楓-6
「ど、ど、う、した、の!」
ブランコから、落ちるかと思った。
いつもの児童公園、いつもの時間。
現れた少年は、口と目の端に絆創膏、手に湿布を貼っていた。
「大した事じゃないよ。大袈裟に手当てされちゃって」
少し不機嫌そうな口調で少年は呟き、いつものようにすとんと隣のブランコに座り込んだ。
楓は一人衝撃が収まらないまま、ぱくぱくと口を無意味に開閉させてひたすら少年を凝視した。
「だ、だ、だ、誰に、やられた、の」
「………」
問いかけに、むすりとしたまま少年は答えない。
「ちょっと……喧嘩、して」
問いとは違う答えがぼそりと返ったかと思うと、ようやく少年は少し笑った。
「……本当大したことじゃないんだよ。この手当ても、その相手がしてくれたやつだし」
「え、そう、なの、じゃ、じゃあ仲直り、した、の」
「仲直りって言うか……。なんか、泣きながら土下座された」
呟く口調はまだ不機嫌そうで、その言葉がジョークではないのがわかる。
どういういきさつなのかは知れずとも、とりあえず少年は変に落ち込んだりはしていないらしい。
どき、どき、とまだ痛いほどに胸が早鐘を打っていたが、とりあえず楓はほう、と大きく息を吐いた。
「もみじさんこそどうしたの。昨日俺待ってたのに」
楓が落ちついたのを見計らったように、少年がぼそりと拗ねたような、照れたような口調で呟いた。
あ、と楓は小さく声を零す。
今日会えたら一番に昨日も来ていたのか聞いて、もし来ていたなら謝ろうと思っていたのに。
衝撃で、すっかり頭から飛んでしまっていた。
「あ、え、えと、えと、ね…」
すう、はあ、と深呼吸して、更に呼吸と気持ちを整えてから、楓は改めて少年を見た。
「やっぱり、来てた、んだね…ごめんね、あ、の、私、熱……出しちゃって」
「え!」
告げた言葉に思った以上に驚かれて、ついぱちくりと目を瞬かせる。
「じゃあ駄目だろ!こんな寒い所に居たら!何してんの!?熱ぶり返すって」
少し咎めるように続けられた言葉を聞いて、あぁ、そういう事か、と納得した。
心配してくれているのがわかって、純粋な嬉しさがじわりと胸に広がる。
「あ、大丈夫、だよ。風邪とかじゃ……ないの」
「え、そう……なの?」
「うん、最近は、ね、治ってきてたんだけど、熱が出て、頭痛がして、それで……。……精神的なもの、……かなぁ」
「……」
楓の台詞に、何かは察したはずだと思う。
だが少年は、それに突っ込んだ質問を投げかけようとはしなかった。
その距離感が心地よい、のだが。
(聞いてくれたら、言うのに、なぁ)
そんな事を考える自分は卑怯だろうか、と楓は思う。
だが、少年にならなんでも言える、という自分なりの信頼の確認でもある。
「まぁとにかく、……無理とかなしね。季節の変わり目は風邪引きやすいのも確かだし」
「う、ん、ありがと。でもね、学ラン君に会わないと、それも落ち着かない、んだぁ」
ぽつりと返すと、不意にしーん、と沈黙が落ちた。
あれ?などと疑問符を浮かべて少年を見ると、湯気立ちそうなほどに真っ赤な顔をしていた。
「あ」
(また、やった?)
思い返してみると、なるほど、恥ずかしい台詞を吐いている。
一緒に茹蛸になりかけたその時、突然声がかけられた。
「楓!」
驚いて振り返ると、スーツ姿の男が立っていた。
「お…おとう、さん」
思わず楓はバッ、と立ち上がった。
少年は、ただぽかん、として男と楓を交互に眺めている。
「何してるんだ、昨日熱出したばかりなのに」
「きょ……今日は早い、ね」
「お土産買ってきたぞ、早く元気になるように。……もしかしてそんな心配いらなかったのかな」
ボソリ、と付け足された台詞は、曖昧にしか聞こえなかった。
え?と問い返そうとして、父の視線が少年に向いているのに気がつく。
瞬間、無性に恥ずかしくなった。
秘密の逢引を見られたような。
そんな思考に更に恥ずかしさに一人悶える、無限ループだ。
「あ……えっとー……。すみません、俺、話し相手してもらってただけだから」
怒られるとでも思ったのか少年は眉を垂らし立ち上がったが、それを制するかのように、サッ、と父の腕が伸びた。
「はい」
「え?」
「お土産、君にもおすそ分けだ」
父は、少年へとシュークリームを押し付けるように渡して、踵を返してマンションの方へと足を向ける。
「冷えないうちに家に入りなさい」
楓に優しく言葉をかけ、そのまま離れていく姿を、楓はどこか呆然と見送った。
「あ、有難うございます!」
慌てたように、少年が隣で礼を告げる。
父はもう一度振り返って柔らかく笑うと、マンションの中へと姿を消していった。
数秒の間のあと、少年が大きく大きく息を吐く音が聞こえた。
「びっくり、した……怒られるかと思った」
「う、ウン」
なぜ怒られるのか、そんな事は恐らくどちらにもわからないが、そんな気がしたのだ。
少年が小さく笑う。
「腹減ってたんだ、食いながら帰るね。ありがとー、もう一回親父さんにも礼言っといて。心配してたしもみじさんももう帰った方がいいよ」
「あ、う、うん、そだね」
とりあえずはシュークリームを嫌いではないのがわかり、楓はホッと息をついた。
「あれが父親だよなぁ……」
ぽつりと呟きが聞こえ、問い返そうかと目線を向けた時には、既に少年は背を向けている。
「あ、ま、またね」
「あ、うん。またね」
慌てて向けた挨拶に、どこか上の空の様子で言葉が返ってくる。
少し心配ではあったが、早速むぐ、とシュークリームを頬張っているのが動作でわかった。
そんな様子に小さく笑い、少し安心した心地で、楓はマンションへと足を向けた。