巧-3
男同士裸の付き合いはどう?
そんな武志の誘いで、夕食後巧と武志は二人で銭湯へと足を運ぶ事となった。
「やっぱり風呂は食った後にゆっくりと浸かるのがいいね」
脱ぎながら武志はひどく上機嫌だった。
巧もまた、少し自分の気分が弾んでいるのを自覚していた。
夕食に武志が作ったハンバーグは下手すれば母の作るものよりも美味かった(眞由美はあまり料理が得意ではない)。
アパートの体育座り状態で収まるのがやっとの小さな湯船の何倍、何十倍ありそうな大きな風呂も、たまに入るのであれば本当に気持ちがいいものだ。
「風呂に温まるのは食う前のが体にはいいって聞いたけど」
「へえ、そうなんだ。どうして?」
「理由は……忘れました、けど。…駄目なのは食った直後とか、だったかな…」
「物知りだね。理由もわかったらまた教えて」
一足先に裸になった武志は、腰にタオルを巻いて笑顔で言った。
彼に追いつこうと慌てた巧ははい、と返事をするのが精一杯で、笑みを返す余裕すらない。
ごくありきたりな銭湯には浴槽が二つと、洗い場が申し分程度。
昔ながらの古めかしい作りのためか、他には客が数人という程度だった。
「おいで、巧。背中流してあげるから」
突然呼び捨てで名前を呼ばれて、ギョッとした。
馴れ馴れしいな、と少し不快感が湧き上がったが、それを顔に出す訳にもいかない。
とりあえず素直に座り込むと、後ろに並ぶ状態で座り込んだ武志が丁寧にシャワーで巧の体を流し始めた。
「なんかいいよな。こういうの憧れてたんだ」
「……こういうの、って」
「父子の交流みたいな。うちの親父は……酒を飲んでは暴れるような奴だったからねえ……」
何気ない風で零された言葉は、シャワーや浴槽から聞こえる水の音にかき消されていった。
ほどよいシャワーの湯温に心地よくなっていた巧もまた、ぼんやりとただ彼の口から零れる言葉を聞いていた。
「お湯熱くないかい?」
「大丈夫です」
「案外筋肉ついてるんだねえ」
不意に二の腕を揉まれて、ついつい巧は小さく肩を竦めた。
肩越しに振り返ると、穏やかな笑みの武志もまた覗き込むように顔を近づけてくる。
思った以上に距離が縮まり、巧は再び前を向かざるを得なかった。
「何かスポーツやってたの?」
「……、…あ、はあ。小学校のとき、…学校のクラブで野球を…」
「だからか!今も野球部?」
「いや…今は……クラブも結構金かかるし」
俯きがちに答えると、ほうと感嘆に似た吐息を武志が漏らしたのが聞こえた。
「佳織ちゃんのためか。君は本当に素晴らしい子なんだね」
そんな風に手放しで褒められてしまうと、どう反応して良いのかわからない。
黙り込んでいると、腕を揉んでいた武志の手がつつ、と二の腕から肘、そして脇の方へと滑った。
(え?)
気のせいだろうか、と一瞬の逡巡をあざ笑うように、指先は背中を辿る。
触れるか触れないか、微妙な距離を保って、指先はうなじへと滑る。
(………)
ドクドクと脈が速くなるのを感じた。
何かを確かめるような指の動きが意図するものが、巧にはわからない。
「……ぁ、の、武志さん」
「しなやかで綺麗な体だね。俺みたいな汚い体にはなるなよ」
毛で覆われたへそから下の辺りの腹をバシンと自ら叩いて、ふざけたように武志が笑う。
態度におかしなところは無い。
しかしその指先は、奇妙な動きをし続ける。
「年の割りには、体毛が薄いんだね」
うなじから、首筋。耳の裏を少し擽って、鎖骨へと。
その手がいよいよ前側に回ろうとした時、堪らず巧は勢い良く立ち上がった。
「うわっ」
浴室用の安定した椅子がひっくり返るほどの勢いで、武志はいかにも驚いたようなぽかんとした表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
笑いながら問いかけられて、巧は拳を強く握り締めて目を逸らす。
「なんでもないです」
自分でも、その感覚がなんなのかよくわからないが。
屈辱とか、嫌悪とか、よくないものであるのは確かだ。
まるで物凄い辱めを受けたかのような気分だった。
銭湯である以上裸でいて当たり前なのに、急にひどく惨めな姿を晒しているような気がしていた。
「のぼせた?……ちょっと休んでるといいよ、僕はサウナとかにも色々行きたいし…ゆっくりしよう。まだまだ時間も大丈夫だしね」
のんびりと告げて、武志は何事も無かったように髪を洗い始めた。
こちらを見ていないのがわかって、思い切りその顔を睨みつける。
本当は、わざとらしく離れた場所に座りたかった。
しかし巧に出来る事といえば、倒れた椅子をもう一度起こしてそこに座り込む事しかなかった。
(気持ち悪い)
この嫌悪がどこから来るのか、明確にはわからない。
が、一刻も早く風呂を出て、服を着たいと思った。
心地よいはずの銭湯に心から辟易したのはこの時が初めてだった。