表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/14

第10話「喝采なき断頭台」

 断罪の日の朝は、皮肉なほどに晴れ渡っていた。空の青さが目に痛い。

 オフィーリアは兵士たちに連れられ牢獄を出た。向かう先は、見慣れた大聖堂。十九回目の最後の舞台だ。

 沿道には彼女を一目見ようと多くの民衆が集まっていた。彼らの顔には憎悪、好奇、そして憐憫、様々な感情が浮かんでいる。彼らもまた女神の筋書きに踊らされている、哀れな観客だった。


「悪女め!」「聖女様に謝れ!」


 罵声が石つぶてのように飛んでくる。だがオフィーリアの心はもはや少しも揺らがなかった。彼女は真っすぐ前を見据え、毅然とした足取りで歩き続けた。その姿は罪人というより、むしろ何かの儀式に臨む巫女のようでもあった。


 大聖堂の巨大な扉が開かれる。

 内部は貴族たちで埋め尽くされていた。その中央、祭壇の前に断頭台が鎮座しているのが見えた。冷たく鈍い光を放つその刃が、彼女の運命の終着点。

 壇上には国王と、そしてユリウス王子が座っている。彼の隣には純白のドレスを纏ったリリアンヌが、悲劇のヒロイン然とした表情で佇んでいた。

 オフィーリアはゆっくりと中央通路を進み、壇上でひざまずいた。


「オフィーリア・フォン・ヴァインベルク。そなたの聖女リリアンヌ様への毒殺未遂の罪は、断じて許されるものではない。何か、最後に言い残すことはあるか」


 ユリウスの声は震えていた。彼の完璧な仮面は、もうほとんど意味をなしていない。彼は目の前で起きていることがただの筋書きではない、何か取り返しのつかないことなのだと、本能的に感じ取っていた。


 リリアンヌはうつむき、か弱く肩を震わせている。だがオフィーリアには分かった。その瞳は歓喜に爛々と輝いている。自分の勝利とオフィーリアの破滅を、心の底から味わっているのだ。


 そしてオフィーリアの背後にはアレスが、処刑執行人として控えていた。彼は固く目を閉じ唇を噛み締めている。オフィーリアが最後に投げかけた「真実を見極めろ」という言葉が、彼の心を蝕んでいた。彼の剣は今、重い迷いを宿している。


 オフィーリアはゆっくりと顔を上げた。その表情は穏やかでさえあった。


「言い残すこと、ですか。……ええ、一つだけ」


 彼女は聖堂内にいる全ての人々を見渡した。そしてはっきりと、澄んだ声で告げた。


「皆様。この世界は、偽りです」


 その一言に聖堂は水を打ったように静まり返った。


「我々は皆、誰かの描いた物語の上で踊る哀れな人形に過ぎない。王子も、聖女も、騎士も、そしてここにいる全ての者たちが。この悲劇も全ては、我々を観て楽しむ残酷な観客のための余興なのです」


「な……何を、言っている……!」


 ユリウスが動揺を隠せずに叫ぶ。貴族たちもざわめき始める。


「ですがその物語も今日で終わり。私はこの命をもって、このくだらない舞台の幕を下ろしましょう」


 オフィーリアは満足げに微笑んだ。最後の種は蒔かれた。人々の心に「疑い」という、小さな、しかし強力な種が。

 彼女は自ら立ち上がると処刑台の方へと歩み寄り、何の抵抗もなく断頭台に首を差し出した。


「さあ、アレス。執行なさい。それがあなたの『役割』なのでしょう?」


 その言葉はアレスにとって最後の引き金となった。彼の目に苦悩と、そして初めての明確な反逆の色が浮かんだ。


「……断る」


 アレスは低い声でつぶやいた。


「私はもはや誰かの操り人形ではない。私は私の意志で、真実を……」


 だが彼の言葉は最後まで続かなかった。彼の背後から近衛騎士団の別の騎士がアレスを殴りつけ、気絶させたのだ。王の差し金だろう。筋書きにない行動は許されない。

 代わりの執行人が無感情に剣を構えた。


「さらばだ、悪役令嬢」


 その声は冷たく無機質だった。

 オフィーリアは静かに目を閉じた。

 これでいい。

 彼女は意識を研ぎ澄ませた。レオンの合図を待つ。

 執行人の剣が高く振り上げられる。聖堂のステンドグラスの光を反射し、きらりと輝いた。

 刃が風を切り、振り下ろされる。

 死がすぐそこまで迫っている。


 その、瞬間。

 ぴたりと空気が止まった。

 聖堂内を満たしていたかすかな空気の流れ、人々の息遣い、ランプの炎の揺らめき、その全てが完全に静止した。

 風が止まった。


『今だ!』


 レオンの声が頭の中に響き渡る。

 オフィーリアはありったけの精神力で扉をイメージした。処刑される自分の魂がこの世界から解き放たれ、その先にある未知の空間へと続く扉を。

 目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。まるで水面のように波打ち、黒い亀裂が走る。

 それが聖域への扉。


「行くわよ、レオン!」


 オフィーリアが叫ぶと同時に、祭壇脇の聖歌隊席の影から、一人の男が飛び出した。聖歌隊のローブをかなぐり捨て、隠し持っていた短杖を構えるレオンだ。彼はあらかじめ変装し、この瞬間のために至近距離に潜んでいたのだ。

 彼は躊躇なく祭壇へと駆け上がり、オフィーリアの手を強く掴んだ。


「ええ、行きましょう。我々の、新しい物語へ!」


 二人はためらうことなく空間の亀裂へと、その身を投じた。

 その直後、停止していた時間が再び動き出す。

 振り下ろされた刃は、しかし斬るべき対象を失い、空しく断頭台の木材に突き刺さった。

 オフィーリア・フォン・ヴァインベルクの姿は忽然と消えていた。

 残されたのは、静まり返る聖堂と、何が起きたのか理解できずに立ち尽くす物語の登場人物たちだけ。


 喝采なき断頭台の上で、悪役令嬢はその役割を終えた。

 いや、自らの意志で放棄したのだ。

 世界の終わりと始まりの扉を開くために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ