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第十四話 ため息、逃げる幸せ

「あ、やべ」

 一人は鞄の中をを漁って次の授業の教科書、ノートを取り出そうとして、その手を止めた。

 軌跡を信じてそのノートを取り出すと、最後のページをめくる。

 そこには「宿題!」という強調された文字と教科書の該当ページが記入されている。

 その下は白紙になっていた。

 まただ。またやってしまった。一人は頭を抱えたくなった。

「むむむ……」

 次の授業は米田の数学だ。まずい。非常にまずい。彼の授業で宿題を一回忘れると、評価が一つ下がるとまで噂されているのだ。まあ、実際にそんなことはないだろうが、評価に響くというのは間違いないはずだ。

 それ以上に彼の機嫌を損ねると、教室の雰囲気は悪くなるし、級友からは後で文句を言われるしで、良いことがないので、何とかしてそれは避けたい。

 最近どうも、うっかりしすぎである。言い訳をすれば思い当たる節もあるのだが、できれば言い訳などしたくない。単純にたるんでいる。

 ため息一つついて一人は席を立った。

「佐野さん」

 まずは下手に出てみようと、丁寧な口調で一人は良介に話しかける。

「丁寧に言ったって駄目だ」

 一人を水見ずに良介は即答する。

「この鬼畜め!」

「うるさいな。一人、宿題の意義を言ってみろ」

「は?」

「宿題は、わからなかったところを復習する、もしくはこれからの授業を予習するのが目的だ。つまり、自己の成長のためであって、成績のためではない。要するに、他人の宿題を書き写して授業をしのいだところで何の意味もない」

「くそっ、正論言ってんじゃねえよ」

「正論を言って何が悪い」

 一人は舌打ちをする。なんだかんだで良介は頭が固い。というより確信犯的に自分の要求を拒否をしているように一人は思えてならない。これが他のクラスメイトだったら見せているのではないかと思ってしまう。

「一人? 私の見せてあげよっか?」

 横から口を挟んできた者がいて、振り向いた。

 花梨が控えめな態度でノートを持って立っていた。 

「あー……」

 何となく視線を逸らしてしまう。

 この場にいるのが辛い。視線を交わすのが、言葉を交わすのが、憚られる。

 理由はあの夜にあるのだろう。

「いいよ。自分で何とかするわ、やっぱ」

 そう言って自分の席に戻った。

 最後まで花梨と視線は合わさなかった。



「はあ……」

 ああ、幸せが逃げた。いいんだ、幸せなんてとっくに逃げているから。そしてもう一度ため息。また、逃げた。

「なーに、一丁前にため息ついてんのよ」

 柑奈に頭を小突かれた。果たしてため息をつくことが一丁前なのだろうか。

「そんなため息ばっかついてると幸せ逃げるよ」

「……お母さんみたいなこと言わないでよ」

 そう、これは母の口癖なのだ。

「あんたの母さん知らないし」

 そう言いながら今日も花梨の作った玉子焼きを頬張る柑奈。そしていつも通り満足げに笑みをこぼす。

「ところで今日で何回目?」

 ため息が、だろうかと考えて、弁当のことだと思い直す。だが、考える気力もなかった。そもそも、もとから数えてなんていなかった。

「……知らない」

 ぶっきらぼうに返事をする。

 それを聞いて柑奈は肩をすくめた。

「だろうね。私も数えんの止めちゃった。とにかくよ、どうしたのさ? あいつがちょっと戻ったと思ったら今度はあんたかい」

「別に。落ち込んでなんかいないもん」

「嘘うそ。強がりですらないって」

「だって……」

 花梨は眉をひそめて抗議しようとした。だが、言葉が何も思い浮かんでこなかった。

「別に振られたわけでもあるまいし。何かしないと。今までの距離感が嫌だって言ってたのあんたでしょうが。古典的手法でも何でもいいからさ、さっさと決めちゃいなよ」

「今渡しても絶対断られるもん」

「……何? あんたら何かあったの?」

「別に」

「はあ、あいつに別の好きな子でもできたか?」

「知らない」

「じゃあ、何さ?」

「別に。ちょっと、距離が遠くなった」

 花梨は頬杖をついてため息をついた。また、幸せが逃げた。

「いや、全然わかんないから。もっと、要領よく喋りいな。お姉さんが相談に乗ってあげるから」

 柑奈は花梨の肩を叩いて慰めようとしてくる。それが彼女には嬉しかったが、話そうとは思えなかった。

「別に」

「はあ、駄目だこりゃ。わかったわかった。何があったか知らないけどね。そこまで言うなら自分で何とかしなよ?」

「うん。……けど、駄目かもしれない」

 最後に花梨はドサッと机に突っ伏した。



「あー……。連絡、何だっけ?」

 SHR。妙にやる気のない担任があったはずの連絡事項を思い出そうとしていた。いつもなら、「忘れるってことは大したことじゃねえな。解散」などと言うのだが、今日に限ってそうはしない。何か重要なこと、ということだけは覚えているのだろうか。

 あまりにもその時間が長いのでクラス中で雑談が湧き上がっていく。

 彼は右斜め前方に視線を向けた。

 花梨が近くの女子と何かの話しをしている。時折見せる笑顔が、なぜか一人の心に突き刺さった。

 彼女との関係はあの夜に間違いなく変わってしまった。

 たかが、一回の宿題のために学校に戻らなければ、こうなならなかっただろう。

 異能などというわけのわからない世界に迷い込んで、知ったのは、彼女はもっと前からこの世界に来ていたということだった。

 彼女との関係はきっと、もう戻らない。非日常にいる彼女との距離感がつかめない。彼女に近づけば自分が非日常にいると感じてしまうだろう。

 だから話しかけるのも憚れるし、ノートを見せてもらうのも躊躇ってしまう。

 十年以上の関係がたった一夜、たった数時間で崩れてしまった。これを修復する手立ては果たしてあるのだろうか。

「ああ、そうそう思い出した。お前ら、あんまり寄り道すんなよ。最近物騒だからって話をしようと思ってたんだ」

 担任がわざとらしく手をポンと叩いてから言った。

「おいおい、端折りすぎじゃねえのか、それ」

 あれでは何が物騒なのかわからないではないか。

「ああ、アレだろ? 連続神隠し事件」

 太一が振り返る。

「あ? 何だそれ」

「おいおい知らないのかよ? 結構騒がれてるぜ」

 基本的に一人はニュースを見ないので時事についてからっきしだった。だが、焼死体のときもそうだったが、太一が意外にニュースを見ているというのが意外だった。

「悪かったな、知らなくて」

「市内で何人も行方不明になってるんだよ」

「何それ? 誘拐じゃねえの?」

「違う違う。みんな見つかってるんだよ。被害者の家に何か要求されたとかはないってさ。発見されたときはみんな意識がなくて、山道とか、川辺とか人気のないところで見つかってんの。被害者たちは何も覚えてないし、共通点もない。だから神隠し」

「……かなり物騒じゃねえか。いいのか? あんな注意の仕方で」

「まあ、みんな知ってるしね」

 そう言って太一は薄ら笑いで一人を見る。

「うるせえな」


  

 学校中が騒ぎ出す。みなが廊下にたむろし、雑談を交わす。そのまま帰る者、掃除が終わるのを待って、雑談を続ける者、部活動に行く者、様々である。

 一人はといえば、そのまま帰る者である。毎日毎日太一と良介といると金が底を尽きてしまう。特に用がないのなら、彼らとは家が逆方向なので、自然と一人で帰ることになる。

 適当にクラスメイトに挨拶しながら階段を降り、玄関を出て、歩き始める。もうすぐ六月ということもあり、ブレザーなしで半袖のYシャツも増えてきた。特に今日は天気がよい。

「……なんか、最近こういうのが恨めしいな」

 どうにも、周りで生き生きとしているものが恨めしいと感じるようになった。危ない傾向だとわかってはいるが、どうにもならない。ただ、一月前と比べれば、まだよいのかもしれない。

 桜なんかとうの昔に散ってしまった寺の庭を横切り、公園の前に差し掛かる。自転車を停め、公園の周りを囲っている石に腰掛けている人物を見つけて、足が止まる。

 そのまま引き返したくもなったが、彼女がこちらに気づき、跳ねるようにして立ち上がったので、もう遅かった。

「やっ」

 花梨は手を挙げて微笑んだ。だが、その笑みはどうにも悲しそうだったのは気のせいだろうか。いや、気のせいではない。気のせいだと自分が思いたいだけだ、一人はそう思った。

「やっ、て。さっきまで一緒の教室にいただろ」

 目を合わせずに言う。どうしても視線を合わせづらい。合ってしまえば、飲み込まれてしまうような。そんな恐怖感があった。

 何に飲み込まれるのだろうか、自問するも答えは出ない。けれど、その得体の知れない恐怖は確かにあって、彼女直視できずにいた。

「はは、それもそうだね」

 彼女は苦笑する。

「どうしたんだよ」

 彼女は自分の態度に気がついているのだろうかと思いながら平静を装って会話を続ける。

「いや、ちょっと、ね。一緒に帰ろうと思って」

「何だよ急に。ガキじゃないんだから」

 一度も彼女と目を合わせることなく、一人は花梨の横を通り過ぎようとする。

「一人……。私を避けてるよね?」

 その言葉に一人は立ち止まった。

 振り返る。

 苦い表情を浮かべる。

「何言ってんだよ」

「避けてるよね」

「避けてなんか……」

「私が非常勤だから?」

 初めて彼女の顔を直視した。今にも泣きそうだった。

 これ以上は、本当に彼女が泣き出してしまうのではないかと思えた。

「…………そうだよ」

「どうして……?」

「どうして、かな。どうして、非常勤なんてやってるんだよ」

「言ったでしょ? みんなを護るためだって」

「何で、どうしてお前なんだよ! 氷室だっている。有澤さんだって、他にもたくさんいるだろ! 誰がやったっていいだろ!!」

「誰がやったっていいよ。だから私でもいいはずだよね」

「死ぬんだぞ」

 一人は花梨を睨みつける。

「死なない」

 彼女は動じない。

「保証はないぞ」

「知ってる」

 彼女は動じない。

 どうして、どうしてここまで強くいられるのだろう。

「わかんねえよ……。何でそこまでするんだよ」

「一人は、私を心配してくれてるの?」

 違う。関わりたくないんだ、きっと。

 花梨が、幼馴染が向こうの世界にいるという現実が、自分が今、そっちの世界に限りなく近づいていることを否が応でも自覚してしまうからだ。

 要は自分可愛さ。自分だけよければそれでいい。

 素晴らしく反吐が出る。

「わかんねえよ、そんなの」

 口が裂けてもそんなことは言えなかった。

 今度こそ、花梨を無視して一人は歩き出した。

「一人、私は、一人も護るよ」

 その言葉すら無視して一人は花梨から遠ざかる。

 俺は最悪だ、惨めだ。

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