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第三話 じゃんけんひとり負け

 三人は一人の机を囲んで対峙していた。

 一人の机にはパンが二つ。焼きそばパンとたまごサンド。

 というのも購買の競争率は高く、一人が居眠りしていたせいで出遅れてしまったのだ。残っていたのはそれだけだった。むしろそれらが残っていたのは不幸中の幸いというものだろう。

 三人の人間に対して、パンが二つ。どうなるかは自明だろう。

 最初は出遅れた一人に罪をなすりつけようとした良介と太一だったが、一人がそれで引き下がるはずがない。それゆえ対峙し、精神を統一しているのだ。

「……行くぞ」

 一人が静かに告げる。

「ああ」

「おうよ」

 決戦の狼煙が今上がった。

「出さなきゃ負けよっ! 最初はグー! ジャンケン、しょ!!」

 一人はグー。そして二人は、パー。

「うおお!?」

「相変わらず弱いな」

 良介が右手で眼鏡を直しながら勝ち誇った表情で言う。

「くそっ」

「因果応報ってやつだよ」

 太一が笑いながらそっと焼きそばパンに手を伸ばすが、良介にしっかりと阻まれていた。

 本当に意味を知っているのか? と太一に対して思っても、一人は何も言い返せずに拗ねるように自分の席に座った。良介と太一がどちらを食べるかを争って再びジャンケンをしているが、それを見るのも癪なので、不貞腐れて窓の外を見ていた。

 ふと、高級そうな車が学校に入ってくるのが見えた。

「すっげえ車……」

 一人が漏らす。それを聞いて勝ち誇っていた太一と少し悔しそうな良介がつられて外を見る。

「何あれ、すげえ。フェラーリ?」

 一人は言った。太一がもの珍しそうに窓に張り付くように身を乗り出していた。窓を開けるには少々寒い。

「青いフェラーリなんてあるか? フェラーリって赤じゃないのか?」

「へえ。いや、高そうな車って言ったらフェラーリかなって。良介、お前詳しいのな」

「このくらいじゃ詳しいって言わないよ」

 一歩引いて見ている良介の表情を一人は覗いた。これ以上の知識があるわけではなさそうだった。

「まあ、別にどっちでもいいんだけどよ」

 一人は再び車に目を向ける。左のドアから出てきたのは女。どう見てもそちらにハンドルがついている。フェラーリでなくとも外車であることは間違いないようだ。彼女は赤いド派手なスーツを着て長い髪を揺らしている。三階からではよくわからないが、おそらく美人だろう。もしくは美人でもないのに派手な格好をする勇気のある肝っ玉か。

 そんなどうでもよいことを考えていたが、右から出てきた人物を見て、背筋が凍るような思いがした。冷たい水に突っ込まれたような、いや、それでは足りない。真冬の湖にでも突っ込まれたような、そんな寒気がした。

 女の方はよく見えなかったが、それは初めてみる顔だからだ。一度見た顔なら三階からでも割とわかる。

 無精髭に頬に傷。昨日の男だ。人を殺したやつを殺した、しかも信じられないが何も使わずに凍らせたのだ。

 あれは……夢じゃなかったのか?

 そんな疑問に答えてくれる者はいない。ただ、頭の中で警鐘がガンガンと鳴っていた。

 一人はすぐさま鞄を掴むと立ち上がって駆け出した。

「おい!?」

「帰る!」

 驚いた良介と太一が声を上げるが、一言そう言っただけでそのまま駆け出していった。


「……何だよあいつ」

 太一が焼きそばパンをほお張りながら呟く。

「何よ、あんたたちどうしたのよ?」

 一人の奇行に驚いたのは二人だけではない。クラス中の皆が注目した。いつの間にか教室は静かになっていた。その中で柑奈が代表するように尋ねた。

「知らねえよ。何か、車を見たとたん出てっちまった」

「車ぁ!?」

 柑奈と、その後を追うように花梨が窓際まで来て外を覗き込んだ。

「車ってあの青いの?」

 柑奈は窓越しに車を指差す。

「ああ。あの高そうな車」

「高いの?」

「知らん。高そうじゃん」

「あの車が何だって?」

「知らねえって。一人に聞いてくれよ」

 そう言うと太一は肩をすくめた。柑奈は良介とも目を合わせるが、彼も首を横に振っている。

「……一人」

 花梨はひとり呟き、不安そうに外を見つめていた。車の二人組が視界から消えると、入れ替わるように一人が出て行った。


 

 赤いスーツの女が車を降りた後、続いて傷の男が車を降りた。男は目を細め恨めしそうに校舎を眺めた。

 良く言えばベージュ、あるいは単に白が黄ばんだのか、少し色のついた白い外壁。何の変哲もない校舎だ。左を向けば自転車置き場、その奥にはテニスコート。

 昼休みなのか外にいても玄関から喧騒が漏れてくる。サッカーボールを持った男子の集団が校舎の裏へと走っていった。テニスコートとは反対方向だ。裏にはグラウンドがある。

「ここか……」

 どういうわけか不機嫌そうに声を漏らす。

「ええ、あなたの記憶が正しければ、彼はここの制服を着ていた、ということになるわ」

 女はあまり言葉に起伏を見せず、事務的な口調で言った。

「ったく。曰くつきじゃねえのか?」

「統計学的に見て、他の集団との有意差は認められないわ」

「小難しいこと言うんじゃねえよ、情報課」

 男は胸ポケットから煙草を取り出して口に咥えようとしたが、女に睨まれてその手を引っ込めた。公共の場での歩き煙草はもう許されない時代だった。

「私にそんな口利いていいのかしら?」

 女はあくまで事務的な口調で話す。その冷たい口調のおかげか男は黙りこんだ。男は舌打ちこそしたが、それ以上何も言わなかった。

「そもそも、何で取り逃がしたのかしら?」

「置換機が空になってた」

「信じられない。減給物ね」

 女はそこで初めて口調を変化させた。だが決してよいものではなく、呆れ返っている。

「ああ、だからお前を呼んだんだ。上には報告できない」

「あら、私を何だと思ってるの? 道具だとでも思って?」

「特命部情報課情報収集係係長、龍瀧千晴。二十八歳。女性。スリーサイズは――」

「はいはい。そこまで」

 龍瀧は手を叩いて制止する。

「ちゃんと人間として見てるし、れっきとした信頼できる同僚だよ」

「それはどうも。けど、別に私を連れてこなくてもよかったんじゃない? もしかして、私ってアッシー?」

「いや、俺だって車持ってることくらい知ってるだろ」

「あのオンボロビートルを車って呼ぶのかしら?」

 彼女はわざとらしく首をかしげ、鼻で笑った。このやり取りの中で一番の感情の変化である。

「最近変えた。ニュービートルだ。英断だったがな」

「じゃあ、一人で来ればよかったじゃない。情報はあげたんだから。私にだって仕事はあるのよ?」

「阿呆。俺が一人で行ったら堅気に思われんだろうが」

「ああ、なるほど」

「納得すんな、阿呆」

 そう言いながら二人は生徒玄関の右にある来客用の玄関を通ろうとした。ふと、龍瀧が生徒玄関の方に目を向けて足を止めた。

「あら、サボりかしら? 感心しないわね」

「あ?」

「ほら、あれ」

 そう言って彼女は指を差す。その先には慌てて駆け出す男子生徒の姿があった。彼は自転車置き場に向かっているので、昼休みに遊ぼうというわけではなさそうだった。彼は鞄を乱暴に自転車の籠に突っ込むとそのままこぎ出していった。体調不良で早退というようにも見えない。

 その姿を見て男の表情が和らいだ。

「何よ、気持ち悪い」

「鴨が葱背負ってきた」

「じゃあ、あれが……。追う?」

「お前の車じゃ気づかれるだろ」

「じゃあ、どうするの? 相手は自転車よ?」

「俺が追う」

「……見られないでね」

「俺を誰だと思ってる」

「特命部執行課課長、氷室大牙。二十九歳。男性。右利き。好きなものは甘いもの全般。嫌いなものは山葵と辛いもの。口癖は……」

「わかった、もういい。悪かった」

 氷室は手をひらひらと振り、鬱陶しそうな表情を作る。そして、龍瀧に聞こえないように「面倒くせえ」と口癖を呟いた。

「自分で自分の尻拭いなんかしたかねえよ」



 一人は全力で自転車をこいだ。ハンドルを強く握り、できる限りの力でペダルを踏む。行き先は特にない。遠くへ。ただ遠くへ。やつらから遠くへ。それだけを考えていた

 信じられなかった。夢じゃなかった。

 あの男は何者だ? なぜ自分を追う?

 追う? 彼は自分を追っているのか? 確証はない。だが、少なくとも学校で一度も見たことはない。それに昨日の事件、偶然にしてはできすぎている。

 ならば、やはりあの男は自分を追っているのだろう。なぜ?

 同じような疑問がいくつも一人の頭を巡る。答えはない。とにかく今は、逃げなくては。

 どこへ行こうか。家は危ない。学校がばれているのなら、家も割れていると考えた方がいいだろうか。だがそれならば朝真っ先に来るはずだろう。けれど安心はできない。

 ならば、街中に行こうか。人ごみに紛れれば少しはマシかもしれない。

 いや、警察に行けばいいんだ。昨日のことは信じてもらえなくとも、変なやつに追われていると言えば、保護してもらえるはずだ。

 よし、それでいこう。そう決めると一人はハンドルを一層強く握り締めた。 

「よう、そんなに急いでどこ行くんだ?」 

 呼吸が止まるかと思った。心臓が高く跳ね上がる。そして、全身から血の気が引いていく。

 強い力で自転車を引き止められた。

「う、わっ!」

 無理やり引っ張られたせいでバランスを崩し、自転車から振り落とされるようにして、地面へと転げ落ちる。どこか擦りむいたかもしれないが、全身が痛くてわからなかった。

 恐るおそる顔を上げると、そこには例の男が立っていた。右手で一人の自転車の荷台を掴んでいる。

 それ以外は何も持っていなかった。周りを見渡しても何もなかった。

 車も、バイクも、自転車も、何にも乗っていない。

 自分の足で自転車に追いついたとでもいうのだろうか? 適当にこいでいたわけではない。走っても追いつけないだろうスピードでこいでいたはずだ。

 まさか。

 有り得ない。

 信じられない。

 男は一人の自転車を手から放した。

「あー、一つ聞くが、昨日のこと誰にも喋ってねえよな?」

 口封じだ。一人は直感する。逃げ出しても追いつかれる。ならばと咄嗟に体が反応した。

 飛び起き、間合いを詰め、相手の頭を目掛けて右足を振り出した。それを男は左手の甲で軽々と受け止める。

「あー、そうだ。昨日の顎、効いたぜ」

 男は右手で顎を触りながら笑みを浮かべる、強面の顔にはやけに不気味に映った。

「うわああああ!」

 右足を引っ込めると、一人は男に突進する。男はやれやれとため息をつくとひょいとそれを避ける。勢い余って一人は地面に倒れこんでしまう。

「おいおい、取って食おうって気はないぞ」

 男は笑うように言った。だが、取って食わないなら、凍らして殺す気だろうと一人は思った。

 男はポケットに手を突っ込んだまま一人へと歩み寄る。一人は地面に尻餅をついたまま後ずさりする。すでに対抗する気力はなかった。

 来るな。

 来るな。来るな。

 来るな来るな来るな!!

「やめろおおおおおお!!!!」






 次の瞬間、一人は違う景色を見ていた。家の屋根が並んで見える。何が起きたのか全くわからない。

 這い蹲るようにして屋根の端まで行って、下を見下ろすと、一人の自転車が見えた。男もいる、目が合う前に一人は体を引いた。

 どうやら近くの民家の屋根に上ったらしい。

 どうやって?

「おいおい、何だってんだ……?」

 途端に体が重くなる。マラソンを走った後のような、それほどの気だるさを感じた。

 後ろから舌打ちが聞こえた。それを聞いて我に返るが、振り向く間もなく首に衝撃を受けた。

「あー、面倒くせえ」

 一人の意識は暗転した。

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