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第九話 ヤケド

 稲川森林公園は市内でも有数の観光名所で、野球場二つ、球技場一つ、それよりも大きい芝生広場、その他バーベキュー場や展望ラウンジなどがある巨大な公園である。何より驚きなのは敷地の半分が森だということである。この公園の広大さが容易に想像できるだろう。

 一人たちは意義の良くわからないモニュメントのある入り口を抜け、広場に向かった。そこで男が来るのを待つ。

 あたりはもう薄暗く、外灯が灯り始めた。まだ寒い季節だけに一般人はもういない。そうだろうという算段のもと、ここを選んだわけだが、実際に人気がなくて安心した。

「いいか、俺があいつの気を引いている間に、逃げろよ」

 一人は鞄を近くの木の根元に放り投げながら言う。今さらながら、中の教科書類の安否が気になった。

「わかった」

「ああ」

 そもそも、男がここにやってくるという保証はなかった。だが、ないならないでそちらの方がありがたかった。

 だが、そんな望みはすぐさま崩れ去った。男が一人たちの通った道を歩いてくる。相手は獲物を決して逃さない獣と化しているのだ。

 一人は自分の鼓動が速くなるのを感じた。握り締めた拳が汗で湿る。

「行けっ!!」

 一人は二人に向かって叫ぶと、目の前の標的に向かって駆け出した。二人は反対方向に逃げるようにしてその場から離れた。

 男にも二人が逃げたことは見えただろう。だが、そちらを追うことはなくまっすぐ一人の方に向かってくる。結局は、一人狙いだった。

「よお」

 初めて聞いた男の声は、正気の人間の声とは思えなかった。覚せい剤や大麻などでもやっているのではないかと思うほど――実際、やっているのかもしれない――不安定で、線の細い声だった。

「いやあ……色々と面倒かけてくれたなあ?」

「さて、何のことだ?」

 面倒ごとはこちらが被っていると言いたくてたまらなかった。

「別にいいんだけどよお……。さすがに人目につくとこじゃあ、殺せないしなあ?」

 殺す、その言葉に一人は一瞬体を竦ませる。だが、雰囲気に飲み込まれてはいけない。そう鼓舞して男の話を聞き続ける。

「まあ……驚いたぜ? 顔を見られただけだったら簡単だったのによお……。お前も目覚めたんだなあ?」

 目覚めた。男はそう言った。つまり、異能のことだろう。まるでそれが最初から人間に備わっていたかのような表現に、一人は嫌悪感を覚えた。

「だったら?」

「だったら? 面白くなりそうだなあ……ってよ!!」

 男が拳を握り締め、開き、という動作をする。それを見て臨戦態勢に入ったのだと判断する。しかし、男は動かない。不気味な笑みを浮かべたままその場に立ち尽くしている。

 どうするべきか迷って、一人は先に仕掛けることにした。一直線に男へと向かい、数歩前で大きく左足を踏み出す。踏み込んだ左足を軸に男の頭目掛けて右足を蹴り上げた。

 が、男は体を少し引いてかわした後、右手でいとも簡単に足を掴む。

「燃えな」

 一人の右足に熱気が帯びる。ジュッという何かが焼ける音がした。

「!?」

 男は目を見開いた。

「っ!! ……うらあああ!!!」

 一人はそれをいともせずに、掴まれた足を地面に向かって振り下ろした。男は引っ張られまいと咄嗟に手を離したが、体勢を崩す。そこを腹目掛けて右腕を振るう。男は両手でガードするも、体がふわりと浮き、一メートルほど後退した。

 男はバックステップでさらに数メートル一人から距離を取ると、右手を開閉させながらその掌に炎を作り出す。それをすぐ消すと首を捻る。

「おかしいなあ……」

 今度は男から駆け出す。速い。だが捉えられないほどではない。男は数メートル手前で姿を消す。

 右!!

 右を振り向くと男が両腕で一人に掴みかかろうとしていた。それを両肘を合わせてガードをするが、その腕を掴まれてしまう。

「今度こそ、燃えなよ……!?」

 腕に熱が帯びるのを気にせずに、一人は右足を振り上げた。その足は男の顎に命中し、男を蹴り上げることに成功した。一人は腰を低くして、突きを放つ。

「がっ!!」

 男は短いうめき声を上げると、五メートルほど吹き飛ぶ。大の字になって倒れるとしばらく動かなかった。

 やれる。

 一人に微かな自信が湧いてきた。格闘技なんてやったことはなかったが、それは相手も同じ、やつは能力を得ただけの一般人なのだ。

 これなら何とかなるかもしれない。帰宅部だが運動神経には自信があるし、一度氷室と闘ったのも大きい。彼と比べれば目の前の男の速さなんて。

 氷室が来るまでなら何とか……。

「あー、あー。そーいうことね……」

 男は顎を擦りながら起き上がる。首を一周回すと一人を睨みつけた。

「川に飛び込んだのはわざとってわけ?」

「まあな」

 一人が炎の能力を持つ男に掴まれても耐えることができたのは至極簡単、濡れていたからである。ここに来る前に川を跳び越そうとした時に、跳躍が足りずに川に飛び込んだ。距離が足りなかったのは実力だが、どの道、体を濡らしておけば有利に働くのではという目算があった。

 事実、男に足を掴まれても、腕を掴まれても(衣服越しにというのが大きいが)熱かったものの、耐えることができた。

 一人は制服のブレザーを脱ぎ捨てる。ブレザーの上からでは暗がりではっきりとはわからなかったが、濡れたYシャツが皮膚にくっ付き、濡れていることがよくわかる。

「雨の日は無能だな」

 いつだか読んだ漫画の台詞を思い出し、口にしてみた。相手の眉がピクリと動くのがわかった。さすがに挑発しすぎだっただろうか。

「黒島鷹日呂たかひろ

「あ?」

「いやあ……。殺されるやつの名前も知らないなんて不憫だと思ってよお……!」

 そう言うと黒島は両手を広げる。すると両手の掌からバスケットボール大の炎が現れる。

 これはヤバイ。一人は直感した。さすがにあの炎は濡れた衣服程度じゃ防げないだろう。あれを喰らえば、大火傷じゃ済まないかもしれない。挑発なんてするんじゃなかったと後悔した。。

 一人は黒島から距離を取る。目をそらさずに、向きを変えずに後ずさっていたが、結局彼に背を向けて、走り出した。広場を抜けて、道の両端を木々が覆っている狭い道へと入る。

 森林公園を場所に選んだのは間違いだったかもしれない。黒島が本気を出せばここの森全てを焼き尽くすことも可能だろう。実際、自分の身を案じればそんな真似はしないだろうが、最終的にはわからない。

 とにかく、今は彼に攻撃ができない。さすがにあの火の玉を恐れずに攻撃を仕掛けるのは無謀としか言いようがない。だが、こちらには接近戦以外の攻撃手段がない。このまま逃げ回るだけで、氷室が来るまで持ちこたえられるのだろうか。

 接近できないのならば、遠距離から攻撃するしかない。何か投げつけられるものはないかと地面に目を凝らすが、薄暗くてよくわからなかった。

 このまま鬼ごっこを続けて無事でいられるのか。それは限りなく不可能に近いだろう。普通に街中からここに来ようと思えば、四・五十分はかかってしまう。先ほどは十分で来いと怒鳴ったが、物理的に無理な話だ。

 闘うしかない……。

 一人は体を回転させた。

 ……一人は体を三百六十度回転させた。

「無理ッ!」

 黒島が手のひらに作り出す火球を想像して、結局怖気づいてしまった。

 接近戦はやはり無理だ。

 石でもなんでもいい。投げるものが何かないかと目を凝らすが、先ほどと一緒で、何も見えなかった。そもそも、道はアスファルトで舗装され、脇は芝が生い茂っている。石なんて見つけやすいところにあるはずがなかった。投擲による遠距離攻撃は不可だ。

 あと、やつに攻撃できそうな手段は長いリーチの武器くらいだろうが、そんなものはむしろない。

「……木」

 無謀な考えではあるが一つ思いついた。これだけ身体能力が上がっているなら、細い木の一本くらいならば、なぎ倒せるのではないだろうか。木と火、相性は悪いが、大きさに任せて衝撃くらいは与えられるだろう。

 だが……。

 森林公園という名が付くだけあって、木々は恨めしいほどに育っている。未だに自分の身体能力を測りきれていないものの、いくらなんでも無理だろうと思えるほどの太さの木ばかりだ。

 チラリと後ろを振り返る。

「やばっ……」

 黒島は追いかけっこに飽きたのか、急に間合いを詰めてきた。

「おうらっ!」

「……ええい!」

 下手に逃げ回るよりマシだと思い、足を止めて迎え撃つ。

 燃え盛る黒島の右手が迫ってくる。

 バランスを崩すようにしてそれを避けた。素早く体勢を整えて、今度は一人から仕掛ける。

 右の拳を黒島の顔面めがけて振るった。

「…………!」

「捕まえた」

 黒島が気味悪い笑みを浮かべる。一人の右手は黒島の両手に阻まれる。そして、熱を帯びていく。

「熱ッ!!」

「逃がさねえよ」

「うっ、うらあああ!!」

 がむしゃらに右足を振り上げる。黒島には当たらなかったが、それを避けようとして手が離れた。

「うぅ……」

 右手が熱い。痛い。言わば、ガスコンロに手を突っ込んだのと同じなのだ。

 もう嫌だ。近づきたくない。

 そう思いながらも、黒島の右手が再び迫る。屈むようにして避け、彼の腹部を狙う。右手は腹部にしっかりと入ったが、黒島は短いうめき声を上げただけで、耐えた。ふと、睨む黒島と目が合った。今の攻防が怒りを買ってしまったらしい。

「いい加減にしろよ……。そろそろてめえはおとなしく殺されろや!」

 黒島が怒鳴る。 

 それでも、ひるんだ一瞬の隙を突いて、一人は距離を取る。これ以上は、やっていられない。一人は再び走り出した。

 二人の距離は縮まらないが、広がらない。一人は高校生二人を抱えて、数キロを走ってきて息が上がっている。黒島も能力に目覚める前は大して運動とは縁がなかったのだろう。二つの要因があって、この均衡が保たれている。

 一人は十メートルほど後ろの黒島を見る。完全に怒りに任せた表情を浮かべている。捕まれば、猶予なく灰にされてしまうだろう。

「くそっ!! 早く来いよ、あの野郎!!」

 まだ姿を現さない氷室に向かって悪態をつく。もしかしたら既に来ているのかもしれないが。問題はこの公園の広さだ。一口に森林公園にいるといっても、簡単に見つかるものではない。

 公園を半周ほどした頃、突然、携帯電話が鳴った。今日ほど防水で助かったと思うことはないだろう。出ている暇などないが、もしかしたら氷室かもしれないと思い、確認もせずに通話ボタンを押す。

『一人! どこだ?』

 想像よりも高く、若い声が聞こえてきた。

「良介!? 何やってんだよ!」

『いいから! 最初の広場に建物があったろ? 管理室だ。その辺まで来い!』

 電話が切れる。二人は逃げたのではなかったのか。どうするべきか。彼の指示に従えば、間違いなく二人を危険に晒す。かといって、このままではいずれまた追いつかれてしまうだろう。良介は何か策があるような言い方だった。

「クソッ!!」

 少し迷って一人は方向を変えた。



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