命令という名の檻
一面を覆い尽くす氷の棘。
その異様な光景に、誰もが息を呑んだ。
――だが。
「……命令……命令……す、い、こ……」
氷原の向こう側で、
アシナガが、ぴたりと動きを止めた。
傷一つない。
呼吸も乱れていない。
それでも、
その首が不自然に、かくりと揺れる。
「……命令、優先……対象、排除……」
声は平坦。
感情の揺らぎは、そこにはない。
次の瞬間――
アシナガは一直線に、ユキヨへ向かって突進した。
「――っ!」
だが、ユキヨは動けなかった。
氷原を生み出した反動。
力は、ほぼ使い切っている。
その前に、影が二つ躍り出る。
「させるかよ!」
「……通すわけにはいかない」
善徳と夜伽だった。
アシナガの槍が唸りを上げる。
鋭く、正確で、無駄がない。
だが――
狙いは一切ぶれない。
ユキヨ、ただ一人。
防御も回避も考慮せず、
“命令を遂行するためだけの動き”。
「……っ、直線的すぎる」
夜伽が低く呟く。
その瞬間、
善徳の長刀が閃いた。
アシナガの右腕が、宙を舞う。
それでも。
アシナガは止まらない。
槍を失った腕を捨てるように、
残った左手で地を蹴り、前へ。
「命令……継続……」
夜伽の双剣が、
今度は脚を断つ。
膝から下が、氷の上に転がった。
――だが。
アシナガは、倒れない。
上半身だけになりながらも、
腕一本で地を引きずり、前へ進む。
その姿に、
善徳は歯を食いしばった。
「……ここまでして、命令かよ」
次の一閃。
アシナガの胴が裂け、身体が二つに分かれる。
それでもなお。
残った上半身が、
爪を立て、氷を削りながら、ユキヨへ向かう。
「……命令……完遂……」
その声は、
もはや“意思”ではなかった。
壊れた機構が、最後の動力を回しているだけ。
善徳は、一瞬だけ目を伏せ――
そして、決断した。
「……悪いな」
長刀が振り下ろされ、
アシナガの首が、静かに落ちる。
だが。
首だけになっても、
それは止まらなかった。
ずり、ずり、と。
歯を氷に立て、
なおもユキヨへと進もうとする。
その前に。
ユキヨが、一歩踏み出した。
透明な氷の剣を、静かに構える。
「……こやつは、命令がすべてだったのじゃろう」
その声は、
怒りでも、嘲りでもない。
ただ、静かな哀れみ。
「悲しき結末じゃが……
ワラワは、嫌いではない」
氷の刃が、そっと振り下ろされる。
アシナガの頭部は、
一瞬で氷に閉じ込められ、
完全に静止した。
――戦闘は、終わった。
……かに見えた。
「……感傷に浸る暇はねぇぞ」
低く、獣じみた声。
真神が、再び踏み込んでくる。
先ほどとは明らかに違う圧。
速度も、殺気も、一段階上。
三人がかりで応戦するが、
一太刀すら届かない。
その時――
空気が、震えた。
上空から降り注ぐ、
異質な気配。
「……おいおい」
善徳が空を見上げ、苦笑する。
「空を飛ぶのは反則だろ」
そこにいたのは、
アシナガよりも巨大な、蜂の人型。
羽音を響かせ、
真神の隣へ降り立つ。
「銃声により、人が集まる恐れがある」
感情のない声。
「これ以上、他の人間に見られるわけにはいかない。
一時撤退の命令が下っている。私が運ぶ」
真神は舌打ちしながらも、肩をすくめた。
「……ちっ。いいところだったのによ」
次の瞬間、
蜂の人型が真神を掴み、
そのまま夜空へと飛び去った。
静寂が戻る。
善徳が大きく息を吐いた。
「全く……なんて強さだ」
「……力不足を実感した」
夜伽も短く答える。
凍りついた大地を見渡し、
善徳はユキヨへ視線を向けた。
「それにしても、姫さんのあの力は――」
「大したことはない」
ユキヨは静かに首を振る。
「“雪女と人の子に”呼ばれていた頃に比べれば、
まだまだじゃ」
そして、ふっと息を吐く。
「……力が使えなくなるというのも、不便なものじゃな」
その言葉に、
二人は言葉を失った。
ユキヨは、
街の方角を見つめる。
「それよりもじゃ……」
低く、重い声。
「この後始末をして戻るには時間がかかる。
――街の皆は、大丈夫じゃろうか」
戦いは終わった。
だが、本当の不安は、これからだった。




