ、自分の部屋ではなさそうです。
「すごく、ふわふわ……」
ちょうど手元にあったぬいぐるみを掲げてみます。
人間の頭ほどの大きさで、黄色。
全体の形はまんまるで、左右には小さな羽が生えています。
ヒヨコをディフォルメしたような感じで、ただ、背中からはヘビのような尻尾が生えていました。
……コカトリス (雄鶏とヘビを合わせたような魔物)の幼体がモデルでしょうか?
ともあれ材質がいいのかして、マシュマロのようにやらわかく、それでいてやさしい手触りです。
もしこれが自分の部屋にあったら、たぶん、二度寝や三度寝では済まないでしょう。
抱き枕にぴったりというか、一家に一台 (一匹?)欲しくなるというか。
半分くらい寝ぼけ眼のままヒヨコをぎゅーっとしていると、不意に、ドアが開きました。
廊下への出入り口ではなく、隣のリビングに繋がっているドアです。
わたしたち勇者に与えられている部屋は、それぞれ寝室とリビングに分かれています。
リビングから顔を覗かせたのは……有沢くんでした。
「ごめんごめん、起きてたんだね。入ってもいいかな?」
「う、うんっ……ど、どうぞ……」
わたしは慌ててヒヨコを横に置きました。
いくら寝起きでボンヤリしていたからって、ぬいぐるみに甘えているところを見られるだなんて……うう。
「ああ、別にヒヨコくんと遊んでくれていいんだよ。さっき買ってきたばっかりだしね」
有沢くんはそう言いつつ、イスを引いて腰掛けます。
「ここは僕の部屋なんだけど、経緯とかは覚えてる?」
「えっと……」
まだ鈍い頭から記憶を遡ります。
確かわたしはお城の屋上に登って、そして――。
「わたし、落ちた、はずですよね」
自分でもはっきりと分かるくらい、声が震えていました。
背筋がビクリと震え、寒気が首元に広がります。
「でも、どうして、生きてるんですか。頭から地面にぶつかりましたし、即死で、回復魔法だって効かないはずじゃあ――」
「理由は簡単だよ」
有沢くんは頷くと、その長い足をゆっくりと組み替えました。
けれど、床に伸びる影はまったく動かないのです。
それどころか有沢くんの足元を離れて、床の上をゴロゴロと転がりはじめました。
「見ての通り、僕は自分の影を操ることができる。レベル100を越えたあたりでスキルツリーに追加されたんだけど、色々と重宝してるんだ。――例えばほら、こんなふうにね」
有沢くんは部屋の机を指差しました。
すると、たちまちその下に影が広がって……トスン。
微かな音だけを残し、机は、影の中へと落ちて行きました。
「【虚影の宝物庫】ってスキルでね、大切なものを自分の影に入れておくことができるんだ」
「じゃあ、それで、わたしを……?」
「うん、落ちてきたところをそのまま影でキャッチしたんだ。で、僕の部屋まで運んできた感じかな。咄嗟の判断だったけど、怪我がなくて安心したよ」
よかったよかった、と頷く有沢くん。
影はいつのまにか彼の足元に戻っていました。
「ところで真川さん、気分はどう?」
「だいじょうぶ、です。吐き気とかもありませんし……」
「ああいや、そうじゃなくってさ」
有沢くんはかぶりを振ります。
そして、あたかも寄り道を尋ねるような調子で、何でもないことのように、こう問いかけてきたのです。
「真川さん、やっぱりまだ死にたい?」
* *
屋上から身を投げたことを思うと、途端に胸が苦しくなります。
けれどそれは、死への恐怖ではありません。
千載一遇の好機を逃してしまったことへの、後悔です。
あの時のわたしには、自殺に必要なものがすべて揃っていました。
『人間はまっすぐな感性によって自殺を検討し、歪んだ理性によって自殺を実行する』
けれど自殺が未遂に終わってしまった今、それらを自分の中に見つけることができません。
死ぬためのエネルギーを使い果たしてしまった。
そういうふうに言い換えてもいいかもしれません。
ただ。
このまま生きていったとして、そこに何が待っているのでしょう?
分かりきっています。
事あるごとに自分と周囲のズレを思い知らされて、疎外感を味わうばかり。
わたしにできるのは、ただ、媚び笑いを浮かべて「仲間のふり」を続けることだけです。
他の方法が思い浮かばないあたり、やっぱりわたしはヒト種として出来損ないで、淘汰されるべき存在なのでしょう。
よし。
少しずつですが、精神状態はあの時のものに近づいていました。
屋上からの身投げはあまりに安易すぎたのでしょう。
今度はもっと確実で、助かりようのない方法で――。
「えい」
それは一瞬のことでした。
有沢くんはイスから立ち上がると、ヒヨコのぬいぐるみを掴み、わたしの顔にぽふぽふしてきたのです。
「――っ! きゅ、急に、なんですか……?」
わたしはベッドの上で、わずかに後ずさっていました。
手を伸ばせば届きそうなほと近くに、有沢くんの顔があったからです。
「真川さん、いま、なんか悪いこと考えてたよね。だからちょっとふわふわセラピーをしようかな、って」
「ふわふわセラピー……?」
「ほら、ぬいぐるみって癒し効果があるらしいし、だから沢山揃えてみたんだ」
「あの、有沢くん」
「何かな?」
「さっき、このヒヨコは買ったばかりって言ってましたけど、もしかして他のぬいぐるみも――」
「うん」
有沢くんは自信満々の表情を浮かべていました。
「どうせ国からはたくさんお金をもらってるしね。これで真川さんが自殺を踏み止まってくれたら安いもんだよ」
「ぬいぐるみにそこまでの効果はないと思います……」
「そんなっ…………!」
絶句する有沢くん。
彼の表情はどこからどう見ても本気そのものでした。
まさか、ぬいぐるみにそこまで期待をかけていたのでしょうか。
というか、そもそも。
「有沢くんは、どうしてわたしを止めるんですか……?」
わたしはそう問いかけて、直後、自分の発言のばかばかしさに気付きます。
そんなの、訊ねる必要もありません。答えは決まりきっています。
せっかく助けた相手に死なれるなんて、嫌に決まっているじゃないですか。
けれど、有沢くんが口にしたのは、予想外の内容でした。
「真川さんが、優しい人だから」
有沢くんは、まっすぐにわたしを見つめていました。
強い視線。
射抜くような、黒い瞳。
視線を逸らすことも、できませんでした。
「最上くんのことを心から悼んでくれたのは真川さんだけだった。詳しい事情を知らなくても、亡くなった人の冥福を祈ることができる。――それは当たり前に見えて、なかなかできることじゃないんだよ」
「わたし、そんな大した人間じゃないです。単に精神不安定なだけで――」
「違うよ、繊細なんだ。繊細だからグラつきやすい。他人の痛みを想像して、自分自身も傷つくんだ。素敵な感性だよ。僕にはそういうものが欠けてる。だからすごく羨ましい、大切にしたい。真川さんを爪弾きにするような世界に価値はなくって、つまり、ええと、その……」
急に捲し立てたかと思うと、困ったように言葉を詰まらせる有沢くん。
それから、右手を小さく掲げて。
「前にダンジョンで会った時、僕の手、すごく冷えてただろう? スキルの副作用なんだけど、真川さん、暖めてくれたよね。それが嬉しくって、宰相さまの依頼であちこち飛び回っていた時もずっとそのことが頭を離れなくって、だからその、迷惑かもしれないけど――」
そして。
戸惑うわたしをよそに、彼はこう告げたのです。
「きみのことが、好きなんだ」