『震える悪魔』③
サヴォタの領主――カール・ダランベールとの交渉は、予定通りまずまずの進みで、早ければ来年の冬辺りにルートを確保出来るくらいになるだろうと思えた。そして、予想通り晩餐に呼ばれている。
晩餐に呼ばれているということは、上々であることの証明だ。
ダランベール邸を後にした、カーサス達は改めてサヴォタの町を眺め見た。
ここは、ダファーラよりも商人の町だ。
当たり前のように並んであるエルバーグリークのものに、当たり前のように並ぶセファゾドールのもの。言葉もごちゃごちゃと、並んでいる。
国がどうこうよりも、客層に合わせた言葉。
もちろん、セファゾドールのものが多い。
こちらの領主が、国王の親戚筋であるのにも頷けた。元敵地、政治的にも崩されてはいけない重要な場所なのだろう。
ただ、カールはアレキサンドルの従兄弟にあたるとはいうが、その印象はアレキサンドルにはあまり似ていない、というものだった。緑色の瞳は同じ、金髪も同じ。年恰好はアレキサンドルより少し下くらいか。
それなのに、あの不退転とした風格と、思わず覗き込み捕らえられてしまうあの深淵のような威厳は、まったく感じられなかった。
穏やかな雰囲気。そして、好奇心旺盛。
カールにはそれが似合った。
だからこそ、若いカーサスでも受け入れられた、とも言えそうな。
これからは、どのように交渉を進めればよいのか、そんなことを考えていると、サミュエルの無邪気な交渉の感想が聞こえてきた。
「クエルクス様のその着込み方、やっぱり話題にされましたね」
「あ、あぁ。そうだな。これはそんなに厚着なのか?」
自分の中ではちょうど良いくらいの着込みとなっていたカーサスは、ちょっとした疑問としてサミュエルに尋ね返した。
「まぁ、ご婦人ならそのくらい着込まれることもあるかと。女の人って寒がりが多いですからね」
サミュエルの口ぶりからすれば、女性でもそこまで着込まないというような意味合いが含まれていそうだった。そして、そのまま自分の家族の誰それが寒がりで……と饒舌に話し始めた声を耳に流していると、町の者の声が、カーサスの耳を掴んだ。
「ねぇ、あそこにいた孤児、とうとう捕まったんだね」
「この冬は越せないと思ってたけど、先に死神に喰われるんだわ、可愛そうに」
「あぁ、あの黒い男の話ね」
声の方を見れば、燻製を売っている女将とその客のご婦人方のようだ。
「クエルクス様? 燻製にご興味が?」
「いや……」
サミュエルの問いかけに、カーサスはご婦人方から目を離さずに答えた。死神が子どもを喰うとは、いったいどういう意味なのだろうか。
そして、サミュエルの顔に視線をやると、そこには本当に邪気のない表情浮かべて、首を傾げる彼がいた。
サミュエルはダファーラにずっと住んでいる文官だ。しかも、前領主の時代からここで勤める者。セファゾドールにあった黒い噂なども知っているかもしれない。
「サミュエル、この場所には、子を喰らう死神がいるのか? サヴォタ領主はご存じなのか?」
おそらくカーサスも、深刻以上に疑念が混じった表情をしていたのだろう。サミュエルが、「あぁ、黒馬の男のことですね」と思い当たったように、続けた。
「公にはなっていませんが、クエルクス様は『死神』の異名を持つアレキサンドル陛下の末姫さまをご存じですか?」
アレキサンドル王の末姫、ジャクリーヌ・ダランベール・イルナ・エルバーグリーク。桃色の金髪と緑の瞳を持つ、奇跡の子と呼ばれていた姫御子のことだ。
幼い頃にご乱心となり、自らその奇跡の髪を切り落としたという姫君。その後、一歩も部屋から出てこず、誰にも姿を見せなくなった。
中には、存在すらしないという者までいるくらいの人物だった。
しかし、この噂は、王のそばで働いていなかったカーサスの耳にも届くほど有名な話だ。
そして、次に彼女の噂を聞くようになったのは、この聖戦。
その先鋒に、同じく桃色の金髪と緑の瞳を持つ『死神』と呼ばれる女騎士がいたのだ。
死神の戦い方は、騎士の矜持など無視するような、勝つためには手段を選ばない、そんな戦い方だったという。
そう、まるで血に飢えた亡者のように、戦いの中に身を投じていたそうだ。
だが、ジャクリーヌとその死神が同一だという確証はなく、聖戦のあと、その死神も姿を消した。
もしかしたら、戦においての生死を選別するとされている戦乙女だったのではないか、そんな噂すらある。
それを、サミュエルはいとも簡単につなげてしまった。
「もし気になられるのであれば、サヴォタ領主様にお尋ねになられてはいかがです? 私の口からはこれ以上、詳細を語れませんし、ここの領主だけが王族筋である理由ですから」
サヴォタの領地を治めている者は、王族筋。
それは、ここが元敵地だからだと思っていた。
しかし、その実は全く違っていたのだ。
そして、夕刻に行われたカール・ダランベール邸での晩餐で、カールがいとも簡単にカーサスに伝えた。
「あぁ、それはジャクリーヌのことだろうな」
と。
「ジャクリーヌ様、ですか……?」
「アレクの愛娘はとんだアキレスだったみたいだからな、いい気味だ」
その言葉に驚くカーサスに、カールはさらに驚く提案を事もなげにしてきたのだ。自分の親戚が民に『死神』呼ばわりされているというのに、彼の表情はどこかおかしそうであった。
「カーサス卿にご興味がありましたら、ジャクリーヌに招待させますよ。すぐ近くですから、二・三日で返事が来るでしょう」
と、親戚のおじさんのような微笑みをカーサスにくれた。
そして、その気安い提案は決して社交辞令ではなかったようだ。
サミュエルと町歩きをしていた二日後、ジャクリーヌ様からの返事が届いたとの使者が、ふたりの止まる宿にやってきたのだ。
『いつでもお越しください。歓迎いたします』
と、確かにジャクリーヌの押印があった。
※ ※ ※
カーサスはもう少しサヴォタの領主と話を詰めてから帰ってくるらしいと、サミュエルから聞いたルシアは、「そうですか」という感想だけをこぼし、サミュエルに明日からの務めのことを尋ねた。
「明日はお休みをいただいておりますが、明後日からはまたこちらで今回の視察についての報告をまとめようと思っています」
そして、サミュエルがぼんやりと彼の言葉を聞いていたルシアに、「大丈夫ですよ。ご無事に戻られますから」と告げた。
そんなにも沈んだ表情を浮かべていたのだろうか……。
ルシアは自分の表情を隠すようにして、頬に両手を当ててしまい、すぐさまその手を下ろした。もちろん、忘れていたわけではないが、サミュエルがいることに気付いたのだ。
「失礼いたしました」
ルシアは慌てて頭を下げていた。カーサスの大切で有能な部下である。
話の途中で私事を挟んでしまうなんて、……。
それも、あちらの気候について、寒くなっていないだろうかなど、帰ってきたサミュエルには関係のないことなのに、だ。
だから、幼い者のようにその表情を隠すように顔を自分の手で包んでしまった。
「いいえ、奥さま」
不機嫌になったかもしれないと思っていたサミュエルが、ルシアの思っていたものとは違う表情を浮かべていた。まるで、穏やか。
冬の朝に差し込んでくる太陽の光のような、そんな風な。
安心、という気持ちを彷彿させるような。
そう、幼い頃に皆で過ごした王城の庭にあったような、穏やかな安心。
「安心しました」
「えっ……それは……どういう意味でしょうか?」
まさか心を読んだとは思えないサミュエルの言葉の意味が分からなかったルシアは、そのまま素直に聞き返していた。
「言葉通りです。また明後日参りますので」
しかし、彼はルシアの問いへの答えは返さず、そのまま帰って行った。




