第十八話 給料カット
家に帰ると、鞄を放り出して自転車の鍵を掴んだ。
家の脇に停めてある自転車のスタンドを乱暴に蹴り上げる。
急いでどうとなるわけではなかったが、急がずにはいられなかった。
もちろん、花梨もついてきた。道すがら花梨が話しかけることはなかった。知らずの内に話しかけづらい雰囲気をこちらから出していたのかもしれない。
良介の家は一人の家からすると、ちょうど稲川の反対側に当たる。直線距離ではかなり近いのだが、川を渡る橋が近くにないのでかなり遠回りになる。
一人の家周辺が後発の住宅地で、中途半端に工業地帯にもなりつつあるのに比べ、良介の家周辺は根っからの住宅地で、コンビニ、スーパーなどは近いところにある。空き地などは少ないが、道路わきに植えられている木々がかろうじて自然を感じさせてくれる。
それなりに距離があるにもかかわらず、すぐに到着した。
良介の家の前にはおそらく父親の車が停めてあったのだろう一台分の駐車スペースと、母親の物であろう白い軽自動車があるだけだった。
一人は希望的観測を持って花梨を見た。氷室なんていないじゃないかと言う念を込めて。
だが、彼女は首を横に振る。
「だって、一日中いるはずないよ」
「じゃあ、確かめようがないだろ」
「何を確かめたい?」
言われて、一人は言葉に詰まった。自分は今、何がしたいのだろうか。何を確認したいのだろうか。
「それは、その……氷室じゃないってことをだよ。その、何とかって車だって別に珍しいわけじゃないんだろ?」
「……ごめん」
やっとのことで言葉を選んで問うが、花梨は間髪入れずにそう言って少し俯いた。
「あ? 何謝ってんだよ?」
花梨は自転車のスタンドを立てて、歩き出す。彼女は最初から気付いていたかのようにまっすぐそこに向かった。道路わきには白いセダンが停めてあった。わけもわからず見ていると彼女が手招きをしたので、一人も自転車を停めて後をついていく。彼女は運転席の窓ガラスを軽くノックした。
窓ガラスがゆっくりと開いていく。
「お疲れ様です、倉本さん」
彼女は笑顔で挨拶する。中の男は泣き出しそうな表情だったが、彼女のその挨拶で少し顔が緩んだ。しかし、泣き顔半分、笑顔半分で奇妙な顔になっていた。
「あ、お、おはよう。果山さん」
しどろもどろな挨拶をする車内の男の顔に、一人は見覚えがあった。確か氷室の部下だったはずだ。
「あ、君は……。うん、覚えてるよ。名前は忘れたけど」
「ども……」
一人は少しだけ頭を下げた。
「あの、お話聞いてもいいですか?」
花梨は素早く助手席側までまわってドアを引いた。
「あれ?」
そのドアは開かなかった。倉本が慌てて鍵を掛けたのを一人は見逃さなかった。
花梨は窓をノックする。
「開けてください?」
だが倉本は首を振るだけで開けようとはしなかった。
ドンッ、と強い音がした。
「開けて、ください?」
それは花梨が強く窓を叩いた音だった。もし、このままどんどん強く叩いていくのなら、窓は割れてしまうだろう。否、主語が違う。窓が割れてしまうのではない、彼女が窓を割ってしまうだろう。
それを危惧したのか、倉本は怯えたような表情で渋々鍵を開けた。
「お邪魔しまーす」
彼女がそのまま車内に入っていったので、一人も後部座席へと座る。
倉本は大きなため息をついた。
「で、倉本さんは何してたんです?」
「何って、仕事だよ。……困ったなあ」
「仕事なのは見ればわかりますよ。何の事件です?」
「……あれだよあれ、知ってるかな? 連続神隠し」
「誰です?」
「誰って……」
「今度は誰がいなくなったんですか!?」
花梨はやや語気を強めて言った。煮え切らない倉本への苛立ちか、それとも……。おそらくは後者だろう。
「そっ、そこの、人だよ」
倉本は指を差す。それは良介の家のあたりを差していた。だが、その隣かもしれないという可能性は砂漠で米粒を探し出せるくらいの可能性は残っていた。
「そこってどこです?」
花梨は語気を弱めずに問い続ける。
「だっ、だから、そこの佐野さんってとこの息子さんだよ」
「良介がいなくなったってのかよ!」
今度は一人が怒鳴るように言う。後ろからの声に倉本は驚いたようで体をビクッと震わせた。
「え、何? お友達? ああ、もう……。もう嫌だ。もうここまで喋ったんだからもう帰ってよ」
半べそ気味だった顔をさらにくしゃくしゃにして倉本は言う。
「そうはいきません。詳しく教えてください」
「駄目だって!」
「駄目です。話してくれるまで動きません」
「そんなこと言ったって駄目なものは駄目だよ。いい加減にしてよ」
「話してくれなかったら叫びますよ。誘拐です、助けて、って」
倉本の表情が引きつった。
「勘弁してよ。はあ……。まいったなあ……。事件の概要は知ってる?」
倉本は諦め話し出した。
「少しは」
「人がいなくなるんだよ、急に。で、数日後に見つかる。本人はほとんど覚えていない」
「特命部が動く根拠は?」
「ちょっとだけ目撃情報があったんだよ。人が消えたって」
「消えた?」
「そう、消えた。文字通り、目の前で消えたらしいよ。十メートルくらい前を歩いていた人がパッと消えちゃったんだって。調べたけど何もなかった」
「なるほど……。倉本さんは何を?」
「この辺の見回りだよ。怪しい人がいないかとか。けど多分無駄。被害者はほとんど無差別としか言いようがないし、一度事件があった場所で何か見つかるとは考えにくいよ……。そろそろ帰ってよ」
「もうちょっと待ってください」
その時、助手席の窓がノックされた。
倉本は今日一番の負の感情を露わにしたが、彼と向き合って話している花梨は外の人物に気付いていないようだった。花梨はノックの音を無視した。
一人は、その人物を見て気分が急降下した。
もう一度ドアがノックされた。
「いや、ちょっと……」
倉本が花梨に訴える。
「駄目です。もっと詳しく話してください」
「いや、そうじゃなくて……」
ガラスが割れんばかりの強さで窓が叩かれた。渋々花梨は振り向いた。
そして、凍りついた。
「あっ……」
「よお、お前らその辺にしとけよ」
ドアを開けてそう言い放ったのは倉本の上司だった。
「あ、氷室さん、こんにちは」
「上手く繕ってんじゃねえぞ。とりあえず降りな。お前もだ」
氷室は一人を顎で指す。花梨が苦笑しながら降りたので、仕方なく一人も降りた。見渡すと先ほどはなかった車が一台路上に停めてあった。WとVを合わせたようなマークで、小さくて丸い。見ようによってはカブトムシに見えなくもない。あれが氷室の車なのだろう。
「……おい、倉本。お前も」
「はっ、はい!」
「吐いてねえだろうな」
「吐くって、取調べじゃないんですから……」
「どうなんだ?」
「そ、それは、そのう……」
「ったく。とりあえず、お前ら帰れ」
「は、はいっ」
倉本は集団行動のようにキレのある動きで回れ右をした。
「倉本、てめえじゃねえよ」
低い声で氷室が言う。倉本は非常口の看板のようなポーズで固まった。
氷室は一人と花梨を睨んだ。
「嫌です」
花梨が食ってかかった。氷室は少しだけ眉を吊り上げた。
「面倒くせえ。何度も言わせんな。帰れ。お前はただの非常勤だろうが」
「そうです。ただの非常勤です。でも、特命部の非常勤です」
「格好つけてんじゃねえよ。バイトが正社員の仕事してんじゃねえよ。……それに非常勤ですらねえやつもいるし」
氷室は一人を見た。冷たい目だった。
「非常勤になれって散々言ってきたのはそっちだろうが!」
「けど、非常勤じゃねえだろうが」
一人は言い返せなかった。だが、正しいのは氷室の方なのに、理不尽な仕打ちを受けているような憤りを感じた。
「良介はどうなるんだよ!」
その憤りの正体は簡単だ。良介だ。友人がいなくなった、だからだ。
「友達が巻き込まれて、黙って見てろってのかよ!?」
「自惚れんなよ。力を手に入れて正義の味方気取りか? こないだまではいらねえって騒いでたのによ」
「うるせえよ」
自分でも支離滅裂なのはわかっていた。けれども、退けなかった。
一人は氷室が苦手だ。
顔が怖い。目が恐ろしい。言葉が突き刺さる。まったくもって苦手だ。逃げてしまいたくなる。
それでも、ここは退けない。
「聞き分けのねえやつだな。邪魔だって言ってんだよ」
また、言葉が突き刺さる。
「要は、迷惑なんだよ」
言葉で切り刻まれる。
「わかりました!」
二人のやり取りに口を挟んだのは花梨だ。少し泣きそうな顔である。
「今日は帰ります。行こう、一人」
「ちょ、ちょっと待てよ。痛えって!」
花梨は一人の腕を引いていく。一人は抗議するも彼女は引く力を緩めない。そのまま自転車に跨って帰る素振りを見せたが、一人は動く気になれなかった。
それを見て、花梨は小さく言った。
「今日の氷室さん、すごく機嫌悪いよ。本気で怒ってる。早く帰った方がいいって」
それを聞いて、一人は少し悩んで自転車に乗った。
「……あの、氷室さん」
騒々しかった二人がいなくなってから倉本は恐るおそる氷室に声をかけた。普段から怖い上司だったが、今日はいつになく刺々しいからだ。
声をかけたものの氷室からの返事はない。どうしたものかと思っていると、しばらくしておもむろに氷室が口を開いた。
「倉本、お前も明日から外れろ」
「えっ?」
「今日の昼頃から有澤から連絡がない」
「まさか……」
倉本は驚いた。有澤は一つ上の先輩で有能でヘマをするとは思えなかった。どうやら機嫌が悪いのはそのためらしい。
「かなりヤバイ状況らしい。今までの通りなら数日で戻ってくるだろうが。何人もそうなったらやってられねえ。できるだけ人員を削減して、なるべく上のやつらで何とかする」
「わかりました。あの子たちは?」
先ほどの二人がこのまま引き下がるようには思えなかった。
「どうもできねえ。見張りをつけるにしても高木ならともかく、果山ならすぐ気づくだろ」
「いいんですか?」
「良かねえよ。ただ、どうしようもねえ。なんならお前が見張るか?」
「無理ですよお。彼女、一年でかなり上達しましたから。一瞬でバレる自信があります」
「……お前、来月から給料カットな」
「ひっ、止めてください! 冗談ですよね!?」
「とにかく」
氷室は否定しなかった。倉本は今日一番の不幸な出来事だと思った。
「無駄に頑張りやがって。高校生がバイトに精出すなっての。とにかく、あいつらは放置。いらねえことしねえのを祈るしかねえよ」