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第六話 フライング

 翌日、朝起きた時点で気分は憂鬱だった。歩いていても憂鬱、教室にいても憂鬱だった。

 憂鬱、憂鬱、憂鬱……。

「はあ……」

 俺は駄目なやつだ。一人はそう思った。

 昨夜花梨の不器用な励ましで気が晴れたと思っていた。

 それでも気が少し晴れたとはいえ、あくまで少しである。授業中黙って聞いていれば、自ずと昨日、一昨日のことを振り返ってしまう。まだ信じたくないのだろうかと自問自答する。むしろ、信じてしまったからこそ困惑しているのかもしれない。

 一人でいればどんどん靄がかかっていく。五里霧中、暗中模索。

 普段は寝てしまう授業も起きていられた。もちろん、内容はこれっぽっちも頭に入っていない。これはいつも通りだが。ずっと頭の中で「能力」と「異能」というフレーズがぐるぐると回っていた。

「なあ、お前、変だぞ? 昨日何があった?」

 四時限目が終わったところで、良介が一人と太一のもとへやってきた。開口一番にそれである。それほど態度に出ているつもりはなかったのだが。

「あ? 何でもねえよ。それより昼飯買いに行こうぜ」

 一人は立ち上がった。だが、良介は動かなかった。

「お前、授業聞いてないときはたいてい寝てるだろ。今日は授業も聞かない、寝てもいない。心ここにあらず、って感じだったぞ」

「ちょっと待て、俺が寝てなきゃおかしいってか?」

「そこまでは言ってない。聞いていないときは寝てるってのも言い過ぎた。悪い。ただ、とにかくおかしいんだよ、昨日から――」

「なあ、今日もお預けでいいわけ?」

 良介が退かずに尋ねてきたところを太一が割って入って来た。昼食のことを言っているのだ。ナイスタイミングだと、一人は内心で拍手を送った。

「む。仕方ない。行くか」

 三人はそろって教室を出て行く。出ていく寸前、やたらとわざとらしい咳払いが聞こえた気がして振り返った。だが、誰のものかはわからなかった。タイミングがタイミングだったので自分たちに向けられたものだと思ったが、どうやら自分たちには関係ないようだ。こんなことはよくある。


 花梨は弁当箱二つを持って遠山柑奈の席まで向かう。柑奈の前の席の生徒は別の席に移動しているので(そうやって昼休みは漏れなく重複なく別の席に移動できるのである)その席を反転させて席に座る。黙って、弁当箱の一つを柑奈へと渡した。

「これで何回目?」

 遠山柑奈はそう言って目を細める。呆れたと言っているが、睨んでいるように見える。彼女は三白眼で、悪い目つきがさらに悪くなるから本当に呆れた時しか顔に出さないの、とその時も同じ表情で言っていた。たしかその時が初めて弁当を渡した時だったと思う。

「そんなの数えてないよ」

「十四回目」

 ため息をつきながら柑奈は答える。それを聞いて花梨もため息が出そうになる。

「え、嫌だ、数えないでよ」

「まあまあ、気にしなさんな。それにしても呆れたねえ。ま、別に私は昼食代がお小遣いに回るからいいんだけどさ」

 彼女は相変わらずの細目で花梨を見ている。弁当箱を開けると感嘆の声を上げる。いただきますと、律儀に手を合わせて言うと、真っ先に玉子焼きに手をつける。

「いやいや、この玉子焼きはいつ食べても美味ですなあ」

「そう言ってくれると嬉しいわ」

 花梨はにっこりと微笑むが、同時に柑奈に睨まれてしまう。今度は本当に睨んでいるようだ。

「はあ、それを誰かさんに言ってほしくないのかねえ」

「口調がいやらしいよ」

 苦笑しながらも自分の弁当箱も開けて、食べ始める。

「ふん。ほんとに呆れるよ。十年も付き合いがあって、未だに弁当の一つも渡せないとはね」 

「だって……」

 花梨は顔を恥ずかしくなって俯く。

「てか、今更だけど、まあこんなベタベタな方法、思いついたね。もうべったべた。ゴキブリホイホイかっての。私じゃなかったら大笑いされてるよ」

「うう……」

 たとえ柑奈にも大笑いされている事実があろうとも言い返せない。自分の顔は真っ赤になっているのだろうと自覚できた。耳が熱い。

「ま、あの二人が邪魔だっていうのはあるけどね」

「でしょでしょ!?」

「言い訳していいわけ?」

「……寒い」

「じゃあ言わすな」

「言わせてないよ!」

「じゃあ渡してみなさいな」

「うっ……」

 根本的問題に帰結し、花梨は言葉に詰まる。

「だいたい、去年はどうだったのさ? え? もしかして一年間同じ過ちを繰り返してきたの?」

「過ちとか言わないでよ。去年はクラスが違ったから……」

「なーる。ま、明日は渡せるといいねえ。何かあいつ元気ないみたいだし。あげたら喜ぶんじゃない?」

「そう、かな?」

「さあね。てか、あいつどうしたの? 昨日も途中で帰っちゃうし。何か聞いてないの?」

「うん。聞いてない」

「あ、そ。何でもいいから元気付けてあげたら? あいつらがギクシャクしてるとクラスがおかしくなるから」

 こればっかりは弁当ぐらいじゃどうにもならないかもしれない、と花梨は思った。


「そういえば」

 運よくまともな昼食を買うことができた三人がいつものように一人と太一(とその隣)の席に座ると何かを思い出した太一が口を開いた。良介は顔を顰めたが、太一は気づいていない。良介としては先ほどの話の続きをしたかっただろうが、太一はもう忘れているようで、全く気にすることなく話し始めた。

「この間、そこの川沿いで殺人事件があったらしいぜ」

 先ほどまでは天使に見えた太一が今度は悪魔に見えた。もっとも聞きたくなかった、そして聞くことはないだろうと思っていた話題に一人は体を強張らせる。

「そこで?」

 さすがに話を無視できなかった良介が尋ねる。

「ああ、しかも焼死体だってさ」

「何? 殺人ってことは火事じゃないんだろ? 体に火でもつけられたのか?」

「てか何でそんなこと知ってんだよ?」

 平静を装いつつ恐るおそる一人が尋ねる。秘密なのではなかったのか。

「そりゃ、殺人事件なんてすぐ話題になるだろ。むしろ何で知らないの? ってくらい。ニュースでやってたろ。新聞にも載ってるよ」

「お前がニュースなんて見てんのか」

「悪いかよ?」

「いや、別に。ただ、良介も知らないのか」

「俺はニュース見ないで勉強してるからな」

「ガリ勉」

「うるさいな。俺は勉強してる、太一はニュースを見てる。じゃあお前は?」

「……寝てるよ」

「……ああそう。で、どうなの、太一?」

「何が?」

「だから、火事じゃなくて、殺人だっていう話」

「ああ、何でも体に灯油をかけられて火をつけられたらしいぜ」

 違う。あいつは灯油なんて使わなかった。何も使わずに火をつけたのだ。ということは、なるほど、嘘の情報か。事件を隠すのは無理、ならば嘘の情報を流して現実に近づければいいということだ。

「なんでも、まだ犯人捕まってないらしいぜ」

「本当か? 恐ろしいな」

 ……捕まってない? そんな馬鹿な。犯人は氷室が捕まえたはずだ。いや、事件が起きたのは一昨日の夜だ。すぐに捕まえられたと報道する方がおかしいか。だが、悪戯に市民に不安を抱かせるのはどうだろうか。

「……一人」

 良介が眼鏡を上げながら言った。そんなにずれるなら新しいのを買えばいいのに、と思う。

「んあ?」

「どうした、黙り込んで」

 しつこい。そして目敏い。いや、太一が鈍感なだけか。

「別に、物騒だなと思ってよ」

「本当にそれだけか?」

「しつこいな。何だってさ?」

「……わかった。それより、次、体育だぞ。そろそろ行こう」

 明らかに納得していないが、良介はそう言って立ち上がった。

 太一はともかく、良介はどうしたものか。なかなか退いてくれそうにない。


 体育館の更衣室では意図的に二人から離れた。更衣室はロッカーとは名ばかりの棚が三列ほど並んでいる。明らかにキャパシティをオーバーしていて身動きを取るのすら難しい作業だった。そのため、二人も無理に追ってくることはなかった。

 乱暴にブレザーを棚に放り込む。両隣の生徒が顔を顰めた。

「あ、悪い」

 どうにも苛々してしまっている。不安・不満のはけ口がないのだ。誰にも言えない、言っても信じてもらえない。そんな事情を抱え込んでしまった。

 悪戯を白状できずにもやもやと日々を過ごすときの感覚に似ているが、今回やましいことは全くしていない。むしろ被害者だとも言えるのに。

 たとえ信じてもらえるとしても、やはり言えない。心配をかけられない。一般人は知らなくていい世界なのだ。

 ……自分も一般人のはずなのに。

 ため息すら出ない。いっそ叫び散らしてすっきりしてしまいたい。おそらくそんなことですっきりはしないだろうけれど。

 思いっきり暴れたい。ある意味体育は絶好の機会である。陸上と言うのが不満といえば不満だが。体を動かせば少しは気が晴れるかもしれない。

 そう思いながらジャージに着替えた。ジャージを入れていた袋も棚に入れようとしたが、棚が小さく、制服も乱暴に入れていたため、入りきらなかった。

 舌打ちして、もう少し丁寧に入れようと棚の中身を全て一度出した。何かが床に落ちた。

(やべっ……)

 ブレザーのポケットから落ちた置換機だった。周りには気づかれていない。他の他人からすればライター以外の何物にも見えない。こういったことを教師に密告する真面目な生徒も少なくない。

 咄嗟に足でそれを踏んで隠し、何事もなかったかのように制服を整理して入れた。周りをよく見ながら、靴ひもを結ぶふりをしてそれをジャージのポケットに入れた。


「おーし、今日は百メートルのタイム計るぞ。じゃあ、準備運動から!」

 体育教師の指示で、クラスメイトはのろのろと動き出す。生徒たちのレスポンスが鈍いのはおそらくまだ肌寒い季節の外での体育、陸上という地味な競技などといった要因があるのだろう。

 グラウンドは先日雪が解けて使えるようになったばかりだった。雪こそないが水はけの悪い端っこは雨が降ったわけでもないのに水たまりがあった。

 四百メートルトラックの中のフィールド競技用の芝生はまだ元気がなく、湿っていた。その中で生徒たちが準備体操を始める。湿っているので座ってのストレッチはしたくなかった。

 準備体操を終えて、教師のどうでもいい説明を聞く。いや、聞き流す。百メートルトラックに移動して出席番号順に四列に並んだ。体育は二クラス合同で、一クラス二列。一人の出席番号は七番なので四番目のグループだった。

 とにかく、思いっきり走ろうと一人は思った。その程度で気が晴れるとは思えないけれど、少しはマシだろう。それにどうにも体が軽い。別にタイムに興味はないけれど、自己ベストを出せるかもしれない。

 ピストルのけたたましい音にいちいち顔を顰めながら自分の番が来るのを待ち、やがて自分の番になった。

「位置について」

 出席番号が後ろ方の生徒がピストルを持ち、号令をかける。一人は地面に手を着きクラウチングスタートの体勢をとる。

「よーい」

 ピストルの音とともに命一杯地面を蹴る。

 最初の印象は、軽い。気分はこんなにも重いと言うのに、やたらと体が動く。もしかしたら陸上部でも愚図なやつには勝てるくらいかもしれないと思った。

 背中に羽が生えたよう、などという胡散臭い比喩は信じていなかったが、まんざら嘘でもないな、などと思いながら地面を蹴っていた。気分がよかった。

「……え?」

 しかし、それも一瞬のこと。すぐにおかしいと気がついた。

 ゴールラインを越えて立ち止まると、そこでタイムを計測していた先生が口をあんぐりと開けて呆けている。

 振り返れば同じくスタートしたはずの三人が五十メートルほどの位置であっけに取られて立ち尽くしていた。

「お、お前……!」

 先生の声が震えている。一人は状況が読み込めずに、咄嗟にポケットから置換機を取り出して教師に向けていた。

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