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鬼ガシマ  作者: Toru_Yuno
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掟の内側

薄い絹の(とばり)の向こうに、影が揺れていた。

 淡い灯りを受けて浮かぶその輪郭は、人というより――霧に溶けた幻想に近い。


「以上が、現在の状況です」


 杉山善徳(すぎやまぜんとく)が、低く報告を終える。

 隣では、青柳妖狐(あおやなぎようこ)が、興味深そうに扇子を揺らしていた。


「ふふ……血を分けられて生き延びた少年、ですか。

 やっぱり姫さん、見る目はあるわ」


 帳の向こうで、ユキヨはしばし沈黙した。


「……」


 やがて、静かな声が落ちる。


「月兎には……会えぬと伝えてくれ」


 それだけだった。

 理由も、説明もない。


 善徳は一瞬だけ視線を伏せ、深く頷く。


「承知しました」


 妖狐は、何か言いたげに唇を歪めたが、それ以上は踏み込まない。


「じゃあ、そう伝えるわ」


 二人は踵を返し、静かに部屋を出ていった。


 扉が閉まる。

 残されたのは、帳の内側と、二人の付き人だけ。


「……はぁぁぁぁ……」


 次の瞬間だった。


「しっかりと、会ってみたかった……」


 先ほどまでの威厳は、跡形もなく消えていた。

 絹の奥から聞こえてくる声は、まるで拗ねた少女のようだった。


「おひいさま……」


 年配の女性が、呆れたようにため息をつく。

 文子(ふみこ)――白髪を結い、背を少し丸めた穏やかな老女だ。


「姫様……」


 もう一人、鋭い視線を向けたのは、若い女。

 千代(ちよ)は、腰に忍ばせた刃を感じさせる立ち姿のまま、苦言を呈する。


「先ほどまでとは、ずいぶん違います」


「うるさいのう……」


 帳の向こうで、ユキヨがむくれたように声を上げる。


 文子は、ふっと微笑んだ。


「最近は特に、少女の頃に戻っている気がしますよ。

 ……四十年前に初めてお仕えした時から、姿が変わらぬせいでしょうかねぇ」


「むっ!」


 すぐに反論が飛ぶ。


「そんなことはない!

 わらわは何百年も生きてきた、れっきとした淑女じゃぞ!」


「でしたら」


 千代が、容赦なく続ける。


「せめて私たちの前では、その淑女らしさを保ってください」


「……手厳しいのう」


 だが、声の端には笑いが滲んでいた。


 少しの沈黙の後、千代が真剣な表情で口を開く。


「姫様。

 なぜ、会わないとおっしゃったのですか」


「理由を説明することも、重要だと思います。

 ……なぜ、あの無残な姿で横たわっていた少年が、傷一つない状態でいるのかも」


 帳の向こうで、ユキヨは静かに息を整えた。


「それは、わらわも同じじゃ」


 声は落ち着いている。


「だがの。この街に生きる者たちは、わらわが定めた掟を守っておる。

 その掟があるからこそ、鬼も人も、ハーフも……

 余計な恐れなく、日々を生きられる」


 ほんのりと、優しい気配が満ちる。


「決めた掟は、誰であろうと守らねばならぬ。

 血を分けた相手であっても、例外は作れぬのじゃ」


 文子が、静かに頷く。


「……それが、この街の在り方ですものね」


「それに」


 ユキヨは、少しだけ声を柔らげた。


「どうするかを決めるのは、あの子自身じゃ。

 じゃが……近いうちに、また必ず会える」


 不思議と、確信めいた響き。


「そう思っておるから、心配はいらぬ」


 部屋に、穏やかな沈黙が落ちた。


 霧の街は、今日も静かだ。

 その静けさは、拒絶ではない。


 選び、待つための――

 深い、余白だった。

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