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第五話 休んだ日に宿題

「また会うかもな」

 立ち上がりドアへと向かう一人に向かって氷室が言った。

「会いたかねえよ」

 振り向かずに一人は即答した。乱暴に扉を開けると龍瀧が立っていた。そこに人がいると予想していなかったので一人は驚いた。一方、彼女は一人の乱暴な振る舞いにもたいして驚きもせず一人を一瞥する。

「送るわ」

 相変わらず事務的に話すと翻してエレベーターへと向かう。一人も後をついていった。ふと来たときに見た、開いていた扉を覗き込んだ。こうして見るとあくまで一般的な職場にしか見えない。だが、ここで働いている彼らは皆、この狂った世界に住んでいるのか。 

 エレベーターに乗り、駐車場に出て青いスポーツカーに乗り込む。それまでも、それからも会話はほとんどなかった。したくもなかった。

 外はまだ明るかった。時計を見るとまだ三時だった。密度の濃い時間だったため、五時くらいになっていると思っていた。

 一日ですべてが変わってしまった。能力? 異能? 馬鹿馬鹿しい。だが、馬鹿馬鹿しくもそれを否定できない。受け入れまいとしたところで、現実は無慈悲なまでに押し寄せる。   

 無理矢理口に放り込まれ、無理矢理咀嚼させられ、無理矢理飲み込まされる。美味いか不味いかなんて関係ない。食べなくては生きていけない、それだけだ。

 果たしてこのまま何事もないように暮らしていけるのだろうか。そんな不安がよぎる。無理だ。不可能だ。何事があったのだから、何事もないように、なんてできるはずがない。

「まだ、信じていない?」

 家も近くなった頃、龍瀧が口を開いた。

「別に。信じたよ。けど、俺には関係ない」

「そうでしょうね。けど、覚えておいてね。紛れもない事実だということを」

「関係ない」

 一人は繰り返した。それは龍瀧にというよりも、自分を諭しているのだと自分で思った。

「ええ、けど無視しちゃ駄目。日本で一日に九十人が自殺しているとか、世界中で一日に四万人が餓死しているとか、それと似たようなもの。あなたはこれを無視できる?」

「説教?」

 一人は龍瀧を睨んだ。龍瀧は運転しているので一人の方を向かなかったが、口調でわかったらしく、バツの悪い顔をした。一応感情はあるらしい、というのは失礼だろうか。だが、関係ない。

「あら、ごめんなさい。ただね、知っててほしいのよ。つまりね、何かしろと言ってるんじゃないの。別に世界中で餓死者が出てるから募金しなさいとか、食事の時に有難みを感じなさいとか、そんなことじゃないの。もちろんそれは立派なことではあるけどね。自戒……に近いかしら。自分の知らないところでそういうことがあった。信じられな能力があった。それだけ知っていればいいわ。そのあとどう感じるかはあなたの自由。それだけ。……着いたわ」

 車は一人の家の前に止まった。彼は急いで車を降りる。扉を乱暴に閉めようとしたが、迷って慎重に閉めた。弁償などという話になったら途方もない金額だと思ったからだ。

 一刻も早く、現実に戻りたかった。だが、彼女はドアの窓を下げて話しかけてくる。早く帰ってくれ、と一人は少し苛々した。

「学校には話を通しておいたし、自転車は学校に置いてあるわ。あとこれ」

 彼女は小さな紙切れを差し出した。

「何、それ」

「氷室の電話番号」

「いらねえよ」

「吃驚人間ショーにでるだけならまだマシよ。もっと最悪なケースを想像しなさい」

 最悪なケース……、それは昨日のように能力者に殺されることだろう。

「別にね、刃物で殺されようと、拳銃で殺されようと、能力で殺されようと、たいして差はないのよ。だから特別扱いしない。それ故に世間に公表する必要はないとこちらは考えてる。世界の混乱と天秤に掛けての結論よ。だからあなたも特別扱いしない、というのが道理なのだろうけど、被害を最小限にしたいというのは当たり前の前提としてあるから。つまり一一〇番の代わりと考えてもらっていいわ」

 一人は少し考えて、それを奪うようにして受け取った。乱暴にブレザーのポケットにしまいこむ。

「そうそう、あなた、体育で何やってる?」

「は?」

「いいから」

「……陸上、だけど」

「そう。加減して走った方がいいわよ」

「は?」

「じゃあね」

 彼女は窓を閉めるとそのまま車を発進させて去って行った。

「……何なんだよ」

 

 母は買い物にでも出かけているのかいなかった。台所で水を一杯飲んでから二階の自分の部屋へ上がった。

 鞄を無造作に投げつけてからベッドに倒れこむ。

「ああもうっ!!」

 ベッドに体を乱暴に埋めてみても、何も変わらなかった。

 枕を思いっきり投げつけてみてた。何も変わらなかった。変わるはずがなかった。

 たとえ、手当たり次第に物を放り投げても、感情の許すままに壊してみても、それは変わらないのだろう。

 自分の中に渦巻く感情。恐れか、悲痛か、絶望か。

 何がそんなに恐ろしいのか。

 何ががそんなに悲しいのか。

 何がそんなに耐え難いのか。

 そう問われても答えられない。答えられないが、確かにそうなのだ。

 ゲームのような、漫画のような能力が手に入って嬉しくないのか? 嬉しいはずがない。そんなやつがいたら聞いてみたいものだ。

 人が殺されるところを見たことがあるのか? と。

 一人の頭には未だに昨夜の光景がこびりついていた。犯人のおぞましい笑みも、被害者の悲痛な断末魔も、人が焼ける匂いだって思い出せる。

 そんな力が嬉しいのか。

 拳銃を渡されて人を撃ってみたいと思うのか。たいていの人は目の前にそれがあるだけで恐怖で身を引いてしまうだろう。

 それと同じ。自分は拳銃と同じなのだ。人を殺してしまうかもしれない。人に殺されるかもしれない。そんな世界で生きていけというのか――


「…………ん」

 着たままの制服のズボンが振動した。部屋は暗かった。どうやら眠っていて、今の振動で目が覚めたようだ。相当に眠りが浅かったらしい。

 見てみると電話ではなくメールで、送り主は花梨。件名なしで本文には「あーけーてっ」とあった。

「……あ?」

 ゆっくりと起き上がって部屋の明かりをつけた後、窓際へと向かう。都市の外灯のせいか晴れているが星は見えない。目線を下へとおろすと、外灯からでもよくわかる笑顔で手を振る果山花梨の姿があった。

 状況が呑み込めなかったが、とりあえずとりあえず部屋着に着替えて階段を下りていく。そのまま玄関を開けると目の前に花梨が立っていた。

「何だよこんな時間に」

 確かに、高校生が出歩いてはいけないほどの時間ではない。そもそも、このご時世、もはやそんな時間はないに等しい。

 それでも、普段なら夕食も済まして、さて何をしようかといった頃合いである。そう思うと急に腹が減ってきた。

「ちょっと、ね」

 そう言うと花梨は勝手知ったるといった様子で上がりこむと、居間の両親に挨拶をして二階の一人の部屋へと向かっていった。花梨じゃなかったら大変なことになっていただろう。

 一人は両親に「帰ってたの?」と言われた。

「うわあ、久しぶりだね、一人の部屋」

 一人の意向を全く無視して花梨はひとり感慨に耽っている。

「勝手に入ってんじゃねえよ」

「お邪魔します」

 彼女は一人と向き合って頭を下げた。

「そういう問題じゃねえ。何しに来たんだよ、こんな時間に」

「えっとね」

 花梨はベッドに腰掛けると鞄をあさり始める。私服だが、持っている鞄は学生鞄だった。

「あった。はい、今日のプリント」

 鞄の中からクリアファイルを取り出し、その中の数枚の紙を一人に手渡す。

「何だよ、こんなの明日でいいじゃん」

「これはついで」

 彼女はベッドから立ち上がり、押入れへと向かう。一人に無断でそこを開けると、下の段に入っている小さめの折りたたみテーブルを引っ張り出してきた。

「おい?」

 基本的に部屋の模様替えなどすることはないので最後に花梨がやってきた頃と変わらないはずだが、それでも無闇に部屋の中を物色されるのはあまり好ましくない。別に見られてまずいものがあるわけではないのだが。

「数学Ⅱ、五十八ページ問七、八、五十九ページ練習問題全部、英語Ⅱ、三十二ページ英文和訳」

「……は?」

「明日までの宿題」

「げ。そんなの……」

「『休んでいた? そんなの言い訳じゃないか。君たちには携帯電話という文明の利器という物があるんだ。それとも君には宿題を教えてくれる友達すらいないのかい? ははは』」

 彼女は少し声を低くして言った。これは一人たちの数学教師が授業を欠席したために宿題をやってこなかった生徒に対する決まり文句である。だが、似ていない。

「似てた?」

 彼女としては自信があったのだろうか、そんなことを尋ねてくる。

「うるせえよ。……まあ、教えてくれてありがとよ」

「一緒にやろ!」

 かく言う彼女は既に数学一式を机の上に展開している。

「何でそうなる」

 一人は頭をかいた。

「教えてくれたっていいじゃない」

「ったく」

 一人も鞄から数学一式を取り出して折りたたみテーブルに置いた。花梨と向かい合わせになるようにして座り、黙々と宿題をやり始める。テーブルは小さかったが、二人の教科書、ノートを置くことはできた。

 しばらくの間、二人は全く話さずに宿題を進めていた。花梨も集中しているようで一人に話しかけたりはしない。

「俺、まだ飯食ってねえんだけど」

 途中で一人が空腹に耐えかねて花梨に訴えた。

「え、言ってくれれば良かったのに。食べてきていいよ」

 一人はそう言われて立ち上がった。結局、二人で行う意味はほとんどなかった。

 実際、意味はないのだろう。

 花梨は知っているはずだ。今日一人が学校を抜け出したことを。

 花梨は知っているのかもしれない。一人が何かに気を病んでいることを。

 一人は知っていた。花梨が不器用だということを。

 一人は知っていた。花梨が自分より頭がいいことを。

 一人は知っていた。花梨が一人に教えてもらうようなことはないことを。

 だから。

「ありがとう」

 こんな言葉が出てきたのかもしれない。

「え? 私がご飯食べちゃダメとか言うと思ったの?」

 少し花梨は不機嫌になった。

「いや、なんでもない」

 言ってからあまりにも恥ずかしくて(しかも誤解されて)一人は目を背けた。花梨は訝しげに首を傾げていたが、やがて気にしないことにしたらしい、目線を自分の左腕の時計に向けた。

「あっ! もうこんな時間!?」

「最初からこんな時間だったぞ」

「もう帰らなきゃ」

「何だ? 何かあんの?」

「明日のお弁当の準備しなきゃ」

 彼女は慌ただしく自分の教科書やノートを鞄に詰め込んでいく。

「え、お前、自分で弁当作ってんの?」

「そうだよ?」

「はあ、何か意外」

「え、何? それって馬鹿にしてる?」

「いや、普通に意外」

「感心、とかって言って欲しいな」

「ああ、うん」

「何、その気のない返事は?」

 花梨はそう言って頬を膨らませる。その仕草がわざとらしくて、何だか可笑しくて、一人は笑った。




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