第一話「ここは一体何処ですか?」
―――謎の森 09:24(日本時間)
視界に入ってくるのは一面の緑、緑、黄緑そして青。
見える範囲は一面の木々と美しい空で埋め尽くされていた。馴染みのある人工物は見当たらず、そこにあるのはただひたすらに自然だけ。もし旅行や観光、この景色を望んで観に来た人間であれば、間違いなく感激するような絶景だ。
だが、それは望んで来た人間なら、という話。
予期せぬことで、まして望んで来たわけでもない自分にとってみれば、この光景は感動などできるものじゃなかった。衝撃的すぎる光景は一瞬で全身の力が抜け、落ちないよう掴んでいた木の枝も離しそうになった程だ。ハッとして咄嗟に他の枝を掴みなおした自分を褒めてやりたい。
体制を立て直すと同時に心と頭の動きを開始させる。とりあえず、どうしてこんな状況になってしまったのか色々と考える。
自分の名前、記憶――問題なし。手足の感覚もある。というか木の感触、吹いてくる風、どれをとってもやけにリアルだ。まだ夢の中とか、変な幻覚を見てるわけじゃなさそうだ。
じゃあなぜここに?最近誰かの恨みを買ってしまったのか?……特に思いつかない。自慢ではないが、交友関係はあまり多くない。
では仕事でか?ここ一週間で仕事はキツかった以外特に何もないはず。あるとするならば、昨日からが問題なんだな。
仕事で何か不備等を起こしただろうか?いや、利用者の癇癪以外、自分の仕事ぶりでは特にないはず。
癇癪も自分には関係ないとこで起きた。じゃ、後考えられるのは、あの帰り道にある。
そもそもあんな街灯すら無い道がおかしかった。なら答えは簡単だ。
自分はあまりの疲れと施設長の言葉にどうやらあてられ、台風で雷雨や霧の影響もあって自分は無意識に帰る道を間違えたらしい。
では、ここは何処だ?
どの道をどう辿ればここまで来れたのだろうか?周りには木々が立ち並び、たとえ暗闇で見えなくても普通に歩けばぶつかって気づくはずなのに。
疑問が疑問を生み様々な考えが巡っているが一向に答えなんて出てこない。頭がぐちゃぐちゃしてきて混乱し始めたがその前に深呼吸し精神を落ち着かせる。
落ち着いて考えてみればそう慌てることはない。たとえこんな森林だらけの場所であろうとここは日本。しかも九州だ。だとするならばここは施設から少し離れた山か何かだろう。
今はそう思うことにした。
ここから下っていけば、少なとも町には戻れるし人にも会えるだろう。何の問題はない。あ、強いて言うならば今日の夜勤に間に合うかどうかだな。
背負っていた荷物を枝の上に下ろし荷物の確認をする。落ちないよう中から買っていたペットボトルを出してスポーツドリンクを一口飲む。
そして、ポケットに入れていたスマホを取り出し確認してみた。案の定やはり電波は圏外で連絡は不可能。現在位置も不明ときている。
「……こういうのを、遭難って言うのかな」
遭難ならこの場所から動かないのが懸命だ。下手に動いてしまったらより深く遭難し見つけるのがより困難になってしまい最悪野垂れ死ぬ。
しかしそれは自分を探してくれる人がいると仮定する場合。
仕事帰りで道に迷い、自分でも何処か分からない場所に人が助けに来てくれるとは到底思えない。何より自分がこの場所にいると誰が思うだろう。
こんな所で、助けが来るまでサバイバルなんてのはゴメンだ。
となれば行動は一つ。この森を抜けて人に会い助けてもらう。
「ただな、深いんだよな」
そう、確認した時視界に入ったのは一面の森。到底近場に人がいるとは思えなかった。
ネガティブな感情と必死に戦いながらもう一度立ち上がって周りの景色をよく見渡す。今度は見落としが無いよう目を凝らす。
「ん?」
この緑一面しかない景色の奥の端っこに薄い白色が上がっているのを幾つか確認できた。
「あ!あれは」
目を凝らして見えるのは煙である。しかも一つではなく複数。きっと食品を扱う店が出しているに違いないと確信した。
距離はあるがこの森を進めば人がいて自分を助けてくれる。それに、ここに登ったから腹も減っているし、上手くいけば飯にありつけると思うと元気が沸いてくる。
自分は急いで荷物を背負い大木を降りていき、煙が見えた景色のだいたい一直線上まで移動し森の中を進んでいく。
―――謎の森 10:58(日本時間)
町までどの位進んだのだろうか?
「人、人、飯、人~」
そうやってブツブツとフラつき呟きながら歩いていく。
最初は助かると思い、足取りも軽く少し駆け足気味で歩いていたが人の気配等無くあるのは木々のみで他は何も無い。
時折水分を少しずつとっているが流石に腹が減り、歩き続けて汗が出て、足が痛くなっていた。
疲れたのですぐ近くにあった木の根元に座り込んで少し休憩を取る。木々の間から吹いてくる風がなんとも穏やかで心地良い。
顔を上げ辺りを確認するがやはり人の気配はしない。スマホも再度確認したがまだ圏外のまま。
「やっぱりな」
と半ば諦め気味に言うとがっくりと顔を下げた。
しかし、改めて辺りを見れば本当に綺麗だと思う。
ここまであの大木からはそんな急な斜面になっておらず、ただ自然に出来た山道を歩いてきた。
その間にあったのは本当に木々だけ。普段部屋に引きこもっていて、あまり出歩かない自分にとっては新鮮だった。
人もゴワゴワしていない。自分だけの自然がここにある感じがして包まれている。そう思えば悪くない気分だ。
くだらない悩みなんかがこの自然が全て吸い取ってくれそうな感じがする。
こんな状態じゃなかったらもう少し堪能したに違いない。もし、いつか悩み等ができたならまた来よう。などと考えて、約15分位経った頃にやっと立ち上がり下山を再開する。
足はまだ痛いまま。普段運動していないから自分の体力には本当に情けないと思わされる。
またしばらく歩いていくとガサッと草場で何かが動いた音に気がついた。
「っ!」
体がビクッとなり緊張が走った。歩きを止め辺り一面を警戒し、いつでも走れるよう身構える。
もし熊等の猛獣が出てきたらと思うと不安に押しつぶされそうになる。がしかし一向に猛獣は襲って来ない。
気のせいだったのか?それでも警戒心はまだ抜けない。と、同時にまた音が聞こえた。
今度も何かが動いたような音だ。だが先程よりは遠くだ。
「なんだ?」
警戒しながら少し移動しもう一度辺りを見渡すと、何か奥の方で動いた。
「?」
一瞬で、しかも後ろ姿でよく分からなかったが、小さくて緑色の何かが動いているのが見えた。
よく分からない。が、それっきり周囲で動く気配や音などは聞こえてはこない。
何だったのであろうか?とりあえず動物の子供だろうと納得し徒歩を再開する。
(しかし、体色が緑の動物なんていたか?トカゲか?いや、トカゲにしてはでかすぎる)
自分が考えつく動物ではあまり思いつかない。……一匹考えついたが、そいつは口に出したくないので忘れる。
それから、約一時間ほど経っただろうか。それからは何事も無く順調に進んだが、まだ一向に町につかない。
ここまで来ると、もう景色がどうのこうのなんてのは無い。飯が食いたいのと帰りたいの気持ちが心を埋め尽くしている。
この後追加で夜勤と考えれば憂鬱が更に倍になりそうだ。
と、その時また何か聞こえた。耳を澄まして何処からか探ってみた。今度は複数聞こえる。ゆっくりと近づいてくる。
そしてついに自分の視界に入った。よく見るとそれは人。
三人の男性が木々をかき分け歩いていた。
助かった!そう思い、一気に男達のもとに駆けていく。
「おーい!すみませーん!助けて下さーい!」
これで帰れる!そう思って近づいた瞬間、三人が一斉に刃物を向けてきた。
出された刃物に驚いて足にブレーキをかけ男達の前まで立ち止まる。
思考が一瞬で停止した。何が何だか分からない。
「何者だ!」
男がドスの効いた声を出し睨みつけて自分に質問をしてくる。
「へ?」
突然の事でうまく返せない。
「お前は何だ?」
そう言ってもう一度聞いてきた。
やばい。ここで逆らったらガチで殺されると直感アラームが大音量で警告する。
「み、宮國、竜一です」
自分は震えた声で質問を返す。が、男達は聞いた事もないと顔をしかめて自分と自分の格好をマジマジと見てくる。
こちらも相手をよく見た。近くでよく見ると一発で分かる。男達の格好も普通じゃない。
何かの動物の毛皮と革のズボン、革のジャケット、顔や腕には所々傷がある。
極めつけはジャケットのポッケに複数の刃物があり突きつけているナイフもよく見ると剣だ。態度も顔もとても友好的には見えなかった。
「どこから来た?」
「に、日本です!日本の九州から来ました!」
「ニホン?」
知っているか?と男達はお互いの顔を見合い確認するが、わからないと顔を横に振る。そこからは、自分をどうするかと互いに顔を見合わせ相談しだした。
と、相談に夢中になったのか全員が剣を下ろしたその瞬間、ダッ!男達の間を一気に走り抜けた。
(ヤバイ!ヤバイ!何なんだここは!?普通じゃない!剣?殺される!助けて!)
足の痛みなんて忘れて必死に森の中を駆け抜ける。
「待て!コラー!」
「止まりやがれ!」
と当然後ろから殺意満ちた声と共に男達が追ってくる。
こちらも当然止まれるはずがない。 止まった瞬間に殺されるとわかっているからだ。
「助けてー!」
必死に走りながら叫んだ。
恐怖で涙が出て、全力で走っているから汗も出て、心臓ははち切れそうだったがそんなのお構いなしに走った。
「ハァ、ハァ…ッ、助けてくれー!」
力の限り叫びながら走るがついに限界が来てしまった。昨日の昼から水以外何も食べず、ずっと歩きっぱなしだった為体力に限界来る。
先ほどより失速し男達がより近づいてくるのがわかる。
(もう、ダメだ!)
そう思った瞬間、バン!何か大きな影が自分と男達の間に飛び出てきた。その影が飛び出た瞬間後ろから、
「ギャァァァーッ!」
と男の叫び声が響いてきた。
「はぁはぁ」
ようやく立ち止まって後ろを確認する。
大きな白い何かが目に留まる。よろよろと少し後ずさり、尻もちしながら影の正体を確認した。
「なっ!」
それは大きな白い馬で馬には人が乗っている。後ろ姿で顔はわからないがそいつは剣を持っている。少し大きめな剣だ。
剣からは液体が流れていて地面の草を赤くシミのように湿らせていく。
身体を少し斜めにしながら叫び声があった方を見てみる。追ってきた三人の男が今は二人になっている。
もう一人の男は、いや、男だったものは右の肩から斜めに両断され、胴体と別れて血を吹き出しながらその場を真っ赤にしていた。
ふと、こちらに視線を感じてその方向に顔を向ける。馬に乗って斬殺した奴がこちらを見ていた。
「え?」
男を斬ったのはなんと女。
もはや何が何だか自分の頭はバースト寸前だった。だが、女はすぐに男達の方へ向き直す。
自分もそれにつられて男達に視線を向けなおす。男達は剣をこちらに向けながら少しずつ後ろに下がっていた。隙あらば逃げようとしていたらしい。それに気づいて女は向きなおしたというところだろうか。
「ふっ!」
と女が馬に蹴りを入れ馬が男達の元へ駆けていった。
男達は迎え撃つ準備もしていたんだろうが馬が1人の男の間合いに一気に侵入した。
一瞬で間合いに入られ混乱したのか次の行動をする間もなく男は絶命した。
女が入ったと同時に剣を横薙ぎにして男の首を斬った。
首が飛び、残った胴体からは一人目と同じように血を激しく吹き出しながら前のめりに倒れた。
「く、糞が!」
最後に残った男は敵わないと森の奥に背を向けて逃げ出した。
女は逃げた男の方へ向いたまま馬を動かさなかった。その代わり持っていた剣の柄を持ち直し、まるで槍投げのように構えて男の方へ見つめると、
「ふん!」
勢い良く投げた。そしてそのまま一直線に男の元へ向かって行き、ドスっと木に刺さって止まった。
男の顔面を貫通してまるでテルテル坊主のように木に垂れ下がってしまった。
女はそのまま男だった物に近寄り剣を引き抜いて軽く振る。それと同時に死体は木からズルリと落ちた。
そして、女はこっちを見てそのまま近づいてくる。
ガチガチと身体中全部が震えて歯が音を鳴らす。恐怖が頭いっぱいで他は考えられない。
(殺される!けどっ、もう!)
女は剣先を突きつけ先程の男達がした同じ質問をしてきた。
「何者か?何処の者だ?」
が、
「うっ!」
「?」
「っ、ぅおえぇぇっ……!」
もう限界だった。体力もそうだが、人の臓物と大量の血、むせ返るような匂い。そしてなによりも、その凄惨な惨殺を目の当たりにしたせいで、精神と心が限界を超えたのだろう。
こみ上げてきた胃の中身を耐えることもできず、吐きながら倒れ込む。同時に、意識が遠のいていくのを感じた。
「お、おい!大丈夫か――」
意識が落ちる間際、心配そうに訪ねるような声が聞こえた、気がする。
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遠くから、
「―――ま」
「――さま」
誰か複数の声がこだましている。
「ここだー!」
「おお!」
何人か同じように馬に乗った騎士風の人間が女の元に集まった。
「急に駆けられたので心配いたしました」
「すまないな副長」
女はすまなそうに副長と呼ばれた男に言うと持っていた大剣を腰の鞘に収めていく。
「で、どうなさいました?」
副長と呼ばれた男が女に聞いてきた。
「賊と思う者を三人は斬った。他はいない」
「三人?四人では?」
男が周りを見て死体の人数を数え女に再び質問をする。
「この者は襲われていたのでな。どうやら賊とは違うな」
女は失神している宮國を見てそう答えた。
「では何故倒れているのですか?」
「気絶したんだ。おそらく恐怖のせいだと思うがな、まさか吐いて気絶するとは、器用なやつだな」
女は思い返してある意味感心したと言わんばかりな顔をした。
「が、どうもその着ているものが少し奇妙でな」
女はまじまじと宮國を観察する。それとは別に男は部下と思える二人に軽く首を動かし宮國の元へ向かわせ、二人は宮國の両側に立ち、そのまま腕を掴み立ち上がらせるように持ち上げる。
「確かに…見たこともない格好ですね」
「だろう?」
女と男はじっくりと観察し様子を伺った。
「何者なのでしょうか?一体どうされます?」
「わからないが、とりあえずこのまま村へ連れて行く。素性を聞いてみたい」
女は興味津々な目で見つめている。それを見て、男が心配そうに訪ねる。
「大丈夫でしょうか?私は反対ですよ」
「大丈夫だろう。もし危険があればその場で斬ればいい」
「はぁ……。いいですか、私は貴女が心配なのです」
男がため息をついて小言を言うが、男は女が言うこと聞かないとわかっていた。気を取り直し、部下たちに指示を飛ばす。
「そこの五名は死体の持ち物等を確認しろ。他は予定通り村に向かうぞ!ついでに、こいつの持ち物は行きながら確認しろ」
大声で部下たちにそういうと、気を失った宮國を馬に乗せ、女を先頭に馬を走らせていった。