霧の城と、刃の挨拶
霧は、街の奥へ進むほどに濃くなっていった。
白く沈んだ空気が足元を覆い、建物の輪郭すら曖昧にするその中で、ただ一つ、異様な存在感を放つ影があった。
「……あれが、城か」
月兎が思わず呟く。
それは、この国では見たことのない様式だった。
石を重ねて築かれた城壁は、どこか異国的でありながら、無駄がなく、冷たい美しさを湛えている。
和の国にありながら、和でも洋でもない――まるで、この霧の街そのものを象徴するかのような建築だった。
「姫さんに話を通してくる。ここで待ってな」
善徳がそう言い、
妖狐も微笑を浮かべながら頷く。
「すぐ戻りますわ。あまり動かないでくださいね」
二人は城門の奥へと姿を消した。
取り残された月兎、世一、亜華巴の三人は、霧の中で静かに周囲を見渡す。
不思議と音が吸い込まれる場所だった。
風の音も、人の気配も、どこか遠い。
――その時だった。
ぞわり、と背筋を撫でるような感覚が走る。
「……来るぞ」
月兎が低く告げ、身構えた瞬間。
霧を裂くように、二つの影が躍り出た。
鋭い金属音が空気を震わせる。
「遅い」
無機質な声と同時に、双剣が閃いた。
夜伽の刃が、月兎の目前を掠める。
反射的に後退したその隙を、もう一つの影が詰める。
「――はあっ!」
蓮の大鎌が唸りを上げ、地面を削った。
一瞬の交錯。
世一が暗器を抜き、亜華巴が距離を取る。
霧の中で、何度も刃がぶつかり合う音が響いた。
だが――
「そこまでだ。双方、刃を引け」
低く、よく通る声が霧を裂いた。
善徳だった。
その声に、夜伽と蓮は即座に動きを止める。
武器を下ろし、静かに一歩退いた。
「……剣を抜かせぬといった矢先に、仲間が剣を抜くとはな」
苦笑いを浮かべ善徳は月兎たちに視線を向ける。
「この街の近くで、怪しい三人組を見かけたという情報があってな。
見回りの途中で君たちを見かけた。確認のための交戦だ」
「確認にしては、随分本気だったな」
世一が吐き捨てるように言うと、
蓮は肩をすくめた。
「雪霞では、油断は死に直結するから」
誤解は解けた。
だが、次に告げられた言葉は、月兎たちにとって重かった。
「残念だが……今は、姫さんに会わせることはできない」
「なぜですか」
月兎が問う。
「この街に住むには、正式な申請が必要だ。
住人でない者は“滞在者”扱いになる」
善徳は淡々と説明する。
「滞在者は、仕事も制限されるし、十日に一度、滞在費を納めなければならない」
沈黙が落ちた。
世一は苦々しく視線を逸らし、
亜華巴は小さく首を振る。
「……無理ですね。今の手持ちでは」
「俺もだ」
三人の意見は一致していた。
その様子を見て、善徳は少し考えるように顎に手を当てる。
「今は利用する者も少ないが……
滞在費と生活費を同時に稼げる場所がある」
月兎たちが顔を上げる。
「そこで依頼をこなし、この街に滞在する。
それから、どうするかを考えるのも一つの手だ」
霧の城を背に、三人は顔を見合わせた。
「……それしかなさそうだな」
「ええ。今は生き延びる方が先です」
亜華巴の言葉に、月兎は静かに頷いた。
こうして彼らは、
霧の街の深部へと、もう一歩足を踏み入れることになる。
それが、この街の“日常”と“歪み”に触れる始まりだとは、
まだ誰も知らなかった。




