楓-2
最近、ようやく寒さというものを思い出してきた。
最初にこの公園へ飛び出したとき、楓はセーターにズボンといういでたちだった。
さすがに懲りて、上着を着て、手袋を履き、今日はマフラーも巻いてみた。
刻一刻と冬の気配が近づいている。
いつものようにブランコに座り込んでいたら、少年が現れた。
楓が外に出るきっかけとなった少年。
学ラン姿の少年。
初めて会ったあの日、少年と楓は一言二言言葉を交わした。
初対面の人間と言葉を交わすなど、楓自身も信じられなかったが、なぜかすらすらと言葉が出てきたのを覚えている。
未だに名前すら知らないが、ここで楓は毎日少年を待っている。
園内を見回す視線に気付いて思わず手を振ろうとして、引っ込めた。
(少し、様子が、いつもと違う?)
少年は息を切らして、何か苦悩するように額を押さえてから、ブランコの楓に気付いてゆっくりと歩み寄ってきた。
「もみじさん」
呼ばれる名前にいつも笑ってしまう。
初日に楓がきていたセーターが、紅葉の柄だったのだ。
以来少年は、勝手に楓の事を“もみじさん”と呼ぶ。
植物学としては、もみじとかえでに違いはないと聞いた事がある。
もみじさんは、まさに楓にうってつけのあだ名という訳だ。
「こんにちは、学ラン君」
意趣返しという訳ではないが、楓は少年を学ラン君と呼ぶ。
元々なんとも不思議な出会いで、名前も知らない不思議な間柄だから、これでいいのだ、と楓は思っている。
むしろ他の誰にも呼ばれないであろう互いの呼び名が秘密の合言葉のようで、少し面白い。
「なんか、元気、ないですか?」
隣のブランコに座り込んだ少年へと問いかけると、彼はキィ、と勢いよくブランコをこぎながら空を仰いだ。
「わかる?」
「うん、なんか、変だから」
「…………もみじさんは、親が好き?」
突然問われた台詞に、楓はぱちくりと目を丸くしてしまった。
きっと少年相手でなければ、正解を探して、黙り込んでしまっただろう。
しかし、少年相手だと、悩まず言葉が出た。
「好きです。私の味方、親なの。大好き、です」
少年は暫く黙ってブランコをこいでから、小さく少し幼い笑みを浮かべた。
「俺も好き。恥ずかしいから、内緒ね」
楓が感じているような空気を、少年も感じているようだった。
他の相手だと出てこない言葉が、互いの前だと不思議と素直にこぼれ出る。
「……母さんが、再婚するんだって。好きだから認めてあげるべき?好きだから認めたくなくてすげえ微妙な気持ち」
更に高く高くブランコをこぎ、少年はキィキィ軋む音にまぎれさせるかのように小さく呟いた。
それでも、必死に耳を欹てていた楓にはしっかりと届いて、うん、とブランコの鎖を握り締めて少しだけまねするようにブランコをこいだ。
「……うちのお母さんは、私を守ってくれます。そのお母さんは、風邪を引いたら、お父さんに頼る、よ」
考えながら返すと、キ、と少年のブランコが止まった。
すとん、と楓の方向へ横向きに座り込んだ少年が楓を見つめる。
「俺じゃ駄目なのかな」
「頼ってくれます、か?お母さん」
「…………どうだろ。敵わねえなーって思う事ばっかり。そういえば、母さんの弱気なところ見たことない」
呟いているうちに、少年なりに結論が出たらしい。
チェーッ、と舌打ちとともに、少年がブランコを飛び降りた。
「俺が大人になるまでは、力貸してもらおうかな」
「う、ん…学ラン君の、お父さんになる人でも、あります。……仲良くできたら、いいね」
目を泳がせながら、楓はぎこちなく告げる。
少年は、じっとそんな楓を見つめてからはにかむように笑った。
「もみじさんに言われたら、俺もそう思えるかもしれない。じゃあまたね!寒いから、風邪ひくなよ」
元気よく手を振って走り去っていく少年に、慌てて手を振り返して、楓は小さく笑った。
両親以外に風邪を心配してもらうのも随分と久しぶりだ。
「マスク、してるから、大丈夫です、よー…」
既に届かないであろう言葉を零した途端、自らの言葉にズキンとした。
マスクをしているのは風邪のせいでも風邪予防のためでもない。
ズキンズキンと鼻の横がうずく。
震えが急に全身を襲って、楓は慌てて立ち上がった。
(寒いから、だね、学ラン君)
逃げるように楓が走り去って、公園には誰も居なくなった。