プロローグ『戯れ』
エルバーグリークの城の中にはエメラルドの石がたくさん埋められている。それは王の瞳と同じ色であり、エルバーグリークで採れる貴重な石でもあった。
そして、城の寝室の豪華な天蓋にもエルバーグリークの文様『鷲』がそのエメラルドを両足で掴む形の彫り物が施されてあった。
王の胸に頭を預けていたアリーナ妃は、今や時の王であるアレキサンドルの緑の瞳をただうっとりと眺めあげると、興味を失くしたかように、ベッドから下りて鏡台へと向かった。
「あなたが甘いから、あの子があんなに弱い子になったんじゃないの?」
あの子とは、末姫のジャクリーヌのことだ。
ジャクリーヌは王家の象徴をすべて受け継いだ美しい娘だった。しかし、心が弱く、あろうことか敵国の王子を助けるために、王族除籍まで願ったのだ。
「強かさはお前に似れば良かったな」
アレキサンドルは、大きく息を吸った後、天蓋の鷲を眺めた。
今回の戦争は、あくまで聖戦でなければならなかった。どちらかの民が確執を持つわけにもいかない。だから、民を苦しめる悪政王に立ち向かわせる戦の先鋒をジャクリーヌに任せたのだ。
ジャクリーヌの持つ桃色の金髪とエメラルドの瞳は、エルバーグリークの始祖と同じで神聖そのもの。
しばらく天蓋の鷲を眺めていたアレキサンドルは、その自身の沈黙と思考を嘲るように鼻で笑っていた。
だが、始祖はすぐ人に手を差し伸べる癖があったと言う。
そう、虎視眈々と生きていかねばならぬ今の時代には、似合わない。
だから、敵国セファゾドールの王子エヴァンに、ジャクリーヌが『人』を見た理由も分からなくはなかった。ジャクリーヌは優しすぎたのだ。
そう思えば、除籍も娘のためだったのだろう、とアレキサンドルは、目を閉じた。
捕虜としてここにいた頃のエヴァンの顔が思い浮ばれた。
――セファゾドール第三王子エヴァン・ファゾリナ。
意外と頑固そうだったな。
それは、あの男の妹ルシアにも通じるのだろう。
「ねぇ、あなた。なにを考えているの? 気持ち悪い」
既に衣を身に纏わせ、髪まで結い上げたアリーナがアレキサンドルを呆れたように見ていた。
「いや、あのセファゾドールの娘のことをな」
露骨に嫌な顔をするアリーナに、アレキサンドルは密やかな笑みを浮かべる。
「どこか適当なところへ嫁がせれば良いのよ。どうせ、私たちのことを恨んでるんでしょうし」
いや、あの娘は使える駒として生かし、手元に残したのだ。
ルシアという娘は、籠城していた城の地下で自害をしようとしていた。取り押さえられてからは、弟二人を最後まで庇おうと暴れたそうだ。馬車の中でも、片時も離れず彼らを抱き寄せ、同乗する兵をずっと、睨み付けていたらしい。
あの王の娘とは思えないほどに、気が強い娘なのだろう。
壊れにくいものは、使えばいい。
「あら、企みごと?」
アリーナは王の沈黙に、無邪気な子どものように悪い笑みを向けた。まったく楽しそうだ。ほんとうに、どうしてこのふたりから、ジャクリーヌのようなものが生まれてきたのか、未だに理解できない。
「聖戦をセファゾドールの民に知らしめるための駒の一つとして使えないかとな。向こうの花一輪だった娘だ。民からも可愛がられていただろう」
「じゃあ、あっちの、ほら、聖戦の英雄に仕立て上げたあの青年は?」
「いや、」
それは、危険だ。何かが漏れて、あの男がこちらに戦意を向けては、この戦争が『聖戦』でなくなる可能性がある。
あれはあれで熱血漢を貫かせておけばよい。素直な犬をみすみす殺してしまうのは、惜しいだろう。
アレキサンドルは、両手を頭の下に入れ、天蓋を見つめる。
こちらに置くのは、冷血な忠犬が良い。
「ひとり心当たりがある」
クエルクス家がちょうどいいだろう。
憎しみ合うふたりが互いを赦し、愛し合うようになる。
こんな美談、民も放ってはおくまい。
「アリーナ、あの娘を無事に嫁がせるまで、よくしてやってくれよ」
「わかっていますわ、陛下。ご心配なく。わたくし、悪魔じゃありませんことよ」
身支度をすっかり整えたアリーナは、王妃として申し分のない女だ。政策のためなら、嘘も平気で演じてくれるし、興味さえあれば万人を愛せる心すら持っている。
さて、俺は民が喜びそうな『正義の美談』でも考えようか。
そんなことを思いながらもアレキサンドルの心は、籠の外にやってしまった『聖鳥』を、懐かしく思うのだ。
平和の象徴としてふさわしい心を持つ、そんな娘――ジャクリーヌが心穏やかに自由に生きることを願って、天蓋の鷲を鼻で笑ってやった。
本日の21:00にもう1話投稿します




