楓-5
久しぶりに、熱が出た。
前は一日中ベッドの中から出ないような事もあったから、毎日が体調不良のようなもので。
それを克服できたあとも、ただぼんやりと室内で時間を過ごしていた。
それが最近では、マフラーと手袋と、上着を用意して、お昼にきっちりご飯を食べて。
そんな用意をしない事が新鮮で、いつの間にか公園へ赴くのが日常になってしまっていたんだなぁと不思議な感じがした。
「楓。りんご剥いたよ」
母親の声に、楓はベッドに寝転がったままゆっくりと瞼を上げた。
優しげな笑みで、母親がベッドの傍に腰を下ろす。
「りんごが無くて、買いに行ったの。それで実感したよ、体調崩すのちょっと久しぶりだったねえ」
「うん、そうだね」
「最近なんて、毎日外に出掛けるでしょう?」
「知ってたの?」
「わかるよ」
母は夕方までパートに出ているので、楓の外出時間にはマンションに誰も居ない事の方が多い。
それでも、炊事洗濯全てを担当している母には、楓がどういう行動を取っていたかなんてある程度はお見通しなのだろう。
「何処に行ってるの?」
「すぐそこの公園だよ」
「そっか」
リンゴを差し出してくる母が、少しだけ眉を垂らしたのがわかってしまって、楓はそっとリンゴを受け取るとそのまま少し俯いた。
「ごめんね」
14の時、楓は不登校になった。
それから、既に6年。
もう、成人の年を迎えている。
学ぶ機会はなくなっても、ずっと家にいても、それでも人は何かしら成長していくものらしい。
わかっている。
今寝ているベッド。食べているリンゴ。着ている服。
それらは魔法のようにどこからかわいて出るものではない。
お金と引き換えに、ここにある。
そのお金も勿論魔法のように空から降ってくるものではなくて。
自分ではない両親が、苦労と引き換えに手に入れているものなのだ。
「いいんだよ、楓」
「……」
「いいんだよ、無理しなくても。楓が元気でいてくれるだけで十分なんだから」
母の優しい笑みは崩れる事はない。
その瞳の奥に悲しげな色を見つけて、楓はもう一度ごめんね、と心の中で呟いた。
その悲しみは、楓を責めるものではない。
むしろ、自分を責めているのだろう。
家族は、いつでも楓の味方だった。
自分は弱い。自覚がある。
全ては自分の弱さが巻き起こしたものなのに、父も母も救ってやれなかった事を嘆いているようだった。
自己嫌悪に押しつぶされそうになっても、けして呆れない、怒らない。
それが最近では逆に、じりじりと楓の背中を追い立てる。
年を重ねるごとに焦燥は強くなっている。
だが、きっとそれは確かに背を押すもので、追い詰めるものではないと思う。
時間はかかるけど、弱い自分にはうってつけなのだろう。
楓はそこまで考えて、小さく自嘲した。
弱さを言い訳にし続けて、もう何年たったんだろう。
「とにかく今日は、ゆっくり休みなさい。外に出るのもだーめ」
「はい、わかった」
とりあえずその台詞には素直に返事をして、しゃく、とリンゴを齧る。
満足そうに立ち去っていく母の背中を見つめる。
身長があまり伸びなかったので、背丈が追いついたという事はけしてないはずなのに、なんだか少し小さくなってしまったような気がした。
自分のためではなく、家族のために。
もう少し、あとほんの数歩。…出来れば、ずっと。
自分の足でしっかり歩いていきたい。
一人で歩いていけるだろうか。
隣に誰かが居てくれたら、とても心強いのに。
そんな事を考える楓の頭に、公園の少年の姿が一瞬浮かんで、緩やかに掻き消えていった。