第一章 最終話 ――名を持たぬ種、芽吹く闇――
地下深く。
外界の音も光も届かぬ大広間に、静寂が満ちていた。
黒い石で造られた玉座に腰掛け、
男はゆっくりと指を組む。
「今回は……私の未熟さが招いた結果でもありました」
淡々とした声。
だが、その奥にはわずかな愉悦が滲んでいる。
「しかし、収穫も多かった。
そう考えれば、悪くはありません」
視線を伏せ、ふっと息を吐く。
「それにしても……月兎」
その名を口にした瞬間、
声の調子がほんのわずかに変わった。
「君に、あれほどの力が眠っているとは思いませんでしたよ。
知っていたなら……もう少し、使い道もあったでしょうに」
残念そうでありながら、どこか楽しげだ。
「ですが、今さらどうこうできる段階でもありませんね」
その背後に立つのは、
大柄な身体を持つ女――スズバ。
黒と黄色が混じる髪は荒々しく、
目元を覆う黒い模様が、その感情を覆い隠している。
「……失礼ながら」
低く、落ち着いた声で問いかける。
「あの少年は、何者なのでしょうか」
この場にいるのは、二人だけ。
「あなた様の教え子であったことは存じています。
ですが……あれほどの存在は、偶然とは思えません」
しばしの沈黙。
男は、ゆっくりと口を開いた。
「彼は――」
そして、はっきりと言う。
「何者なのか、私にもわかりません」
その言葉に、
スズバの気配が、ほんのわずかに揺れた。
男は、遠い過去を見るように語り始める。
「私が彼を見つけたのは……いつでしたかね」
記憶を辿るように、言葉を選ぶ。
「出会った時、彼は表情もなく、
ただ真っ黒な目で、そこに佇んでいました」
生きているのか、死んでいるのか。
判断がつかないほどの“空白”。
「どうしても気になってしまってね。
家に連れ帰り、色々と質問をしました」
だが――
「彼は何も知らなかった。
本当に、生まれ落ちたばかりの存在のように」
名前も、目的も、感情もない。
「数日様子を見ましたが、何の進展もありませんでした」
スズバは、黙って耳を傾けている。
「……正直、つまらなかった」
男は、あっさりとそう言った。
「だから、興味本位で試してみたのです」
声に、わずかな熱が宿る。
「もし、この者が私とは全く違う考えを持つ存在になったなら。
正義とは何か、善意とは何か――
それを抱く者が、どんな視点で世界を見るのか」
「それが理解できるのではないか、と」
そして――
「私は彼に、善意で動くこと。
正しいとされる行いを選ぶことを、言葉で教え続けました」
ある日。
「二人で歩いていると、傷ついた動物が倒れていたのです」
「私は、そのまま通り過ぎようとしました」
だが――
「彼は、その動物を抱えました」
腕の中で、弱りきった命を見つめ、
ただ、じっと。
「……あの時、少しだけ興味が湧いたのです」
そこから先は、実に簡単だった。
「私は私の都合のいいように、
彼に様々な価値観を刷り込んでいきました」
善と悪。
守るべきもの。
戦う理由。
「そして最終的に――
彼は、私の思う通りの“人間”に育った」
スズバが、静かに問う。
「それで……
正義とは、善意とは何か。理解できたのでしょうか」
男は、苦笑した。
「いいえ。まったく」
即答だった。
「私には、その感情が欠損しているのでしょう」
理解できないからこそ、
知りたい。
「ですが――」
男は、ゆっくりと目を細める。
「私が育てたその感情が、
別の誰かによって書き換えられる可能性もある」
「私の真の敵になるのか。
それとも、再び私の元へ戻ってくるのか」
未来は、まだ決まっていない。
「どちらにせよ……」
その唇が、わずかに弧を描く。
「私の楽しみの一つになってくれるなら、
育てた甲斐はあったというものです」
スズバは、わずかに首を垂れた。
「……東雲アイゼン様」
その名が、静寂に落ちる。
国の裏で密売の経路を築き、
政治と血を操り、
“正義”を育てては観察する男。
東雲アイゼンは、玉座に座ったまま、微笑んだ。
「さて……次は、どこまで堕ちてくれるでしょうか。
それとも――どこまで抗ってくれるのか」
雪は、静かに降り積もる。
正義を教えられた少年。
正義を理解できぬ男。
そして、同じ名を持たぬ二つの存在。
次に雪が血に染まる時、
物語は、もはや引き返せぬ深淵へと踏み込んでいく。
ここまで目を通して頂きありがとうございました。
骨組みとキャラクターができたので動かそうと書き出してみましたが、思った以上に話が長くなり、思い描く完結まで書ききるのが困難で、雑になってきたのでこの話で一章完結とし終わらせる結果となりました。
次は書き貯めをして、趣味の範囲で楽しくキャラクターを動かせるようにした上で、投稿をしていきたいと思っていますので、もし、その時に話の続きが気になる、読んでみようと思えたら目を通して楽しんで貰えれば嬉しいです。




