全滅
『海猫の火』を魔物たちの手から取り返した僕たちは、メモカ地区の灯台がある港町ポートタウニーへと向かった。
塔を離れてから町に辿り着くまでの道中、潮の香りは次第に濃くなり、遠くから波の砕ける音が耳に届くようになっていた。長い旅路の末、ようやく辿り着いた港町。その門をくぐった瞬間、僕たちは思いがけない光景に包まれる。
歓声だった。
人々が雪崩のように押し寄せ、誰かが叫び、誰かが泣き、誰かが地に膝をついて祈っていた。情報はすでに町中に広まっていたのだろう。『海猫の火』が戻ったことを、何十年も待ち続けていた人々の想いが、その場に溢れていた。
中には泣き崩れる老人もいた。震える手で僕の腕を掴み、何度も何度も礼を言う。町長からは感謝状を贈られ、是非とも僕たちの像を町の広場に建てたいとまで言われた。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「自分たちが海を渡る為に『海猫の火』を取ってきたのに……なんだかお礼を言われるのが悪い気がしますね」
思わず漏れた本音だった。
「勇者アルティは潔癖症ですね。我々が大陸を移動する目的は人々の為なんですから間違ってはいませんよ」
「ははっ! そうだな! 今度はそんな事を気にしなくてもいいように魔王を倒してこの港町に凱旋して来ようぜ!」
その言葉に、周囲の人々がさらに歓声を上げた。誰もが未来を信じて疑っていない。僕自身も、その輪の中にいる間は同じ気持ちだった。
塔から戻ったその足で、僕たちは町の南にある灯台へ向かう。『海猫の火』は本来この町が管理していた聖なる炎。今、この町でそれを安置できるのは、灯台しかなかった。
濃霧のせいで船が出せなくなっていた港にとって、灯台の火は生命線だ。『海猫の火』は、崇められる神聖な炎から、海を照らす現実の守り火へと姿を変え、人々の生活の中に根付いていくのだろう。
――――
「さぁ、これでいいだろう」
ハードロックさんが、灯台最上階の強い海風の中で『海猫の火』を設置する。炎は風に揺らぐことなく、安定して燃え続けていた。
「上手い具合に台座がピタッと嵌りましたね」
「あぁ、そういえばそうだな。もしかしたらここの地区の職人さんたちは台座の作りに一定の基準があるのかもな」
灯台の縁から海を見下ろす。白く霞んだ海の向こうには、まだ見えない次なる目的地――ミルウォーキー大陸がある。
「さぁ、そろそろ戻ろう。明日も早い」
「そうだな! しかし上手い飯にありつけるチャンスだったのに惜しいのぉ……」
「仕方がないでしょう。ミルウォーキー大陸でも魔物が猛威を振るっているという噂も耳にしていますし急がないと」
本来なら今夜は祝福祭が行われる予定だった。それを断った理由は、海の状況と、そして不穏な噂。胸の奥に小さな不安が芽生えるが、僕はそれを振り払う。
「そうですね。でも当分このブラッドレスリー大陸には戻って来れないでしょうから宿を取ったら夜は少し贅沢をして大陸名物、鱧の野菜あんかけを頼むことにしましょう!」
「おっ! いいな! 賛成だ。あとは飯に合う酒だな!」
「それならメモカ地区の原水を使った果実酒が美味らしいぞ」
「私と勇者アルティは未成年なので水でお願いします」
「お前は本当に詰まらん奴だな! ベルナオラシオン!」
「貴方の顔ほど面白い人は中々いませんよエーデルハイトさん」
「なにぃ!」
笑い声が夜の宿に響く。
この時間が、永遠に続くような錯覚すら覚えた。
…………そしてそれが、僕たちの最後の晩餐となった…………
――――
翌朝。
メモカ地区南東の沖合。
空は快晴で、波も穏やかだった。霧は出ているものの、灯台の火がはっきりと道を示している。船は順調に進んでいた。
「しかし妙だったな」
「なにがだ? ハードロック」
「いや、海猫の塔の帰り道の事だ。結局塔を下る時は一匹として魔物に遭遇しなかったなと思ってな」
「ああ。そう言えばそうだったな。まあ単純にわし等に怖気づいたんだろ」
「そうだといいんだがな……」
胸の奥で、嫌な感覚が膨らむ。
あれは本当に偶然だったのか。
次の瞬間、霧が急激に濃くなる。
ドォォォン!!
「うわっ!?」
衝撃。船が大きく傾き甲板にいた僕たちも船の端まで転がる。
「どうしたぁ!!」
「せ、船長駄目です! 岩礁に衝突して船底に穴が!」
「な、何をしとるかぁ!!」
「す、すいません!! しかし急に灯台の火が見えなくなり今いる方向が分からなくなりまして……」
「言い訳はいい! とにかく小舟を出せまだ陸からそこまで離れてはいない! 勇者様たちを先導してポートタウニーに戻……ぐ、ぐわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「せんちょ……う、うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
船内に叫び声がこだまする。霧に覆われ何も見えない。
「だ、大丈夫ですか!? 船長さん達!」
大声をあげて呼びかけるが返事はない。代わりに聞こえて来た声は大量の魔物と思われる雄叫びの数々だった。
「な、何が起こっているんだ!?」
「アルティ逃げろ!! 魔物だ! 魔物の群れが襲ってきてるぞ! 畜生! こんな時に!!」
「勇者! これは罠だ! 信じられんが魔物が知略を使ってきている! ここは逃げるしかない! こう視界と足場が悪くては……ぐはっ!」
「ハードロックさん!? 大丈夫ですか!?」
「おのれぇ! 魔物め!!」
ザシュッ!!
右斜め前方でハードロックさんの物と思われる斬撃の光がキラリと光る。
ボトッ……
「ぬわぁぁぁぁぁぁ!!!! ハードロックそれはわしの右腕じゃあぁぁぁぁ!!」
「な、なんと!? すまんエーデルハイト」
「勇者アルティ! 我々に構わず早く小舟で逃げろ! 見えないが恐らく魔物の数は十や二十ではない! 完全にタイミングを見て襲い掛かってきている! 私は出港からずっと位置確認の為に見ていたのだが間違いない、『海猫の火』は確かに消えた。消える事がない火のはずなのに、だ! この状況で勝ち目は……ぐっ!」
「ベルナオラシオンさん!?」
「王宮第四騎士団長を舐めるなぁ!! 喰らえ王宮の舞!!」
ボトッ……
「ぬわぁぁぁぁぁぁ!!!! ベルナオラシオンそれはわしの左脚じゃあぁぁぁぁ!!」
「……申し訳ない」
「むぐぉぉぉぉ!! いいから逃げろアルティ!! お前だけでも生き残れぇ!!」
「そ、そんな! 嫌ですエーデルハイトさん!!」
「頼む……アルティ。ここはわし等が命に代えても食い止める、だからいつか仇を取ってくれぇ!」
「そうだ、勇者よ。俺の教えた剣術、お前まで死んでしまっては誰が後世に伝えるというのだ」
「ハードロックさん……」
「私は死ぬ気はありませんけどね。ただ王宮剣術大会での借りはここで返しておくことにしますよ。さぁ! 早く行きなさい!」
「ベルナオラシオンさん……」
「くそぉぉぉぉ!! 皆死なないで下さい!!」
皆を尻目に微かに視界に映る小舟に飛び込もうとしたその時……
『駄目駄目。行かせないよ。勇者さん』
どこからともなく冷たい声が聞こえる。
そして次の瞬間光が差し込み辺りの視界がパッと開ける。その光景は目を覆いたくなるような物であった。
船上には百体をゆうに超える海の魔物の数々。
血だらけのエーデルハイトさん。
這いつくばるハードロックさん。
傷だらけで剣を舞うベルナオラシオンさん。
そして光の正体は……すぐ近くに寄ってきた巨大な船の船首から煌々と燃える火を携えてこちらを見下すネズミ……男?
「これ、元々君たちの物らしいから返すよ。でもやはり凄いな本物の『海猫の火』は。船内に隠して部屋を黒い布で覆ってようやく光が遮断できるくらいだから大した火だよ」
「ほん……もの?」
ニヤリと不気味に笑うネズミ男。
「そんな怖い顔するなよ。こっちも船の錨を打って霧の中待っていたんだから大変だったんだぞ? ほら返すからさ」
ネズミ男がパチンと指を鳴らすと。ゴリラの魔物が三匹掛かりでこちらの船に『火』を放り投げて来た。一瞬にして船が炎に包まれる。
「う、うわぁぁぁぁ!!!!」
「ま、まずいこのままでは船の沈没を待つまでもなく焼死してしまうぞ!」
ネズミ男はこちらを見ながら不敵に笑う。
「ま、頑張って消してくれ。消えないと思うけど」
「ぬわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
火元の一番近くにいたエーデルハイトさんが炎に包まれ丸焼けになる。心配する間もなく火は船上全体を駆け巡る。ハードロックさんもベルナオラシオンさんも次々と炎に焼かれていく。
そしてそれを見届けるとネズミ男を乗せた船は向きを変え炎に包まれる僕達からどんどん遠ざかって行った。
「くそ! くそ!! くそぉぉぉぉぉぉ!!!!」
業火に焼かれ薄れ行く意識の中、昨日食べた鱧の味が鮮明に思い出される。
(畜生……もっと……鱧……食べとけば良かったな……)
その思いだけを残して、意識は闇に沈んだ。
――――
「『海猫の火』が無くなってしまったらこちらの船も濃霧で危険になりますがよろしいので?」
「ああ。いいんだよサイ君。海の上でも火が消えないのは実験済みだからね。炎上する船を目印に堂々と凱旋しようじゃないか」
そして勇者を乗せた希望の船は、消えない炎に焼かれながら海の藻屑と消えるのだった。
その日の夕方。
港町ポートタウニーに、悲報の号外が流れる。
勇者アルティ一行全滅……と。




