第四話 はずれくじ
一人が目を覚ますと、まず自分が縛られていることに気づいた。足をガムテープで縛られ、手には手錠を掛けられている。
そして、次に自分が車に乗せられていることに気づく。ラジオも音楽も流れていない。普段、親の車に乗ればどちらかは必ず流れているので、それらがないこの車ではエンジンの音がやたらと大きく聞こえた。
どうやら後部座席に横向きに寝かされているようだ。手錠は無理だとしても、足はどうにかならないかともがいてみるが、結局徒労に終わった。
立ち上がることもできないのでどこを走っているかも確認できない。だが、寝た態勢でもかろうじてビルが見えることから、高いビルがある場所、つまり街中を走っているのだという想像はついた。
「目が覚めたみたいね」
信号待ちで車が止まった際に振り向いた運転席の女が声を掛けた。ストレートの長髪に整った顔立ち、赤いスーツが目立っている。十人いたら三人くらいは「好みじゃない」と言うかも知れないが、十人が十人美人だと答えるだろう。一人も好みじゃないが美人だと思った。
「ったく、面倒くせえことしやがって」
助手席の男が言う。先ほどの男だ。子供が十人いたら十人泣き出すだろう。
一人は下になっている右腕の肘を支点にして反動をつけて無理やり起き上がった。
「どこ連れてく気だよ!?」
震える心を鼓舞して強気に言う。それを聞いて男は眉を吊り上げ、「強気だねえ」と笑った。
「もうすぐわかるわ。あと十分、誤差プラスマイナス二分て所かしら」
女はそれだけ言って車を発進させた。男が「細けえよ、情報課」と呟いた。一人にも聞こえたということは女にも聞こえただろう。そのせいか、それからブレーキが乱暴になった気がした。
それほど長い時間ではなかった。十分もせずに(おそらく十分マイナス二分といったところだろう)女が「ここよ」と言ったので、窓を覗きこんだ。
一人の頭にはまず疑問符が浮かんだ。そして次に目の前の光景の受け入れを拒否した。その建物が子供の頃に社会科見学で訪れた場所であり、そこが自分を今の境遇に置くとは考えられなかったからだ。
「警、察……?」
「そう、警察よ」
「あー、自己紹介が遅れたな。特命部執行課課長、氷室大牙だ」
「特命部情報課情報収集係係長の龍瀧千晴よ」
警察? この強面が?
一人は俄かには信じられなかった。
車は地下駐車場へと入る。手際よく車を止めると、足のテープを剥がされ一人は歩く。
エレベーターに入り、龍瀧が地下のボタンを押した。
「地下駐車場の、さらに地下?」
思わず声が出る。
「ああ、新しい部署なんだよ、特命部」
「ずいぶん、待遇の悪い部署だな」
「まあ、見られてもまずいからな」
「あ?」
「じきにわかる」
「それより、俺は何の罪状なんだよ?」
彼らが警察であるとわかって一人はだいぶ落ち着いた。それと同時になぜ自分が拘束されなくてはいけないのかという怒りも沸々とわいてきた。氷室を睨みながら尋ねる。
「あ? 罪状なんてねえよ」
「は?」
訳もわからず、一人は手錠をかけられた両手を突き出す。たしか、何の罪状もなしに手錠をかけてはいけないはずだ。
「ああ。だってお前、暴れるだろ」
こんな適当な男が、本当に警察の者なのだろうか。
「当たり前だ! 説明もなしに!」
「説明すりゃ、おとなしくなるのか?」
「それは……」
「まあいい。それを説明するために連れてきたんだ」
エレベーターが止まると、狭い廊下に出る。手前右の扉は開けられており、中はいたって普通の職場のように人々がデスクに向かい仕事をしていた。一人たちはそこには入らずに、廊下を進む。扉は多くない。左右の壁に二つずつ、奥に一つの計五つ。突き当たり左には自販機があり休憩所となっていた。
一人たちは突き当たりにある扉に入った。そこは小さな会議室のようで、白い壁、白い机、白い椅子にホワイトボードと白で統一されていた。角には観葉植物も置いてあった。
明るい雰囲気だったが、一人にはこの白さがかえって無機質で冷たいものに感じられた。
「何か飲むか?」
氷室が財布を取り出しながら尋ねる。
「いや、別に……」
「あ、そ」
氷室は部屋を出て行く。どうやら自分のものだけ買いに行くようだ。
龍瀧が近寄って、手錠の解錠をしてくれた。
「適当に座って」
事務的な口調で彼女は言う。冷たい印象を受けたが、これが常なのだろうか。一人はいくつかある椅子のうち、一番扉に近い椅子に座った。二人が警察の者であるとわかっていても、出口を塞がれるのは怖かった。
氷室が缶コーヒーを片手に部屋に入ってくる。
「じゃあ、私はこれで」
龍瀧は軽く頭を下げ、部屋を後にした。
「さて、何から話そうか」
氷室はコーヒーのタブを空けながら、一人の向かいに座る。一人は目線を落とした。できれば目を合わせたくない顔である。
「あー、昨日は怪我なかったか?」
「……ああ」
今日は、あちこち擦り剥いたがとは言えなかった。向こうが危害を加える気がないとわかっても反抗するのはなかなか恐ろしかった。
「そうか、そりゃよかった。昨日はテンパったろ? いきなりあんな現場に遭遇して」
「そう! 何なんだよ! 夢じゃなかったのかよ……」
一人はその話題に勢いよく噛み付いたが、最後は懇願するように、搾り出すように声を小さくしていった。完全に下を向いてしまう。
「……残念ながらな」
「何なんだよ、あれ……」
「これのことか?」
急に部屋の温度が下がった気がした。驚いて顔を上げると、氷室が缶コーヒーに手をかざしている。その缶コーヒーは見る見るうちに凍っていき、すぐに氷の塊となった。
一人はやはり信じられなかった。昨日の記憶が焼きついていようと、目の前でそれが起きようとも、夢を見ているとしか思えなかった。有り得ない。
一人は何も言えなかった。
「これに名前はない。みんな適当に”能力”とか”異能”とかって呼んでいる。能力には個人差があって、火を出すやつもいれば俺みたいに物を凍らすやつ、物を自由に浮かせたり動かしたりするやつ……。色々だ」
「信じられねえ……」
「信じられなくてもいい。だが現実だ。俺だって幽霊は信じてねえ。けど、見たら信じるしかねえ。それと同じだ。起源ははっきりしてねえが、最近使えるやつが増えてきた。まあ、増えたのか、もともと大勢いて表にでるようになっただけかは知らねえが。どっちにしろ理由は知らねえし知りたくもねえ。俺の仕事じゃねえし。問題は、それを使って何かやらかそうってやつらが出てきたことだ」
「……昨日みたいに?」
「ああ、力の目覚めとともに破壊衝動を抑えられなくなった馬鹿が、人に向けて使ったりしてんだよ。だが、通常の警察じゃ手に負えねえ。だから緊急でそれに対抗する組織が必要になった。それが俺たち特命部だよ。餅は餅屋。異能に対して異能で対応する部署だ」
「知らねえよ、そんなの」
「当たり前だ。こんなの公表できるわけねえ。パニックになるし、第一信じて貰えねえ。お前だってまだ信じてないだろ?」
当たり前である。あまりにも非現実的な話を持ってこられてもいまいち信用できない。だが、それと同時に、それを実際に目の当たりにして、否定できない、認めている感情も確かにあった。その二つがまさに天秤にかけられ酷く揺れている状態である。
「だから、秘密裏に処理する必要があった。だから、部署自体も地下にあるし、上の連中はほとんど知らねえ。『わけがわからなかったら特命部に任せろ』それくらいしか教えられてない。そのくらい極秘だ。政治家もトップの連中しか知らねえだろうよ。いや、そこんとこも俺は詳しくねえ。もしかしたら政治家にもなりゃみんな知ってるのかもしれねえな。とにかく、表に出ちゃいけねえ、それが俺らだよ。わかったか?」
「まあ、見たものはしょうがねえ。信じるしかねえな。けど、俺にどうしろってんだよ? 誰にも口にするなってか? 言われなくても誰も信じねえよ」
一人は吐き捨てる。
「まあな、だが、信じて貰えなくても喋っちまうやつはいるんだよ。火のない所に煙は立たないってな。ん? 違うか? まあいいや。んで、そんなやつらをどうにかするってのは面倒くせえのさ。だから、最も手っ取り早い方法を使ってんのさ」
手っ取り早い。その言葉を聞いて一人の体が強張る。
「おいおい、だから殺したりしねえって」
「それは信じられねえよ!」
「何でだよ?」
「人を殺したやつに言われても信用できねえよ!」
一人は右手で机を強く叩き、氷室を睨みつける。彼の強面に怯みそうになったが、全力で睨む。
氷室は目を細めた。相変わらずの顔ではあるが、どこか切なげにも見える。しばらく黙った後、一つ息を吐いて氷室は語りだした。
「確かに、俺らは自らの命や一般人の命が危ない場合に犯人を殺してもやむなし、とされてる。だがな、俺は一度たりとも殺したことがねえ」
「白々しい」
「……お前、昨日見たんだよな?」
「見たよ。お前が殺すところ」
「違え。俺が凍らせたやつの能力だ」
「……ああ」
「どんなだった?」
「どんなって……。やつが顔を掴んだ途端、体に火が着いて――」
「そう、やつの能力は火だ」
「だからなんだよ!?」
「俺の能力は氷だ」
そう言われて一人は少しの間思案する。そして、間もなく答えに行き着く。
「……あ」
「溶けたんだよ、あの後。それも織り込み済みだ。俺は人を殺さねえ」
反応に窮する。恐怖すら感じる顔つきでも、信じがたいような力を持っていても、彼の言葉には力強さがあり、偽りはないように思えた。
そうでなくても、少なくとも昨日は人を殺さなかったというのは真実のようだ。
「……悪かった」
「わかりゃいい。話を戻すぞ。手っ取り早い方法ってのは、これだよ」
氷室はポケットからライターのようなものを取り出す。それは昨夜にも見たものだった。見た目は百円ライターと変わりはない。違うといえば中のオイルが見えないことくらいだろうか。だがそれもスケルトンではない普通のライターと一緒といえばそうだ。
「これは、置換機だ」
「チカン機?」
一人は首を傾げる。”チカン”が”痴漢”としか変換できなかったが、絶対に違うと断言できた。
「……変な想像すんじゃねえぞ。ガキか」
「してねえよ!」
「まあ、いい。能力者に関する記憶を消す装置だ。これを使えば他言されないですむ」
「ちょっと待てよ! そんなものがあるなら……」
「まあ、そうだな。普通お前みたいな被害者にはこんな話はしねえ。これ使えば一発ですむ話だ。実際、俺もお前にこれを使って、それで終いだと思ってた。昼まではな」
「昼までは?」
「ああ。だが、お前に説明する必要が出てきた。お前に能力が発現した」
「は?」
今度も”ハツゲン”が”発言”としか変換できなかった。しばらくしてようやく”発現”にたどり着いたが、今度はその意味をつかみ損ねた。
「いやいやいや!! ちょっと待ってくれよ! わけわかんないって!!」
「お前、今日俺がお前を追っかけてたとき、最後に何したか覚えてるか?」
一人は気を失うまでのことを振り返った。自転車を掴まれ、蹴りを防がれ、体当たりを避けられ、こいつが近づいてきて、最後に――
「お前は『消えた』んだ。俺の目の前から。見つけたときにはお前は近くの家の屋根に上っていた。それを異能と呼ばずに何と呼ぶ?」
「……俺には関係ない」
「残念ながら大アリだ。世の中に認知されず、それでいて確かに存在する危険な力だ。こちらとしてもそれを管理する必要がある」
「どうしろってんだよ!!」
「どうもしない。今のところは、な。だが、こちらはお前を能力者として認知する。管理する。必要があれば監視する」
「……消してくれよ」
一人は微かな、枯れるような声で呟いた。氷室は聞こえなかったようで、眉をひそめた。
「消してくれよ! こんなわけわかんねえ力なんていらねえよ! 消せるんだろ? そのライターで! こんなの関わりたくねえよ……」
「消してやりたいが、無理だ。能力者は能力に耐性ができて、この置換機くらいの力は受け付けない」
「嘘だっ!」
一人は勢いよく立ち上がる。氷室は微動だにせず一人を見つめたままである。
「嘘じゃない」
一人は殴りかかりたいと思ったが、それを抑え、力なく座り込んだ。
「……慰めるつもりはねえよ。運が悪かった、それだけだ。くじ引きで外れを引いちまったのさ」
「くじなんて引いてねえよ……!」
「出さなきゃ負けよ、ってやつかな? ああ、そりゃジャンケンか」
一人はうなだれる。
一人も氷室も何も言わない。しばらくして氷室が大きく息を吐いた。
「今日はもう帰れ。忘れろとは言わねえが、普通に暮らして構わない。それと、これ持ってけ」
氷室は置換機をテーブルの上でスライドさせた。ちょうどよくそれは一人の前で止まった。だが一人はそれを手に取らなかった。
「……いらねえよ」
「そう言うな。さっきみたいに勝手に能力が発現したらどうすんだ? 吃驚人間ショーにでも出るか?」
氷室は鼻で短く笑った。一人は少し迷ってそれを受け取ると立ち上がった。