第十三話 貧乏くじ
正直、十六年間生きてきて、果山花梨という人間をちっともわかっていなかったと思い知らされた。彼女のこんな一面を自分は知らない。
彼女はまるで舞いでも踊っているかのように、淀みなく攻撃を繰り出している。そして、それこそ本当に舞っているように攻撃を避ける。
実に圧倒的、力の差がありすぎる。彼女の圧勝である。
攻撃が、通ってさえいれば。
彼女は少年の背後に回りこみ、横薙ぎに棒を振るう。側面をまともに叩き、少年を吹き飛ばす。床を傷つけながら少年は転がっていく。
だが、彼は何事もなかったかのように起き上がる。
彼は弱い。非常に弱い。だが、一方で非常に強い。いとも簡単に倒れる。だが、一方で絶対に倒れない。
「タフだね」
そう言う花梨の顔には若干の汗が滲み出ていた。息こそ上がっていないものの、攻撃を繰り返して、体力を消耗している。
一人は自分の無力を思い知る。花梨が、幼馴染が、女の子が戦っているのに、自分は何もできない。前に出たところで真っ二つにされて終わりだ。一人は唇を強く噛んだ。
「あなたに吹き飛ばされた衝撃はあるんですよ?」
少年はゆっくりと起き上がる。
「このままじゃ、駄目かもね」
彼女は自分の武器を見る。ずいぶんと傷つき、もしかしたらあと少しで切られてしまうかもしれない。
「……使いたくなかったんだけど」
花梨は数歩バックステップし、武器を置いた。右手を前に突き出し、左手を添える。親指と人差し指を立てて少年へと向ける。よく子供がやるピストルの形である。
「何を……」
「バンッ」
彼女が子供のようにピストルの音を真似ると、花火のような爆発音が花梨の指から、甲高い金属音が少年の体から鳴り響いた。
「な……」
一人は開いた口が塞がらなかった。指からピストルを撃った花梨にも、それを防いだ少年にも、驚愕を覚えた。
これが彼女の能力。一歩間違えれば人を殺してしまう、何とも彼女らしくない能力。
だが、それも通用しなかった。
「はは……。まいったな」
「驚きました……」
少年は本当に驚いたようで目を見開いている。
「けど、それが最終兵器だったみたいですね」
それでも冷静にそう言って少年は駆け出す。慌てて花梨は武器を掴もうとするが、焦って滑らしてしまう。
「あっ……」
慌てて拾い直すが、間に合うかどうか。際どいタイミングだ。
「クソッ……」
こんな時に、何もできない。できない。彼女の盾になろうとしても、おそらくこの箒じゃ盾にもならない。
けど。けれど。
このまま黙って見ていることなんてできなかった。
「やめろおおおおおお!!!!!」
一人はイメージする。
そこに移動するのではない。そこにいるのだと。
そこにいるのだという感覚。それが当たり前だという認識。
それが世の中の理。それが自分の常識。
一人がそこから消える。
花梨が棒を目の前に出す。間に合った。
少年が手刀を繰り出す。
二つがぶつかって甲高い音が響き渡る。
十メートルは離れていた一人が、一瞬にして彼らのすぐ横に移動した。
一人が箒を一心不乱に振り回した。
鈍い音を立てた。
「え……?」
ほんの少し、一メートルほどだが、少年は飛ばされる。
一人は花梨を抱えて、距離を取る。
「どうして……」
一人は箒を見る。箒は見事にひしゃげていた。だが、切れてはいなかった。
「っ……痛い」
元々運動音痴のいじめられっこ。痛みには単純に弱いようだった。泣きそうな表情で起き上がる。
「何で……」
少年も攻撃を受けた理由がわからないようだった。
「もしかして……」
花梨が口を開く。
「一度に変化させられる部位は一箇所だけなのかも」
「今は、花梨に攻撃していた右手だけが刃になっていたのか」
「……一人」
花梨は自分の武器を黙って一人に差し出した。
「あ?」
「これで足止めして。私が撃つから」
「撃つって、お前……」
それは、殺すってことじゃないのか?
「大丈夫、足を狙うから」
一人は花梨を見つめる。その表情に迷いはない。その瞳は殺してしまう恐怖よりも、殺さない覚悟が明らかに勝っていた。
「……任せたぞ」
「うん」
一人は棒を握り、少年と対峙する。少年の感情には恐怖が滲み出て来たようだが、それでもまだ自分が有利だと言い聞かせ、冷静になろうとしているようだった。
「見てただけのあなたが何ができるんです?」
「さあな。何もできねえかもしれねえ。けど、何かできるかもしれねえ。やってみようぜ!」
一人は走り出した。棒を縦に振り下ろす。それを少年は左手を添えた右腕で防ぐ。一人は棒を引き今度は横に薙ぐ。それを少年はしゃがんで避ける。
下から突き上げる拳。近すぎる。避けられない。
「くっ!」
一人は能力を発動させ、少年の背後に回る。これであと一回。
少年は何が起きたか理解できずに左右を見渡している。
「残念、後ろだよ」
力を込めて袈裟懸けのように肩口に叩きつけた。もちろん刃で弾かれるが、衝撃で少年は蹲った。
「チェックメイトかな? オートってのも面倒だなあ」
一人は棒を少年の首筋に押し付ける。つまり、今は首筋が刃となって攻撃を防いでいるのだ。これがもし自分の意思で何とかできるのであれば形勢は再び逆転されてしまうのだが、そうしないのを見ると、どうやら完全に無意識の能力のようだ。
「一人! その体勢じゃ狙えないよ!」
花梨が困ったように声を張り上げた。
「な!? 頑張れ!」
「無茶言わないで!」
今少年は蹲っている状態である。この状態では的が小さすぎて足を狙えない。
「仕方ねえ。氷室さんが来るまで、このまま……」
「あなた……これは剣じゃないんですよ」
「あ?」
「掴めるってことです」
少年は両手で棒を掴むと背負い投げのように、前に振り出した。
彼は元運動音痴。しかしあくまで”元”である。今は能力に目覚め、身体能力が上がっている。人ひとり投げ飛ばすのは不可能ではない。
「ぬおっ!?」
一人は棒こそ離さなかったものの、空中で一回転して、床に叩きつけられた。
「つ……うおっ!!」
そこに少年の手刀が襲い掛かる。咄嗟に反応して飛び上がるようにして避ける。二撃目もかろうじて棒でそれを防いだ。
「花梨! 早くっ!」
「駄目……!」
「何で……」
そう言って気がつく。自分の視界に花梨がいない。つまり花梨は自分の背後に、自分が邪魔で撃つことができないのだ。
「このっ……!」
押し返そうとするが、なかなか少年は食い下がる。
「花梨! 撃て!」
このままだと少年が距離を取って仕切り直しになってしまう。そうなれば今度こそ鍔迫り合いなどさせてくれないだろう。今が絶好のチャンスだ。
「無理だって!!」
「大丈夫!」
「大丈夫じゃないって!」
「信じろ!!!」
「……わかった」
花梨は右手を前に突き出す。狙うは少年の右太腿。だが、完全に一人と被さっていた。もちろん他の部位も狙うことができない。
それでも、彼女はためらわない。彼が大丈夫だと言ったから。
彼が大丈夫と言えば、大丈夫なんだ。そう言い聞かす。
「バンッ」
花梨の幼稚な擬音の後に爆発音が体育館に響き渡る。その瞬間、一人は目の前から消えていた。少年の右足から血が噴出し、悲鳴と共に蹲る。彼の刃を防いでいた花梨の武器が空中で支えを失ってその場に落ちた。
「うわあ!! 痛い! 痛い!! うう……」
聞くに耐えない悲鳴だが命に別状はないはず。我慢してくれと願うしかない。
「な? 大丈夫だったろ?」
声がしてあたりを見渡すと、すぐ横で一人が座り込んでいた。
「うん。すごいね。それが一人の能力?」
「ああ、無理矢理引かされた貧乏くじだよ」
「何それ?」
一人のその言い方が何だかおかしくて、花梨はクスクスと笑った。
「笑うなよ。ガチで迷惑なんだから」
「ごめんごめん。立てる?」
「無理。三回消えたら動けねえ」
「うーん、どうしようか。ちょっと待っててね」
そう言って、少年の方へと歩み寄る。しゃがみこんで少年と目線を同じにする。相手は高校生なのに、小学生を相手にしてるみたいで、ちょっと失礼かなとも思った。
「大丈夫? 痛い?」
「うるさいっ! 近づくな!」
少年は腕を振り回す。首筋を掠めそうだったので身を引いて避けた。やれやれと思いながらも微笑んでポケットから包帯を取り出す。相手を傷つけてしまったときのために常備しているものだ。
「止血するから、能力解いて。できるでしょ?」
彼は先ほどの戦闘では不利な状況でもそうしなかった。しかし、それはやったことがなかったからで、戦闘中だったからで、今の状況ならできるはずだ。
「……うるさい」
「できるでしょ?」
彼女は強い口調で、それでいて高圧的にならないように気を使って尋ねる。
「できませんよ。やったことないですから」
「そんなはずないよ」
彼女は柔らかい口調で言う。
「だったら君は何にも触れれないよ。鉛筆も箸も持てない。そもそも服だって着れない。君はやり方を知ってる。気づいてないだけ」
「……やってみます」
少年が頷いたので花梨はそっと彼の体に触れた。血は出なかった。
どうやら弾(実際に弾があるわけではないが)は太腿の内側を打ち抜いていて、骨には異常がないようだ。手際よく包帯を巻いてきつく縛って止血する。しっかりと処置すれば問題なさそうだ。
「何があったか知らないけど、やめなよ、こんなこと」
「あなたに何が……!」
「わからないよ。わからないから、やっちゃ駄目だってわかるの」
「そんなの、詭弁だ……」
「そうかもしれない。けど、そうじゃないかもしれない」
「……あなたと話していると、苛々する」
「ははは……。私ね、いじめって、九十九パーセントいじめてる方が悪いと思うの」
その言葉に少年の眉が吊り上がる。睨みながら腕を振るってきた。それをわざと腕に掠める。血が、滴り落ちた。
「うっ……」
その血を見て少年はうめいた。
「それじゃあ、最初から復讐なんて無理だったね」
花梨は微笑みながら自分の腕に包帯を巻いていく。
「何も残り一パーセントは君が悪いなんて言ってないの。その一パーセント分、君が強くなればいいんだよ。こんな人を傷つける強さじゃなくて、もっと、何ていうか、自分に自信を持てるような、そんな強さ」
自分でも矛盾しているとわかっていた。いくら言い方を変えたところで言っていることは「一パーセントはいじめられる方が悪い」だ。そんなこと思ってもいないし、言いたい事は違うのだが、なかなか表現できない。
「そんなの……」
「うーん、そうだね……。そう、君、好きな子いる?」
なんとも場違いなことを言っているのだろうと自分でも思う。けれど、なんとなくそう言うべきなのだろうと感じたのだ。
「は?」
案の定彼は意味も分からず呆けている。けれど、その表情が先ほどまでとは雰囲気が違う気がして微笑ましかった。
「好きな子がいたらその子に好かれようと頑張れるでしょ? それと一緒だよ。頑張れば、いじめた子もわかってくれるよ」
「…………ふん」
「君、名前は?」
「…………山本俊明」
「俊明くん、私は応援するよ?」
そう言った途端、山本は目を見開いた。花梨をじっと見つめる。
やがて、声を上げて泣き出し、花梨に蹲ってきた。
「よくもまあ」
一人は半ば呆れ気味に口を開いた。
あの後、氷室が到着し、山本は連れて行かれた。そして、能力を使い果たし、立てなくなった一人は氷室に抱えられながら、彼の車の後部座席に放り込まれて今に至る。助手席には花梨が乗り込んでいる。
「あんなことペラペラと。良くあんなこと思いついたな」
「……似てると思ったんだよ」
「あ? あの好きなやつのくだり? それこそよくもまあ出たなって感じだけどな。恥ずかしくなかったのかよ? 何、お前好きなやついんの?」
「ひぇ!? い、いないよ!!」
「ふーん。ははあ、そかそか」
「いないってばあ!! いたって絶対一人には教えてあげないもん!」
「ああ、さいですか」
「お前ら、うるさいぞ」
運転していた氷室が不機嫌そうな声で言う。
「ごめんなさい。あの、俊明くんはどうなるんですか?」
「さあな。俺の仕事じゃねえし。ただ、誰も傷つけてないし、まあ、机は壊しすぎだが。未成年だし、何とかなるんじゃねえの?」
「そっか、よかった」
「よかねえよ」
一人が呟く。たぶん、前の二人には聞こえなかっただろう。
誰も傷ついてないはずがない。自分はまだいい。花梨は血まで流したのだ。丸く収まったとは言い難かった。
ふと、バックミラーの氷室と目が合った。強面に笑みを浮かべていて気色悪い。
「……何だよ」
「いや、納得いってねえ顔だなと思ってよ」
「別に」
「あ、そ」
それだけ言うと、興味を失ったように氷室はバックミラー越しの視線を戻した。
何なんだよ、一人はそう思った。