春、1番
随分と、肌を刺す風が真冬の其れとは違う物になったなと思った。
あっと言う間に冬は通り過ぎようと、しているのかもしれない。
冬の枯れ木だったはずの木々には、うっすらと芽が膨らんでいて、自宅アパートの横を流れる川も、真冬のそれとは違いきらきらと輝いているようにも感じた。
そんな風景に目を向けながら歩く。
手にはコンビニの袋をぶら下げ、ふと顔を上げれば自分よりも大きな背中が見える。
自然と頬が緩み、その頬を引き締めるのに苦労するのは、何時もの事。
「空知?何考えてるの?」
ふと大きな背中が向きを換え、その男らしい端正な顔を笑顔で埋めた。
「・・・別に、何にも・・・」
空知は気付かれないように視線を外しコンビニの袋の中を見る。
「そう?・・・俺はまた、空知が・・・」
「俺が何?」
次の言葉を聞きたくなくて、少し硬い声で話を割ると端正な顔が歪んだ。
「いや・・・ごめん・・・」
素直に謝られて、何故だか居た堪れない気持ちになる。
1度きゅっと唇を噛み一呼吸置くと、ざわざわとあわだっていた胸の中が静かになった。
視線を上げ端正な顔を見る。その顔が少し困ったような、それでいて安心したような表情に変わるのが解り空知は気付かれないように安堵の息を吐いた。
話題を変えるなら今だ。
「翼、俺コレ食べたい」
無表情のまま伝える。
翼の表情が一瞬止まり、そうして空知の手にあるコンビニの袋を見た。
「え、あぁ、そうだね。・・・じゃあ・・・」
そう言うと視線を巡らせる。
川沿いの土手には数メートル間隔で、木で作られているベンチが設置されている。其れを見ながら翼は笑顔を湛えた。
「あのベンチで良い?」
優しい翼の言葉に小さく頷く事で答える。
数歩進み2人はベンチに腰を降ろした。互いの間に人1人座れる間隔を空け・・・。
翼が袋の中から取り出したのは、ここいら辺の地域にしかない、マイナーコンビニのデザートだ。
マイナーだからと言って侮ってはいけない。
どこから聞きつけたのかわからないが、他の地域からわざわざ買いに来る客が居る程なのだから。
ぱっと見はただのシュークリーム。
けれど外のシューはサクサクで、中に入っているのはカスタードではなく生クリームだ。その生クリームも甘過ぎず、甘い物が苦手な空知でも美味しく頂ける代物だった。
手渡されたシュークリームをサクリと頬張ると、少し頬が緩む。けれどそれは一瞬の事で直ぐ笑みは形を潜めた。
「そうだ、空知」
翼の声に顔を上げれば、やっぱり優しい笑顔が迎える。
「・・・何」
嬉しいはずなのに、言葉に感情を込められない自分に苛立ちを覚える空知だけれど、それさえも醸し出す事はできない。
「・・・俺、東京の大学受験する事にした」
ふい、と逸らされた視線を追う事ができない。ふんわりと暖かかった空間が一瞬にして凍り付いたのを感じた。
互いの間にある空間が、今の2人の距離を示している気がする。
空知は俯きぎゅっと目を閉じた。そうして1つ、小さく息を吐く。
声が震えないように細心の注意をし、口を開いた。
「そう。まぁ、頑張ってよ。俺には・・・」
“関係ない”と続けようとした言葉が止まる。
「お前も一緒に行かないか?」
凍えていた空間に、強い、暖かい風が吹いた。